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第328話

「ご……な…い」 声の出せない俺の言葉が伝わったわけではないだろう。 けれども呻く先輩たちの方から、微かに聞こえてきた言葉があった。 「ご、め…さ…」 意識を向けなければ、聞き逃してしまいそうなほどの、小さな声。 けれど確かに聞こえた謝罪の言葉。 っ…。 謝られても罪は消えないけれど。 取り返しもつかないけれど。 「赦すのか?」 火宮の不満げな声が聞こえて、俺はゆっくりと先輩の上から下りた。 ぼんやりと見下ろす両手が、血濡れのナイフを手にしたせいで赤く染まっている。 「甘い」 慈悲じゃないです、これは俺のエゴ。 あなたがどれほど、先輩たちを許せなく思っているかは分かってる。 だけど俺はあなたを業火に焼かせないためならば、先輩たちを許します。 俺はね、火宮さん。 先輩たちへの怒りや腹立たしさよりも、あなたを守ることの方が大事なんです。 ーー我儘だって分かってる…。 だけど俺はただ、愛しいあなたを守りたい。 ジッと見つめた火宮の目が、フッ、と緩んで俺を見た。 カツン、と1つ、革靴の足音が鳴り、カラーンと遠くに、血に濡れたナイフが蹴り飛ばされた。 「真鍋」 「はい」 スッと目配せをした火宮に、真鍋が傅き、差し出された銃を恭しく受け取って、そのままそれを懐にしまった。 「………」 無言で顎をしゃくる火宮に、真鍋が頷く。 「かしこまりました。おまえたち」 何がなんだかわからない俺の目の前で、「はいっ!」と一斉に返事をした蒼羽会の人たちが、地面で泣きじゃくりながらひたすら謝っている先輩たちを、1人、また1人と引き摺り、まるで物のように通用口に向かって運び始めた。 ーーあ、の…。 銃をしまったからには、俺の想いが届いたんだと受け取ればいいのだろうけれど。運び出されていく先輩たちの行方がわからない。 「おまえが気にすることじゃない。それなりの処分をする」 殺さない? 「しない」 っ…。 よ、かった。 ガクンと折った膝を、ストンと地面についた。 ーーありがとうございますっ。 「ふっ…」 こうべを垂れた俺の上に、カツン、と近づいてきた火宮の影が差した。 ーーありがとうっ…。 制裁の結末を変えて、俺の我儘を通してくれて。 俺の大事な、大好きな火宮の手を、守らせてくれて。 「翼」 っ…。 静かな火宮の呼び声に、ピクンと肩が震えた。 ゆっくりと、俯けていた顔を持ち上げる。 目の前に立った火宮を見上げた瞬間。 「ありがとう」 っーー! なんで。 なんで。俺はあなたの想いを無理に曲げさせ、押し込めさせたのに。 ぶわっと溢れた涙が、いくつもいくつも滴って、ポタポタと地面に弾けた。 「ありがとう、翼。俺はおまえの強さに、いつも救われる」 っ…それは、違う。 俺は俺の我儘で、あなたの想いを踏みにじった。 俺は俺のエゴで、ただあなたの闇色を濃くしたくなかっただけ。 小さくフルフルと首を振る俺に、火宮が鮮やかに笑った。 「おまえの強さは、いつも眩しい」 ーーっ、火宮さん…。 「自分を傷つけた相手を許せて。俺の闇を間違えるなと明るく照らし出し。自らも決して闇には染まらない」 っ…。 「翼」 スッと差し出された手が、真っ直ぐ俺に伸ばされる。 「愛している」 こんな俺を、全力で。 っ、火宮さんっ…。 込み上げた嗚咽は、やっぱり音にはならないけれど。 後から後から溢れる涙は、確かに頬を伝っていて。 震える手を伸ばした俺は、赤く染まったその手を見た瞬間、ビクッと固まった。 あ…。俺。 「取れ、翼。おまえは汚くなんかない」 全てを知って、そう言うの? 「大丈夫だ、翼。おまえは何も、汚れてはいない」 っ…火宮さんっ。 呼びたい名前は、やっぱり音にはできなくて。 だけどガバッと立ち上がった身体が、体当たりする勢いで、火宮の胸に飛び込んでいく。 失った声の代わりに、触れた身体から伝わるように。 火宮さんっ。 怖かった。気持ち悪かった。痛かった。 襲われて、触られて、傷つけられて。 火宮さんっ…。 ぎゅぅ、と抱きついた身体が、ぎゅっ、と抱きしめ返されて。 「大丈夫だ、翼。俺が全部、塗り替えて忘れさせてやる」 優しく温かい抱擁が、嫌な記憶に縮んだ心を、そっと解きほぐしてくれた。

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