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第350話

それから。 ナカに放ったものを掻き出すとか言って、第2ラウンドを湯船の中でシてしまい、すっかりのぼせた俺は、座敷に敷いた座布団の上で、寝転がって伸びていた。 そんな俺を、火宮がパタパタとうちわで煽ってくれている。 その浴衣姿が、なんというか、色っぽい。 カァッ、と余計に熱くなってしまった頬を、パタパタと自分の手でも煽ったら、火宮が少し心配そうに眉を寄せた。 「まだ大分顔が赤いな。大丈夫か?」 う。いや、湯あたりしたのはしたんだけど、今、顔が赤いのは、また別の意味っていうか…。 やばいから!その色気たっぷりの姿で顔を近づけたら。 軽く合わせられた浴衣の胸元から、チラリと覗く肌とか、鎖骨とか。 鼻血でる…。 ドキドキと、血が沸騰しそうな感覚に、慌てて口元を押さえたら、火宮の顔がニヤリと意地悪く微笑んだ。 「クッ、足りなかったか?」 っーー! なんとも愉しげに乗り上げてきた火宮が、ゆっくりと顔を近づけてくる。 サラリと流れた髪の向こうに、見慣れない木目の天井が見えて。 んっ、んンッ…。 しっとりと重なった唇に、自然と口を開いてしまえば、ぬるりと舌が差し込まれ、顎裏をぞろりと舐められた。 ンッ、あっ…。 ジーンとした快感に、頭がぼーっとなる。 足の間に侵入した火宮の膝がグイッと股間を押してきて。 っあ、あぁんっ…。 駄目。さっきしたばっかりで、こんなすぐには無理…。 さすがに怠い身体を考えて、攻めてくる火宮の下で、ジタバタと暴れて抵抗した、そのとき。 「失礼します。会長、翼さん、お食事の用意が…」 トントン、というノックに続いて、返事を待たずにスラッと開いた襖の向こうから、料理を持った浜崎が現れた。 「ッあ!も、も、申し訳ありませっ…。し、し、し、失礼しましたっ…」 ピシャンッ、と勢いよく閉められた襖が、勢い余って跳ね返って、かすかな隙間を残す。 「チッ…」 「ひぃっ…」 凶悪な火宮の舌打ちと、浜崎の短い悲鳴が聞こえて、俺は思わず腹筋を揺らしてしまった。 ぷっ、あはは。浜崎さん、やるね。 1度とならず、2度までも。 俺的にはファインプレーだけど、火宮のこの凶悪な顔ったら。 視線だけで人を射殺せそうなほどの鋭い睨みを入り口に向けている火宮の下から、俺はスルリと抜け出す。 テクテクと入り口まで歩いていき、スラッと襖を開けてやれば、浜崎が可哀想なほどビクッと身を竦め、恐々と俺を見上げてきた。 「あ…翼さんっすか」 よかったぁ、と、途端にホッとなる浜崎の、情けない顔が少し可哀想だ。 「あ、あの、御夕食をお持ちしましたので…お運びしていいっすか?」 オドオドと、俺を通り越して、チラチラと部屋の奥を見るのは、火宮の反応が怖いからか。 ーー火宮さん? いいですよね?と思いを込めて室内を振り返ったら、火宮は無言で頷いていた。 ーーいいですって。 そっと脇に避けて、浜崎が通るスペースを空ける。 ビクつきながらも料理を運んでくれた浜崎が、綺麗にテーブルに並べてくれた。 『そういえば、仲居さんとか女将さんが運ぶんじゃないんですね』 こんなことまで部下さんたちの仕事なのか。 サラリとメモ帳に書いたら、浜崎が苦笑しながら首を振った。 「何もないときなら、もちろんそうっすけど」 え? えっと、それってつまり…。 「浜崎っ!」 突然、部屋にサッと入ってきた池田が、後ろから浜崎の口元を押さえていた。 「ふごごご」 「申し訳ありません、会長っ」 浜崎の頭を押さえつけながら、池田も深々と頭を下げている。 「ふんっ、来たか」 「はい、ただ今到着いたしました。それでご挨拶を、と思い参りましたら、こいつが…」 ゴリッ、と、畳に額を押し付けるようにして頭を下げさせられている浜崎が、なんだか痛そうで可哀想だ。 「しっかり教育しておけ」 「はっ、申し訳ございませんっ」 「下がれ」 ツン、と冷たく応じている火宮は、いつもとなんだか違う。 だけど、部下たちの前ではこちらが普通なんだろう。池田は気にする様子もなく、深々と頭を下げて退室していく。 その一連のやりとりを眺めてしまっていた俺は、けれども引っかかってしまったひと言を、見過ごすことはできなかった。 『火宮さん』 改まって文字を書いた俺に、火宮の苦笑が向く。 「気にするな、と言っても、無理か」 おまえは馬鹿じゃないからな、と呟いている火宮に、コクンと頷く。 『何があるんですか?』 だって浜崎さんのさっきの言葉。 散歩中の電話。 今回同行メンバーに入っていなかった池田が、こうして駆けつけて来たってことは…。 『非常事態ですか?』 「何もないときなら」と浜崎が言ったからには、今は「何かがある」って思って当然だ。 「はぁっ。こちらのゴタゴタだ」 諦めたように苦笑して言われる、「こちら」というのは、ヤクザ関係の話か。 「俺と真鍋が離れているのを、好機と捉える馬鹿がいる。こちらは県外、しかも限りなくプライベートな旅行で、護衛も最小限」 「………」 「俺の警護が手薄で、襲撃し易いと踏む愚かな輩が動いているらしい。ましてや県外で、応援を呼ぶも、事が露見するのも、時を要すると考えでもしたんだろう」 馬鹿めが、と呆れている火宮は、特に深刻な様子はない。 「そんな馬鹿にどうこうされるわけがないが、念のためだ。小舅が心配性でうるさいからな」 つまり真鍋の指示で、か。 「池田を合流させ、俺の食事は調理から配膳まで、全部見張れと言われているんだろう。だから浜崎たちが運んできた」 それだけだ、と笑う火宮が、心配するな、と俺の頭をポンポンと撫でてくる。 っ…。 『本当に大丈夫なんですか?』 こんな風にただ遊びに来ているときにも、その身を狙われることがあるなんて。 この人がヤクザの頭で、敵が多い人なんだな、と実感する。 「あぁ、大丈夫だ。何も心配ない。だから、そんな顔をするな」 ぎゅっ、と頭を引き寄せられて、広い胸に抱き込まれる。 っ…俺はあなたのことが大事です。 もしも何かがあって、この温もりを失うことになったなら。 そう考えるだけで身が冷える。鼓動が激しく脈打ち、意識が遠ざかる思いがする。 「大丈夫だ、翼。池田たちがいる。おまえは何も心配せずに、旅行を楽しめばいい」 信じろ、と囁く火宮の鼓動は、ゆっくりと落ち着いていて心地がいい。 ーーはい。 火宮の腕の中で、コクンと頷いたら、頭上でフッと笑う気配がした。 「よし。食事にするぞ」 はいっ。 冷めたらもったいないもんね。 ゆっくりと腕を緩めてくれた火宮に微笑んで、俺は美味しそうな懐石料理が並べられたテーブルに、わくわくと目を向けた。

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