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第13話 ネガティブ勇者、熟睡

「何をしてるんだ」  頭の上から声がして、ナイは顔を少し上げた。  廊下の壁に掛けられた燭台が、目の前の相手を照らす。  そこにいた人は仏頂面でこちらを見下ろしていた。 「……アイン、さん」 「お前、こんなところで何してる。」  上半身裸で腕の中に丸めた服を抱えてる勇者の姿。明らかに普通ではない状況。  アインは膝をつき、ナイの顔を見てすぐに察した。 「……吐いたのか」 「っ!」  ナイの汚れた口元や、服から漂う匂い。アインは溜息を吐いて立ち上がった。  その様子にナイは怒られると思って、目をギュッと閉じた。  だが、ナイが想像した事態にはならなかった。  アインはナイの腕を掴み、無理やり立たせて廊下の先を進んだ。  腕を掴まれたままのナイはそのままアインについて行くしかない。 「あ、あの」 「黙って付いてこい」  言われるがまま、ナイはそれから一言も喋らなかった。 ーーー ーー 「そこで顔洗え」  連れてこられたのは、アインの部屋だった。  レインズやナイにあてがわれた部屋と違い、こじんまりとしている。  大きさは大体四畳ほどだろうか。木製のシングルベッドとソファに洗面台、小さなタンスと本棚があるくらいだ。  ナイは言われた通り、洗面台で顔と口を洗った。  顔を上げて、壁に掛けられた鏡で自分を見る。この世界に来て初めて見た自分の顔。体の傷は癒えたが、目の下の隈は残っていた。  死んだような目。生気の感じられない顔。  これが勇者だなんて、信じられない。ナイは小さく苦笑した。 「おい」 「え、わっ!」  ナイに向かって投げつけられたのは、さっきまで着ていたシャツとよく似た服だった。  この部屋のタンスから出されたということは、これはアインの私物だろう。それを着ていいのか悩んでいると、アインが「さっさと着ろ」と苛立ちの込められた声で言われ、慌ててシャツに腕を通した。 「お前、今までマトモな飯食ってないんだろ」 「え……」 「胃がちゃんとした食事を受け付けられてないんだ。明日の朝はもっと軽いものにするから、ちゃんと食えよ」 「……え、あの」 「俺はお前の心配をしてるんじゃない。勇者であるお前に何かあったら召喚したレインズ様の責任になる。あの人の顔に泥を塗るような真似だけはするなよ」  捲し立てるように言われ、ナイが口を挟む余地もなかった。  レインズがここにいないからか、アインはナイに対して一切遠慮がない。剥き出しの敵意を隠す気もない。  馬車の中での一件を根に持っているのだろう。敬愛する主人を初対面であるナイが侮辱したのだから仕方ない。 「わ、わかってる。僕は、あの人の言う通りに動くだけだから……」 「……お前、本当に勇者なのか? 気は弱いし、自己主張もしない。お前が元の世界でどういう暮らしをしていたのか知らないけど、この世界に来てまで怯えるのは何でだ」 「……そ、れは……」  ナイは俯き、口ごもった。  言葉にしたくない。自分が何をされ、どういう生活をしていたのかなんて、言いたくない。  口に出すことで、言葉にしてしまうことで、あの地獄のような日々を認めてしまうことになる。自分が虐待されていた事実を、受け入れてしまうことになる。  ナイが虐待されていたこと。強姦されていたこと。それら全ては確かに現実だ。だけど誰にも言わず、言葉にもしなければ、誰にも認識されなければ。まだ、事実にはならない。あくまでそれは、気休めにしかならないけれど周りから可哀想と思われたら、虐待されている子だと周囲に認識されたら、きっとナイの心はとっくに壊れていたかもしれない。  だから、言いたくないのだ。 「……まぁいい。レインズ様に迷惑かけなければ」 「うん……気を付け、ます」 「俺にまで敬語を使う必要はない。名前も呼び捨てでいい。お前はレインズ様の呼んだ勇者なんだ。俺より立場は上だ。ちゃんと自分の立場というものを弁えろ」 「……じゃあ、アイン、はその喋り方でいいの?」 「俺はお前を認めてない。お前があの人をちゃんと守れるのかどうか見極めてからでないと認めない」  色々と矛盾してるような気がしなくもないが、ナイはこれ以上言い合うつもりはない。  シャツも貸してもらったし、吐いてしまったこともレインズに報告する気もなさそうだ。それだけで今のナイには十分だ。 「部屋まで送る。さっさと寝ろよ」 「あ、うん……」  ナイはアインの部屋に名残惜しさを感じていた。  この程よい狭さ。簡易的なベッドに見るからに薄そうな布団。こっちの方が寝やすそうだと、ナイは素直に思った。 「どうした」 「……あ、いや」 「言いたいことがあるなら言え」 「……あの部屋、広くて寝れない」 「は?」 「お、落ち着かない。柔らかいベッドも、綺麗な部屋も、僕には不釣り合いすぎて受け入れられない」  ナイは素直にそう告げた。  レインズには申し訳なくて素直な感想を言えなかったが、アインの剣幕に押されて黙り込むことが出来なかった。 「変な奴だな。普通は喜ぶんじゃないか? 今までそういったものと無縁であったなら、余計に」 「……無理だよ。僕には合わない。身分不相応だもん。僕みたいな奴には、もったいないよ」 「素直に喜べばいいのに。勇者は王族と同じ身分だ。不相応なわけないだろ」 「いきなりそんな立場を押し付けられたって受け入れられないよ」  ナイは乾いた笑いを零した。  例えるなら、貧乏だったのが宝くじで一等があって一気に富豪になった、みたいな気分だろうか。ナイはそんな想像をするが、やはりピンと来ない。 「それで、どうするんだ」 「……どう、したらいいのかな」 「言わなきゃ分からない。お前に望みはないのか」 「望み……考えたことない」 「……ったく、仕方ないな。今晩はとりあえずここで寝ろ。王子には俺から伝えておく。朝起きたら部屋に戻って飯を食え」 「え、でもアインは……」 「いいから、さっさと寝ろ」  アインはソファに横たわり、こちらに背を向けて寝てしまった。  ベッドを取るつもりなんてなかった。むしろ自分がソファでいいのに、とナイは慌てふためいた。 「いいから、ベッド使え」  その様子に気付いたアインが背を向けたまま言う。  その声の圧に押され、ナイは「ごめんなさい」と言ってベッドに横になった。  さっきまでと違う、固めのベッド。  狭い部屋。  今まで寝ていた押し入れを思い出す部屋の暗さ。  ナイにとって押し入れは、悪いものから逃げられる唯一の場所だった。  落ち着く。  クローゼットの隅も悪くなかったが、この部屋はそれ以上に安心できる。  目を閉じると、ナイはスっと眠りにつくことが出来た。

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