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第356話

ふぁぁっ。 大きく伸びをして、目覚めた俺を、火宮が目を細めて見つめていた。 わっ!あ…おはようございます。 目だけで伝えて、ペコッと頭を下げて、デレデレと緩んでいく頬を自覚する。 やばい、幸せ。 最愛の人と身体を重ねてそのまま眠って、朝目覚めたらやっぱり隣にはその大好きな人。 あったかい温もりに包まれて、落ちてくるのは優しい目覚めのキス。 「ククッ、朝から誘っているのか、それは」 え? うわぁっ! チラリと俺に向けられる火宮の視線を追って自分の身体を見下ろせば、まぁそれは見事に浴衣が乱れてはだけていた。 「ぷっ、クックックッ。すでに服としての役割は皆無だな」 うー。 確かに、裸に帯を締めて、そこにただの布と化した浴衣がでれんと挟まっているだけになっているけどさ…。 そんなに笑わなくても。 完全に笑い声を立てている火宮を恨みがましく見つめれば、その人は憎らしいくらいきちんと浴衣を身に纏っていた。 「さすが翼だ」 褒めてないよね、それ。 とにかく一旦帯を解き、ワタワタと浴衣を羽織り直した俺は、ふとその浴衣が新しいものになっていることに気がついた。 あー、そういえば、昨日はヤリっ放しで寝たんだったよね。 俺が眠ってしまった後、事後処理をして、浴衣も新しいものに変えて、着せてくれたんだ。 えへへ。 なんだかその愛情ににやけてくる。 「クックックッ」 な、なんですかっ? 「可愛い顔をして」 食うぞ、と頬を持ち上げる火宮にゾクリとして、俺はジリジリとベッドの上を後退った。 もっ、無理無理無理。 昨日一体何回ヤったと思ってる。 「嫌よ嫌よも好きのうち…だが、さすがにやめておくか。ほら、来い」 んぁ? 意外とあっさり諦めた火宮が、スルリとベッドを抜け出して、手を差し出してくる。 不思議に思いながらもその手を取ってベッドを下りたら、優しく丁寧に回廊までエスコートされた。 っ!うわぁ。 清々しい朝の空気に包まれた、朝陽を浴びて佇む庭園がまた美しい。 旅先特有の高揚感と、全身を包む清涼感に、たまらずブルリと身体が震える。 「寒いか?」 俺の震えをどう受け取ったか、ふわりと火宮が後ろから抱きついてきた。 自分だけちゃっかり羽織っている羽織りの前を開け、俺にのし掛かって、すっぽりと俺の身体を包んでしまう。 っ…。 フワッ、と香るのは、大好きな火宮の匂いで。 背中に触れた温もりから、トクン、トクンと落ち着いた鼓動が伝わってくる。 もっ、本当、好き…。 胸の前に回された腕にそっと触れ、コテンと首を傾げて身体を預ける。 腕に触れた左手に、火宮の左手がそっと重なった。 「翼。ありがとう」 っ…。 何が、なのか、急にどうした、のか。 意味も訳もわからない一言だけど、ただ、 しっくりと胸に広がるその言葉に、きっと理由はいらない。 ーーありがとうございます。 旅行に連れて来てくれてとか、こんなに優しくしてくれてとか。 愛してくれてとか、愛させてくれてとか。 いっぱい詰まった想いを表せる言葉は、やっぱりその一言で。 首を捻って顔だけ後ろを向いて、火宮の唇に自分のそれを合わせる。 ふっ、と笑った火宮には、きっとしっかり伝わった。 しっとりと塞がれた唇から、吐息が混じり合って溶けていった。 ✳︎ 帰り支度を整えて、火宮と並んで出てきた旅館のエントランスには、池田が待っていた。 無言で頷く火宮に、スッ、と頭を下げた池田が、車まで先導してくれる。 バッチリ決まったブラックスーツ姿で前を行く池田の向こうに、ふと、普段着姿の浜崎が見えた。 うわぁ…。 車の横で、ビシッと直立不動で立っている浜崎の、その頬と口元に、俺の視線は釘付けだ。 赤紫に腫れた頬が、あまりに痛々しすぎる。 叱られちゃったかー。 俺は気にしていないけど、火宮の不興は買っていたし、池田も怒っていたからな。 やっぱり火宮さんの邪魔をしちゃったのと、俺に不穏な話をポロリと漏らしちゃったのが不味かったんだろうね。 「翼?」 えっ?あっ。 思わず浜崎を凝視してしまっていた俺は、慌ててパッとそちらから目を逸らした。 俺が庇ったり、同情したりしたら、浜崎はきっと余計に悪い立場になる。 恐ろしいほど独占欲の強い恋人と、真鍋ほどではないにしろ、厳しいらしい幹部様の前で下手な真似は出来ないと、俺はぴっとり火宮にくっつく。 「ククッ、ほら、乗れ」 スッ、と頭を下げて、車のドアを開けてくれた浜崎から、敢えて意識を逸らして、俺は促されるまま車内に身を滑り込ませた。 後から火宮が乗り込んできて、パタンとドアが閉じられる。 前に1台、俺たちが乗った車が1台。 今回はプライベートということもあってか、2台での移動だ。 このまま、車に揺られて、後は帰るだけか。 余韻に浸りながら、コテンと隣の火宮に寄りかかる。 楽しかったな…。 スゥッと静かに走り出した前の車に続いて走り出した車内から見える旅館が、ゆっくりと小さくなっていった。

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