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 魔法使いに願うなら、一体何を乞うだろう。 「踵を三回鳴らさないと家に入れてくれないんだよ」  パサついたサンドイッチを口に運びながら、日本人の同僚は肩を竦めた。机の上に放り出されたタブレットの画像は、彼の妻と五歳の娘さんの笑顔だ。 「いやぁ、娘がさ、ハマっちゃってさ。オズの魔法使い。去年の誕生日に、DVD買ってやったんだけど……小胡(シャオフー)、オズの魔法使い知ってるか?」 「……すまない、ほとんど知らないと思う」 「いや謝るな、俺だって一緒にDVD見るまでは不思議の国のアリスとごっちゃになってたよ。なんなら悪い魔法使いを倒しに行く話だと思ってたし」  それがどんな話か私は相変わらずわからないが、どうやら魔法使いは敵ではないことは理解した。他の情報は皆無だが。 「踵を三回鳴らすのが、合言葉か何かなのか?」 「そういう魔法なんだよ。主人公の女の子が、踵を三回、キレイな魔女の靴でコツコツコツって鳴らすんだ。するとあら不思議、ずーっと帰りたかったわが家にひとっとび! ……だったかどうかあやしいが、とりあえず帰れてめでたしめでたし」 「便利な魔法だな。そんなに簡単に帰路につけるなら、私達の仕事には向いていないね。帰りたいという誘惑に負けそうだ」 「確かに。走って逃げる勇気も根性もなくても、踵を三回鳴らすだけならやっちまうかもしれない。うちの娘が成人するまではふんばるつもりだが、最近歳を感じてさぁ」 「まだ三十代だろ?」 「三十過ぎたらオッサンだぞ。小胡もあと二年でオッサンの仲間入りだからな、この体力の衰えをぜひとも体感しろ」 「嬉しくないお誘いだな」  軽く苦笑を零せば、ケントも肩を竦めて眉を下げた。  五歳上のケントはよき同僚で、最良の相棒だ。日本人らしい几帳面さと真面目さに加え、大らかな性格が心地よい。オリエンタルSGはバディ制ではないが、私は彼と組む仕事が一番楽だと思えた。  少ない休憩時間の暇つぶしには、適当な話題が丁度いい。基本的には昼を私が、夜間をケントが担当して勤務していた。昼と夜の境目である時間、食事と引継ぎを兼ねて私とケントは短時間の休憩をとる。  本来食事は守るべき依頼者と同じタイミングで取る事が多いのだが……この部屋のワーカホリックたちは、残念ながら全員でテーブルを囲む食生活を好んでいない。  まだ二日しか警護していない私でも、『カロリーブロックでもシリアルでも野菜ジュースでも、食べているだけマシなのだろうな』と察してしまう。誰も神に手を合わせないので、私とケントも各々、空いた時間に食料を詰め込むようになった。  深夜の手前の時間、ウィズメディア社の編集室には、今は机につっぷしていびきをかいている女性――ミレーヌ・フローレスしかいない。  シンディ・ジェンキンスは仮眠を取りに行ったし、サイラス・シモンズはシャワーを浴びて煙草を吸うと言って出て行った。どうやらサイラスの部屋は、この建物の上の階にあるらしい。  いつまで仕事をしているのだろう、と不安になることはやめた。  そもそも今回の私たちの仕事は、彼らの健康管理でも彼らのボディガードでもない。  ウィズメディア社の編集室を守ること。  それが、私達の二週間の仕事だ。  依頼をきいた当初は不思議な仕事だと首を傾げたものだが……実際に彼らの生活に慣れてみると、確かに、この部屋を守っているだけで三人の命はほとんど守られているようなものだ。  サイラス、シンディ、ミレーヌは、驚く程この部屋から出ないのだから。  明日の警護予定を組みながら(と言っても、正直毎日やることはほとんど一緒だが)、私もサンドイッチを齧る。個人的にはホットドックの方が好きだが、我儘は言っていられないのがこの仕事だ。 「それで、オズの魔法使いって奴の話だけど――」 「その話、まだするの?」 「どうせ他にする話もないだろ聞いてくれ相棒。あんな、オズの魔法使いってのは大魔法使いですげー偉くて、そんでな、なんでも願い事を叶えてくれるんだ。だから旅の仲間の案山子は藁じゃなくて脳みそを、気弱なライオンは勇気を、ブリキのロボットは心をくれってお願いしに行くんだけどさ。うちの可愛い小悪魔は、ねえパパは何をお願いする? なんて無邪気に聞いてきやがる」 「……それは、難題だな……」 「だろー? 要するにあなたのコンプレックスは何? って聞いてるようなもんだよ。なんて答えたらいいんだ俺は」 「なんて答えたんだケントは」 「保留」 「……ずるい。それはずるい大人だ……」 「じゃあお前ならなんて答えるんだ小胡。