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第19話 ネガティブ勇者、夢を見る

 暗い。  真っ暗で何も見えない。  ナイは沈んでいく意識に身を委ねた。  何が起こったんだろう。もう何も分からない。  分からないなら、分からないままでいい。ナイは考えるのを止めた。 「おい! いつまで寝てんだ!」  怒鳴り声と共に、頭を思い切り殴られて目が覚めた。  暗くて狭い空間。よく知ってる場所。ナイは全身の痛みで顔をしかめる。  ここは、押し入れの中だ。  ほんの少しカビ臭い、唯一の逃げ場所。  そうか。夢を見ていたのか。  ナイは体を起こし、押し入れを出た。 「何モタモタしてんだよ。この愚図!」  義父にまた頭を殴られ、ナイはその場に倒れた。  何を喋ってるのか分からないが、男がナイに向かって暴言を吐き続けてるのは分かる。  お腹を蹴られ、頭を踏みつけられ、耳が腐るような言葉を吐かれる。  そうだ。これが現実だ。ナイは動かず、男が飽きるのを待ち続けた。  変な夢だった。都合の良すぎる夢だ。  ナイはポロポロと涙を零した。  痛い。つらい。悲しい。  こんなこと、前は思わなかったのに。  そんな風に思えば、余計に辛くなるだけだったのに。  あんな夢を見たせいで、今まで我慢出来たものが出来なくなってる。  心を無にしなくちゃ耐えられないのに。  痛みに鈍くなきゃ生きていけないのに。  夢の中の自分は、美味しいご飯を食べられた。暖かいお風呂にも入れた。この痛みも、体中の傷もなかった。  そんな訳、ないのに。 「何よ、朝から」 「コイツがやることやらねーから躾てただけだっつーの」  霞む視界に、ナイの母親が映る。  母がタバコに火を付けながら、しゃがみこんで愉快そうな笑みを浮かべた。 「なに、泣いてんの? 誰がお腹痛めて産んであげたと思ってんの? ちゃーんと産んであげたんだから親の言うこと大人しく聞きなさいよ。育ててあげてんだからさ」  女は下品な笑い声をあげた。この女から生まれたのかと思うと、吐き気がする。  なんて恩着せがましいんだろうと、ナイは心の中で思う。頼んだ覚えもないのに、「産んであげた」などと言わないでほしい。育てる気がないなら産まなきゃいい。こんな親なら、いらなかった。こんな女から産まれたくなかった。  ナイが眉間に皺を寄せたのに気付いた女は、火のついた煙草をナイの腕に押し付けた。 「ぐっ!」 「何よ、その顔。親に文句でもあるの? 子供が親に逆らっていいと思ってんの?」  意識が朦朧とする。  駄目だ。気を失ったら、また殴られる。言われたことをやらなきゃいけない。  言う通りにしなきゃ。機嫌を損ねたらもっと酷いことをされる。  ナイは体を起こそうとするが、力が入らない。  このまま死ぬのだろうか。  そうすれば、この地獄から逃げ出せるのだろうか。  ナイには、抵抗する気力もない。  逆らうことも出来ない。  自分には、何もない。  だから、ナイなんだ。  こんな自分が勇者になんかなれる訳なかった。世界を救うなんて出来るはずもない。  誰かに優しくされることを求めたらいけなかった。  ナイは目を閉じて、現実から目を背ける。  何も見たくない。何も聞きたくない。  暗闇の中で、ふと手が暖かいのに気付く。 「…………!」  声が聞こえる。  あの親の声とは違う。  遠い、遠いところから、ナイに向かって何かを言っている。 「……い、おい! しっかりしろ!」  暗闇の中で何かに意識を引っ張り上げられ、ナイは目を覚ました。  心臓が破裂しそうなほど鼓動してる。息が上手くできない。 「大丈夫だ。落ち着け。ゆっくり息を吐け」  その声の言う通り、ゆっくりと深呼吸する。  吸って、吐いてを何度も繰り返して、どうにか落ち着いた頭で現状を把握する。  ここは城の脱衣所だ。  ナイは熱いお湯を浴び続けて逆上せたようだ。立ち上がった時に倒れ、頭を打ったせいで気を失ったらしい。 「ったく、お前は一人で風呂にも入れないのか」 「……アイン」  倒れたナイを介抱してくれたのは、様子を見に来たアインだった。  夕食の支度を終え、ナイがまだ部屋に戻ってなかったので浴室に来てみたら彼が倒れていたのだ。 「……お前、魘されてたぞ」 「……」 「怖い夢でも見たのか」 「夢……どっちが、夢、なのかな……」  これもまた夢の続きなのだろうか。  ナイにはどっちが夢でどっちが現実なのか、自信が持てなかった。 「……どっちでもいいだろ。自分にとって都合のいい方を取れよ」 「え……?」 「俺は今の生活が好きだから、嫌なことは全部夢だったと思うことにした」 「……嫌なことは、夢」 「お前は、どっちがいい」  アインの言葉の裏に隠された気持ちが何なのかはハッキリ分からないが、言いたいことは分かる。 「……こっちが、いい」  そう言って、ナイはアインの服を掴んだ。  あの世界には戻りたくない。ナイはアインの言葉を心の中で何度も繰り返した。  嫌なことは全部夢だった。  あれは全部夢。  もう、自分にとってはこっちが現実なんだと。

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