342 / 719

第342話

翌朝。教室に入った俺に、豊峰が真っ先に気づいて、声を投げて寄越した。 「はよー、翼。お?おぉぉっ?」 ニカッとした明るい笑顔が、ニヤニヤと人の悪いものに変わる。 その視線は真っ直ぐに、俺の左手薬指に向いていた。 本当、目敏い…。 揶揄う気満々の表情に、はぁっと溜息が漏れてしまう。 「ふーん、ほーぉ。それ、ダンナとペア?」 ダンナって…まぁそうだけどさ。 コクンと頷けば、豊峰のニヤニヤ顔がますます深くなった。 「さすがだなー。元々身内ってわけじゃねぇんだろ?なら苗字…入籍済みってわけだ。んでペアリングっつーのは、やっぱりあれか、マリッジリングか」 「………」 他人に言われると、なんだか恥ずかしくて照れくさくてたまらないのはなんでだろう。 「それ、何百万するわけ?」 よく見せろよ、と笑う豊峰は、蒼羽会会長の贈り物、に興味津々のようで。 「あの人も同じのしてんだろ?並の安物じゃねぇのは確かだな」 あー、まぁ、フルオーダーのそのリングの値段なんて、俺も怖くて聞けなかったよ。 それでも今回は、貧乏根性を出して、なるべく安く、なんて遠慮しなかったのは、それを火宮も身につけると聞いていたからだ。 あの火宮様に、俺水準の安物アクセサリーをつけさせるわけにはいかない。 ーーでも、何百は言いすぎじゃ…。 「ふぅん、意外とシンプルなのなんだな。似合ってる」 っ…。 ジロジロと、リングを観察した豊峰が、ニッと笑った。 「で?外して内側は…見せてくれるわけねぇか」 刻印とか宝石とか入ってんだろ?と笑う豊峰だけど、そういえば俺も、完成後はきちんと見ていなかったな、と思い出す。 ちょっとくらい外して見ても…。 好奇心に負けて、うっかりリングを外そうとした瞬間。 「あーっ、つーちゃん、それなにーっ!」 キャァッ、と、甲高い悲鳴を響かせて、リカがズイッと首を突っ込んできた。 「やばい、やばいー。それって彼氏からのプレゼント?もしかしてペアリング?」 キャァ、熱いー!なんて勝手に盛り上がっているリカがうるさい。 豊峰も、甲高い声に頭痛がしたのか、片耳を押さえて顔をしかめている。 「ちょっ、見て見て、これ、超ホンモノー」 さすがは女子か。貴金属のクオリティがちゃんと分かるらしい。 「ねっ、どこのブランド?まさかフルオーダー?やばっ、デザイナー誰」 リカが騒ぐから、他の女子や男子もワラワラと集まってきてしまった。 ーーあ、う…。 メモ帳に文字を走らせる暇もなく、ワイワイと勝手に会話は進んでいく。 「でもうち、アクセサリー基本禁止なんだけどね」 ポツリと聞こえてきた苦笑いは、紫藤のものか。 「校則なんて破ってナンボ」 ケラケラ笑っているのは豊峰だ。 確かに豊峰の耳にはピアスが光っている。 「ま、火宮くんの場合、きっと不良デビューなんて許してくれそうにないお目付役さんが、教師陣に根回しして、特別許可くらい得ているだろうけれどね」 「あー、あの幹部様ならやりかねねぇな。なんだかんだと教師懐柔しちまってそう」 この2人まで…。 結局、始業のチャイムが鳴り始めるまで、ワイワイ、ガヤガヤと、みんな人の席の周りで、好き勝手言って騒いでいた。 ✳︎ その、放課後。 豊峰は用事、タクトは部活、リカたちも予定があるということで、俺は珍しく付き添いなしで委員会に出席していた。 とは言っても、生徒会役員の紫藤は前にいるし、隣の席には同じ委員の佐々木もいた。 「えー、では本日は、入退場門とパネルの下準備をしますー。とりあえず、各クラスの男子の委員で、体育倉庫から土台と板を運んでもらいます」 気だるそうに響く実行委員長の声に、俺の身体はギクリと強張った。 体育、倉庫…。 ドクン、ドクン、と鼓動が速まり、きゅぅ、と胃が縮む。 ガタガタと、男子生徒たちが立ち上がり、会議室を出て行く中、俺は椅子に座ったまま動けずにいた。 っ…行かなくちゃ。 震えて上手く立ち上がれない足を必死で踏ん張ろうともがいていたら、ふと、頭上に影が差した。 「火宮くん。行かなくていいからね」 にこりと微笑んで俺を見下ろしていたのは、紫藤だった。 でも…。 「無理することない。人手は足りてるから大丈夫。火宮くんは、残ってこっちの仕事を手伝っていて」 女子と執行部しかいないけど、と微笑む紫藤に、甘えてしまっていいのだろうか。 情けなく思いながら戸惑っていたら、不意におずおずと、隣から、小さな声が聞こえてきた。 「あ、の、ひ、みや、くん…?」 ビクビクと、まだ少し怯えたような様子で。だけどはっきりと俺を見て、佐々木が俺を呼んでいた。 『あ…佐々木さん?』 「っ、わ、私も…その、事情とか、よくわからないけど…。その、私もいるから。クラスの委員だから…その、出来ることは協力するし、フォローとかも、する、から、その…」 頼って欲しい、と、最後は消え入りそうな声になりながらも、佐々木がはっきりと思いを伝えてくれた。 っ…俺は。 「あのっ、差し出がましかったらごめんね。でもその、顔色が…すごく悪かったから。やなこと、無理、しないで、こっちにいて、いいと思う」 キリッ、と顔を上げてきっぱりと言った佐々木から、「文句を言われたら庇うから!」という声が聞こえてきそうだった。 っ、あぁもう、俺はなんて恵まれているのかな。 こんなところで泣きそうだよ。 『ありがとう』 滲む視界を誤魔化すように、素早く書いた文字を見て、佐々木がふわりと綺麗に微笑んだ。 「ううん。体育祭、きっと成功させようね」 鮮やかな笑顔に、俺は大きく、深く頷いた。 『絶対に成功させよう』 クジに外れて選ばれた委員だけど。 そのせいでやなこともあったけど。 なんだかここへ来て急に、体育祭へのモチベーションがアップした。

ともだちにシェアしよう!