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第77話
ゆらり、ゆらり。
薄暗い空間の中に、色とりどりのクラゲたちが舞い踊っている。
照明に演出され、美しく漂うクラゲたちは、あまりに幻想的だ。
「綺麗…。ねぇ、火宮さん?」
「あぁ」
薄く目を細め、穏やかな微笑を口元に乗せている火宮は、こうしているととてもヤクザの頭には見えない。
本当、イケメン。
まっすぐ通った鼻筋も、目に近くバランスのいい眉も、キリッとした目も。
どこのトップモデルか俳優かと、さっきからヒソヒソと囁かれている声は、すべて火宮に向かっているのがわかる。
俺は、そんな火宮の隣に佇む所有物ではあるけれど、きっと装飾品にすらなれない。
はなから持たない自信をさらに失くし、思わずスルリと、繋いだ手を解いてしまう。
「翼?」
青く澄んだ美貌が、ゆっくりと俺を見下ろす。
「っ、なんですか?」
「おまえは俺のものだろう?」
咎めるように目を眇めて、少し意地悪く笑った火宮が、離してしまった俺の手を取り上げる。
顔の前まで持ち上げられてしまった手の甲に、恭しく優しく軽く、火宮の唇が静かに触れた。
「っな…」
途端にどよめいた空気と、上がった多数の小さな悲鳴の震えを感じた。
「勝手に離れるな」
「ッ…」
こんなの、誤解する。
「駄目、ですよ…。みんな見て…」
わざわざ、見せつけるような真似。
それが独占と支配の欲求とわかっていても、俺の心はグラグラ揺れる。
「くっ、他人の目など構うものか。勝手をした手へ罰だ」
「っ…」
駄目だ、駄目だ。
勘違いしたらいけない。
だけどこれは…。
俺と手を離したくないって、受け取ってもいいんですか?
繋いでおけと強要する真意は。
『罰なんかなくても、俺はとっくにあなたに繋がれているのに…』
心ごとすべて、火宮に雁字搦めだ。
「翼?」
囁くよりもさらに小さい呟きは、ざわめく館内の空気に消えてしまったようで、火宮の耳には届かなかったらしかった。
「っ!いえ!」
「ククッ、文句ならはっきり言えよ。それとも仕置きの効果が出てきたか?」
妖しい色気を放ちながら、スッと指先でなぞられた唇が震える。
聞かれなくてホッとして、けれど少しだけ残念で。
「文句なんて…。それよりほらっ、イルカショー!」
「ククッ、誤魔化したか。だがまだ時間には早いだろう?」
チラリと腕の時計に逸れてしまった視線にほっとする。
同時にぐいと繋いだ手を引いてやる。
「いいんです。気に入る席を確保しないとだから!」
「わざわざ濡れに行く、な」
どMめ、と笑っている火宮が、俺の力に逆らわずに足を踏み出す。
「だから俺はMじゃありませんて」
「ククッ、どこが」
文句に聞こえなくもない言葉を吐きながらも、俺が引いて行く手に火宮はまったく抵抗しない。
「どこって、全部ですよ、全部。俺はいたってノーマルです」
「そうか?ちょっと意地悪してやると、倍感じて悶えて悦ぶ…」
「わーっ!ちょっ…何言い出すんですかっ!」
場所考えろ。っていうか、そういうの、サラッと言うな。
「ククッ、嬉しいくせに」
「あの、どこをどう見たらそうなりますか?」
こっちは全力で嫌がってるんですけど。
「どこをどうかって?そりゃ…」
やばい。なんか目の奥のその妖しい光は…。
「い、言わなくていいですっ!っていうか、何触ろうとしてんですかっ」
まったく油断も隙もない。
じゃなくって、公共の場で大胆に中心に手を伸ばしてくるとか、嫌がらせのレベルを超えている。
「あっ、着きましたよ!まだ前の方、全然空いてますっ」
わーい、と無邪気を装って、パッと火宮の手を離して段差を駆け下りる。
「また離れたな?今度はどんな仕置きをしてやろうか」
っ!
背後から漂った不穏な空気と、僅かに聞こえてきた怖い台詞には、敢えて気づかない振りをした。
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