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第323話

黙ってそのノートに目を通した真鍋が、ふぅっ、と1つだけ、息を吐いた。 ガツッ! おもむろに振り上げられた真鍋の拳が、勢いをつけたまま、目の前のテーブルに落とされた。 無表情のまま、じっと目を伏せていた真鍋の顔が、ゆっくりと持ち上がる。 「翼さん」 じわじわと真鍋の拳の指が解かれていき、その手がスッと俺に向かって伸びてきた。 っ…。 「よくお話し下さいました」 「ありがとうございます」と頬に触れた指は、ひやりと冷たく、けれどもとても優しくて。 「お辛かったですね」 激情を綺麗に隠し去った真鍋の柔らかな笑みが、真っ直ぐに俺に向いた。 っ! コクン、と素直に上下した顔から、パラパラと水滴が散る。 嗚咽は音を作らない。 けれど内心から込み上げる熱い雫が、溢れて流れて頬を濡らす。 真鍋の指先にツゥーッ、と伝った涙が、優しく柔らかく掬われた。 そっと、真鍋からノートを取り返す。 ぼやけて滲んだ視界を拭って、新しいページを開き、真っさらなそこに、静かにペンを滑らせた。 『報告に行きますか?』 「はい。とりあえずはお電話で」 『でも真鍋さんも向かいますよね?』 制裁現場。 きっとこの人は、手を汚す火宮の側には、必ず共にいると思うから。 「そう、ですね…」 言い澱むのは、俺の見張りという仕事もあるからか。 きゅっ、とシャープペンを持ち直した俺は、勢いよく、一文を書いた。 『俺も連れて行って下さい』 書きつけた文字を読んだ真鍋の眦が、ピクッと引き攣る。 『俺も、連れ』 「翼さん」 すかさずもう一度、同じ言葉を重ねて綴ろうとした手は、鋭い真鍋の呼び声で、ピタリと止まってしまった。 っ…。 「申し訳ありませんが、それは」 『どうしてですか』 危険はないはずだ。 「ご想像より、多分…」 ものすごくひどい…それこそ惨状? 『覚悟してます』 「ですがやはり、刺激が強すぎるかと」 渋る理由がそれならば、俺は引かない。 『火宮さんがすることです。俺はそれを、この目で見届けたい』 「翼さん…」 そんな、駄々をこねる子供を、辟易して見るような目をしないでよ。 『どんなに酷い有様でも。俺は目を逸らさずにそれを見ようと思います』 「翼さんっ…」 『火宮さんだけに、その手を汚させはしません。その場にいさせてもらうだけでいいんです。ただ、俺も同じその場に立ち、火宮さんのすることを、黙って見させて下さい』 俺の、守りたい人。 守りたかった人。 その身を包む、闇色から。 その身を染める返り血から。 ジッと真っ直ぐ真鍋を見つめ、一瞬たりとも逸らさない。 瞬きさえ我慢する。 「………」 ーー………。 互いに見つめ合ったまま、どれほどの時が過ぎたのか。 いい加減に、目が乾いて痛い、と感じ始めたとき。 「はぁっ…。会長に、お聞きするだけ、聞いてみます」 折れたのは、真鍋の方だった。

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