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第167話

「あれ?」 拍子抜けした俺は、そっと火宮の書斎となっている部屋のドアを窺う。 けれど直感的に、気配がないことに気づく。 「出かけた…?」 一言も掛けずに? 疑問に思いながらテーブルに近づいた俺は、そこにメモの書き置きがあるのを見つけた。 『仕事に戻る。夕食はいらない。遅くなるから先に寝ていろ。 火宮』 「綺麗な字…」 まったく、字までイケメンとか、どんだけ持っているんだか。 「ははっ、そうだよね。仕事の途中で事件を聞いて駆けつけてくれたんだもんね」 白昼堂々の通り魔事件だったんだ。 当然火宮は仕事中だっただろう。 「1人にして、って頼んだのは俺だしね…」 そうだ。 先に逃げたのは俺だ。 なのに。 「なんか…なんか駄目だなぁ…はははっ」 額に手を当て、口元には笑み。 だけど瞳がジワッと熱くなる。 「遠いよっ…っく、ぅ…」 すれ違う。 心がそっと、1歩ずつ。 「火宮さん…っ」 ジワリ、黒い染みがさらに滲みを増やしていく。 「あなたは今、何を考えてる?…あなたはどんな気持ちで、俺をこうして置いてった…?」 俺に頼まれたから従っただけ? それは気遣いのつもり? それとも、仕事が忙しいから…。 グズグズ我儘を言っている俺は、放っとけばその内収まると、思った…から? 「っ…」 ギュッと握り締めてしまっていた手の中で、メモがクシャリと音を立てた。

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