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第357話

ブロロォンと、小さな振動が身体に伝わる。 それなりの山道なのに、それほど身体が揺られることがないのは、ものすごく気を使って運転されているお陰なのか。 車窓を流れる木々の景色をぼんやりと眺めていた俺は、ふと、池田と運転手が同時に息を飲んだ音を聞いた。 ん? ゆっくりと前方に視線を移したときにはもう、キキィーッ、と嫌な摩擦音が鳴っていて、身体が前につんのめっていた。 「翼ッ!」 「申し訳ありませんッ。受け身をっ」 「会長っ、伏せてくださっ…」 火宮と運転手と池田の叫び声が同時に聞こえて、ガバッと押さえつけられた頭の上に、火宮が覆い被さってきていた。 な、に…? 途端にピリピリとした緊張感に包まれ、心臓がバクバクと跳ねる。 「お2人は中に」 池田の声が聞こえたと思ったら、バタン、と助手席のドアが開け閉めされる音が響いて、車内の気配が1つ減った。 っ…火宮さん? 座席に伏せるようにしているため、状況が見えない。 ただ、なんだか危ないことになっている予感に、身体がブルリと震える。 「大丈夫だ、翼。池田が行った。この車は防弾ガラスで、ボディも特注だ」 心配ない、と囁く火宮の声が、耳のすぐ側で聞こえる。 だけどそんな説明では、俺には何が何だかさっぱりだ。 「翼?」 そっと火宮の下で身体をずらし、目を上げて状況を窺う。 「おい。防弾ガラスとはいえ、念のため伏せてろ」 それは、銃撃の可能性があるっていうこと? ならば、生身で出て行った池田は危なくないのか。 好奇心、というよりは、純粋な心配。 そろそろと身を起こし、車外の様子を窺おうとした俺は、ドカッ、バキッ、ガシャン!と、派手な物音が上がっている車外に、思わず怯んだ。 「こら、見るな」 刺激が強い、と苦笑する火宮に、目を覆われる。 だけど見ないで音だけ聞いている方が、よっぽど悪い。 過剰な想像をしてしまう嫌悪から、俺はそっと火宮の手を外した。 っ…! どんな光景をも見る覚悟で火宮の気遣いを無駄にしたのに。 きゅぅ、と縮こまる心臓を宥めることは出来なかった。 だってそこには、前の車に、運転席の斜め前辺りから体当たりしてきたのだろう、凹んだ1台のオフロード車が止まっていて。 その衝撃で弾かれたらしい前の車が、俺たちの乗った車のギリギリのところにいて。 微妙に斜めになったその車の周囲には、バッチリ戦闘態勢の浜崎や池田や他の護衛の人がいて。襲撃者だと思わしき男たちを、殴って蹴って吹っ飛ばして、次々と沈めていくという光景が広がっていた。 っ…なんなの、これ…。 現実に起きている光景なのだろうか。 まるで派手なアクション映画だ。 人が投げ飛ばされ、車のボンネットに乗り上げて、フロントガラスに細かいヒビが入る。 隣では、ナイフを突き出す男の手を華麗に躱し、腹に肘を、顔面に拳を食らわしている浜崎がいる。 ボタボタッと鼻から血を流し、ゲェゲェ吐きながら倒れていく男の手から、ナイフが落ちていく。 何これ、怖い…。 一歩間違えば殺される。そんな光景が繰り広げられている。 もしも浜崎や池田がやられてしまったら、次はドアを開けて俺たちが引きずり出されて、あのナイフの切っ先が…。 怖い!嫌だっ、怖い! 突然襲撃を実感し、パニックが起こる。 「翼、落ち着け。大丈夫だ」 よほど引きつった顔でもしてしまっていたんだろう。 火宮が宥めるように、肩を抱き寄せてくれた。 っ…。 「だから見るなと言っただろう?」と、責められても仕方がないと思ったけれど、火宮はただ優しく、俺の頭を撫でた。 「大丈夫だ。見るなら落ち着いて見ろ。池田たちが相手を押している。間も無く制圧だ、心配ない」 火宮の声に、改めてしっかりと窓の外を見たら、立っているのは池田たち蒼羽会の人間ばかりで、しかも危なげなく相手を倒している。 「どうせ真鍋から連絡のあった馬鹿どもだろう。散歩中に何度か気配を感じたが、仕掛けてくる様子がないから放っておいたが」 あっ。やっぱり、あのときのアレ。 俺も気づいたその視線に、火宮が気づかないわけがないんだよね。 「旅館でも特に不穏な空気もなく、てっきり諦めたのかと。ククッ、だが帰りがけのここを狙うとは」 山道で民家も人目もないから都合はいい、と笑う火宮は、あまりに余裕で。 「ほら、もう片付いた」 ニヤリと頬を持ち上げる火宮につられて外を見れば、相手を全員沈めた池田たちが、倒れた人間を両手に引っ提げてズルズルと引きずりながら運んでいるところだった。 「クッ、俺も絞め上げに行ってくる。主犯格を聞き出してくるか」 おまえは待っていろ、と言い残して、火宮が車を降りていく。 1人残される不安を感じながら、その背中をじっと見送っていた俺は…。 ふと、開いたドアの向こう、火宮のそのまた向こうに、微かな違和感のある動きをする人影と、キラリと光を弾く鋭い何かが見えたような気がして。 っ、あれは…。 池田たちの方に身体を向けて、歩き出そうとしている火宮に向かってくる、その人影と……ナイフの切っ先! 気づいたときにはもう、閉まりかけたドアを、中からバンッと開け放っていた。

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