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第333話

翌日は、「俺がいるんだからおまえも休め」と笑う火宮の命令により、俺は学校を欠席し、リビングのソファーでゴロゴロと甘えていた。 「そういえば翼、そこの紙袋の中身を開けてみろ」 不意に、ローテーブルの横に置かれていた袋を示されて、俺は不思議に思いながらもその中身をテーブルの上に出した。 え、これって…。 バサバサと出てきたのは、カラー刷りのパンフレット。それぞれには、でかでかと地名や国名が書かれている。 あの…。 適当に手に触った1枚を取り上げて、俺は火宮を振り返った。 「ククッ、翼。どうだ?旅行にでも行かないか?」 え。旅行? どうして急に…。 「ふっ、新婚旅行だな」 っ!新婚旅行って…。 いやでも確かに入籍はしたけども、新婚って…。 「ククッ、その顔。ほら、どこでも好きなところを選んでいいぞ」 どんな顔かは分からないけど、多分変な顔をしてしまっていたんだろう。 ピンッとおでこを弾いてきた火宮が、ほら、と、小さなメモ帳とボールペンを手渡してくれた。 これは? 「筆談用。ノートは真鍋に処分させた」 そっか…。 読み返しでもして、思い出させないため。 万が一の内容の流出を防ぐため。 火宮の行動の理由が分かって、俺は黙って新しいメモ帳を受け取った。 『ありがとうございます』 さっそく真新しい1ページに、サラリと決して上手くはない文字でひと言書いた。 ノートよりコンパクトなメモ帳は持ち歩くのに便利だし。 気遣いが嬉しいし。 何より旅行。きっと俺の気分転換のためなんだろう、って分かるから。 だけど。 そんなに腫れ物を触るみたいに気を使ってくれなくて大丈夫なんだけどな。 「クッ、ノートは俺がそうしたかったからだし、旅行は、たまには俺だってまとまった休みを取ってゆっくりしたいのさ。だから付き合え」 沖縄か?北海道か?真鍋を説得さえ出来れば海外でも、と笑う火宮に、俺はじわりと熱くなる瞼の裏を感じた。 『ゆっくりするなら、温泉とか』 遠くじゃなくていい。贅沢でもなくていい。 火宮と一緒なら、きっとどこへ行っても楽しいから。 「ジジくさいな」 『じじいに言われたくな』 っ、やばい。 書きかけの文字を、思わずぐしゃぐしゃとボールペンで真っ黒く塗り潰したけれど、それはしっかり火宮に読まれてしまった後で。 「ほぉ?どの手が書いている」 ひぃ、痛い、痛い、痛いーっ! ぎゅぅっ、と抓られた手の甲の痛みに、じわりと涙が滲んだ。 『○%♯¥▽$□』 「ごめんなさい」と書きたいのに、手の痛みと摘まれた不自由さで、ヘロヘロのわけのわからない文字にしかならない。 「なんだこの蛇がのたくったみたいな絵は」 いきなりお絵描きか?と笑う火宮は、本当に意地が悪い。 もう本当、ブレない。バカ火宮。 意地悪、どS。 あぁ声が出なくてよかった。 パクパクと好き放題暴言を吐いても聞こえないもんね。 にっこり笑顔付きで、火宮に顔を向けた俺は…。 「ククッ、だからおまえは」 え…? 「俺に読話ができないとでも思っているのか」 読話…って、いわゆる読唇術? 「まぁおまえに関しては、その明らかな口の動きと、口より真実を語る目。読話すら必要ないが」 それっていうのはつまり、声にならなくても暴言がしっかりバレちゃっているってことで…。 っ! やばい…。 火宮の瞳にキラッと宿ったサディスティックな光と、妖しい微笑みに、ゾクッと嫌な予感がしたときには、もう遅かった。 「仕置きだな、翼。恋人に向かって、数々の失礼極まりない暴言。どう償わせてくれようか」 ニヤリ、と笑った火宮の仕置き宣言に、サァァッと確かに、血の気が引く音を聞いた。

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