ほら、オズの大魔法使いに何を願う?」 「………………あー……」  魔法使いに、願うなら。  私はしばし思案して、諦めたように小さく息を吐く。声を潜めてしまうのは、爆睡しているミレーヌの邪魔をしないように。そして、少しでも彼女に声が届かないように。 「私は、そうだな……コミュニケーション能力かな」  他人と、息をするように簡単に会話ができたらいいのに。  これは私が常日頃思っていることではある。しかし大雑把な顔のわりに聡い相棒は、暫く妙な顔を晒した後に納得したように唸った。 「シモンズさんか」  頭の良い人間はありがたい。私のコミュニケーション能力不足を勝手に補ってくれる。しかし察しが良すぎるのも、どうかと思う。 「……というか、まあ、この会社の人間全般、少し私にはハードルが高い」 「いや俺にも高いから安心しろ。つーかここの人間は基準にしちゃダメなやつだ、絶対に。会話のテンポが宇宙人だよ。ぶっ飛んでるし高速すぎるし意味がわからないし仲がいいのか悪いのか、さっぱりだ。何を考えているのかわからんし、察するのも難しいよ。シモンズさんは特にわからん。おまえを避けている理由もわからん」 「あー……やっぱり私は避けられている、よな?」 「意図的じゃないとしたら怖いくらいバッチリ避けられてるだろ」 「そうだよな……」  別に、それ自体はどうでもいいことだ。  私が守るべきものはサイラス・シモンズが勤務するこの会社であり、彼も警護対象に入っているものの、四六時中生活を共にする必要はない。何か不満があれば言ってほしいとは思うものの、個人的に避けられていることに関してショックだとか、悩んでいるとか、そんな事はない。微塵もない。  ただ、何故か時折、彼の視線を強く感じる瞬間がある。  ふと視線を感じると、あの何を考えているのかわからない目とかち合う。すぐに何事もなかったかのように逸らされてしまうのだが――ふい、と目を逸らすとき、サイラスはなんとも言い難い気まずさをほんの少しだけ残した。  私は彼に何かしただろうか?  それともするべきことを怠ったのだろうか?  今回はセレブに振り回されるような仕事ではない。ほとんど立っているだけのようなもので、それゆえに無駄に考え込んでしまう時間が増える。  最初はきのせいだと思い込むことにした。だがすぐにあの強い視線に捕らわれ、まったく気のせいなんかじゃないことを思い知らされた。  自分から声をかけようかとも思ったが……私になにか御用ですかと言うタイミングが、驚く程、ない。なぜならば基本的には彼は私を徹底的に避けているからだ。  気のせいだと思い込む事ができないのならば、気にしないという選択肢を取る他ない。  できるだけ考えないように。できるだけ無心になるように。仕事に集中するように。そう思う矢先にまたジッと見つめられると、流石に精神的にしんどくなってくる。 「小胡の何が特別気に入らない、って感じでもないけどなぁ。俺には普通だし、あの人たちの会話は宇宙人だがマンツーマンだとシモンズさんが一番人間だと思えるし。単純に好みだから見ちまうとかじゃないのか? 彼はゲイだろ?」 「まさか。そんな単純な話じゃないだろう……」 「同性愛者は嫌か?」 「嫌とかそういう話じゃないよ、ケント。個人的に偏見はないつもりだけど、そもそも口説かれてもないのに勝手に良いとか嫌だとか私が言うのはおかしい」 「……ごもっとも。俺が悪かった」 「誰も悪くない。まあ、悪いと言えば、些細な事で心を乱す己の未熟さかな」 「真面目すぎるだろ、これだから武闘家は困るな。仕事は仕事、料金分きっちり働いたらそれでよし。そう思え」 「……善処したい」  背中を豪快に叩かれ、痺れるような痛みに少しだけ苦笑する。ケントは最高の同僚かつ相棒で、そして友人だ。  私はこの国に友人が少ない。本国に帰ったところで、友人どころか家も家族もないのだから、ケントが隣で笑って背中を叩いてくれる現状は、とても恵まれていると思う。  仕事は好きだ。身体を動かすことが好きで、武闘家の道も検討したが残念ながら私は勝敗に興味がなかった。ただ鍛錬するだけでは、残念ながら生活はできない。鍛錬した身体を生かし、更に鍛錬を積める。おそらく天職に巡り合えたのだ。  だから、私は手を抜きたくない。与えられた仕事は納得のいく形で成し遂げたい。これは私のプライドであり、ささやかな拘りだ。  ――きちんと彼を捕まえて、私の何が、気になるのか、問いただそう。  そう誓ったものの、その機会がいつになるのか、正直検討もつかなかった。

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