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第97話 ネガティブ勇者、帰る

 アインはゆっくりと近付いた。  ナイは丸まったピクリとも動かない。こちらに気付いていないだけだろうか。 「……おい」  声をかけてみるが、やはり動きがない。  少し嫌な予感がしたアインは、彼の肩を引っ張って顔をこちらに向けた。 「……っ!」  生気のない顔。光のない瞳。まるで空っぽの人形のようで、肩を揺さぶっても反応がない。  体も冷たく、彼からは微弱な魔力しか感じられない。  全てをこの闇に沈めてしまったから、この体には何も残っていないのかもしれない。 「…………ふざけるなよ。言ったはずだ。俺達はお前を犠牲にして幸せを手にしたくはないと……お前がいなくなるのは、嫌だって……言っただろ」  アインはナイの肩をきつく抱きしめ、絞り出すように自身の思いを吐露する。  この想いを、伝えたい。  帰ってきてほしい。もう一度、一緒に星を見よう。  一緒にご飯を食べよう。  他にもたくさん、君が望むことをしよう。 「俺は、この先の未来をお前と歩みたい」  ナイの頬に手を滑らせた。  冷たい。この体は命を手放そうとしている。  アインは、ふと前にも似たようなことがあったと思い出す。  あの時も、彼は自身の闇に苦しんでいた。  今度も同じ手段で助けられるか分からない。それでも、可能性があるのならそれに賭けたい。 「戻ってこい……」  アインは、ナイにそっと口付けた。  以前、リーディ鉱山で倒れた彼にしたように。魔力を、命を吹き込む。  今度は、自分の想いも一緒に。 ―― ―  暖かい。  もう熱の残っていないはずの心に、少しずつ温もりを感じるようになってきた。  どうして。  どうして、ここにいるんだろう。ナイはよく知ってる柔らかな灯火に気付き、胸が締め付けられるような痛みを感じた。  知っている。分かってる。誰だなんて思わない。  諦めていたつもりだったのに。どうして、どんな時でも手を差し伸べてくれるんだろう。  いつも、この胸に優しさをくれる。消えかけた胸の灯に、勇気をくれる。  ゆらゆらと、小さくて暖かいロウソクのような灯りを。 「……アイン」 「気が付いたか」 「なんで、来るの……僕がいなくなれば、もう、勇者も魔王も、生まれないのに……」 「お前こそ、俺の言った言葉を忘れたのか。俺は嫌だと言った。俺だけじゃない、レインズ様も、テオ様もリオ様も、みんながお前を待ってる」 「……みんな、が」 「帰ろう。もしお前が悲しむようなことがあったら、また俺が助ける。何度だって、お前を見つけるから」 「アイン……」  ポロポロと、ナイの瞳から涙が零れ落ちる。  諦めようとしても、繋ぎとめてくれる。手放そうとした未来を、また手に戻してくれる。  ナイは、自分に出来る手段でこの世界を守ろうと思った。  自分の未来を犠牲にすれば、みんなを救えると思った。  本当は、捨てたくなかった。  生きてていいよと言ってくれるこの世界で、必要だと言ってくれる人たちと一緒に。 「……帰り、たい……アインと、帰りたい……」 「ああ。みんなの所に戻ろう」  アインは上に手を伸ばした。  キラキラと光の糸のようなものが腕を掴み、引き上げてくれる。 「ねぇ、アイン」 「なんだ」 「もし、もし僕がこの世界を恨んでしまうようなことがあったら……また闇に飲まれて、魔王になるようなことがったら……どうする?」 「……もしかしたら、なんて考えるな。そんなこと考える暇なんか与えない。万が一にそうなったとしても、もう一度俺がお前を闇の中から引きずり出す。何度だって、お前を捜し出す」 「……うん」  ナイはアインに抱き着いた。  そのまま二人は光の糸に引っ張られ、闇の中から抜け出す。  闇の奥で、誰かの声がした。  ありがとう、と。

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