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朝起きたら、ベッド横でイケメンが筋トレしていた。
……いやちょっと理解するまで時間かかったよ、そもそもおれは寝起き良くないし。
ぐらぐらする頭をどうにかもたげて、嫌々ながら肘をついて身体をおこす。
合間に何度も瞬きを試みてやっと、目を開ける体たらくなのに、いきなり飛び込んできた光景が麗しい筋肉の隆起だなんて、意味不明すぎて混乱するでしょ?
「……しゃおふー……?」
どうにか、思い当たる名前を口に出す。
クランチ中だった彼は、ピタ、と動きを止めるとゆっくりと顔を逸らしておれを見る。
きみ、インナータンクトップなの? なにそれグッとくる、なんて思ってることはもちろん、微塵も顔に出してはいけない。
「ああ……おはようございます。まだ早朝ですよ、あなたはもう少し寝ていた方がいいと思いますが」
「…………まさか、きみ、寝てない?」
「三時間ほど寝ましたよ。さすがにあなたの横に潜り込む程面の皮は厚くないですから、ソファーをお借りしました」
「いやぁ、すきなとこで寝てくれていいけどさ。うん。まぁ、寝たなら、いいけど……寝起きはトレーニングで目を覚ますタイプなの?」
おれもまぁ、起きたらとりあえず煙草を吸って頭をしゃっきりさせる人だ。身体に悪いのは百も承知だけど、眠い時はとにかく判断力が鈍るからさっさと覚醒してしまいたい。
珈琲入れようとして火事になりかけることおよそ三回目で『まずきっちり目を覚ましてから動こう』と心に決めた。なんとなく仕事ばかりしてるし仕事はそれなりにこなせるせいで、自分が不器用だってことを忘れてしまいがちだ。
人にはそれぞれルーティーンってやつが存在する。目覚めいっぱつ筋トレから始めるイケメンだっている、かもしれない。
おれの『なんで筋トレしてんの?』という疑問を受けたシャオフーは、少しだけ眉を寄せた後に映画のスタントマンみたいにカッコよく跳ね起きて、首を回しながら息を吐いた。
視線は床。普段はきっちり目を見て話すから、珍しい。
なんだかとっても気まずそうだなぁ恥ずかしい理由でもあるの? なんてぽやぽやしてただけど、彼の返答を聞いてベッドに突っ伏したくなったのはおれのほうだ。
「これは、あー、己の、修行不足を、実感してとにかく精神統一を図ろうとした、というか……どうも、あなたの隣でじっとしていると、あなたの言葉を思い出して尻が落ちつかなくなってしまって……」
「…………ん。ん? え、まって、おれ昨日、もしかしてなんかした?」
「したかどうかと言われたらノーですが言ったかどうかならばイエスですね。随分と夢うつつのようでしたし、眠い時はキャラがおかしくなるとご自分も自覚されているようでしたので、特別私の方から苦情を申し立てるようなことでもないです」
「…………口説いた……?」
「どうでしょう。それなりに甘ったるいお言葉はいただきましたが」
「っあー!」
ばか。眠い時のおれのばか、いや知ってた眠い時のおれはクズなんだよ、知っていたのにどうして昨日、さっさと踵を返さなかったのだろう?
後悔してももう遅い。
さすがに仮眠を取ろうとしたらベッドの上にシャオフーがいた、ことは覚えている。通常の判断力を持ったおれならば、資料を取りに来ただけだとか煙草吸いに来ただけだとか、適当な理由を並べたててじゃあね部屋はすきに使ってね、とひらひら手を振った筈だ。
まったく本当に、なんでベッドに直行しちゃったのか。
ぼんやりと思い出そうとするものの、やたら気分が良かったことくらいしか思い出せない。
「もう、あー、ほんとごめん。ごめんなさい。もうしません。あともう眠くてフラフラしてるときにきみには近づかない、誓う」
一気に上がった血が、ザーッと下がり、またじわじわと顔に集まる。どんな顔したらいいのかわからないおれに対し、朝から爽やかなシャオフーは諦めたように息を吐いた。
「いえ、別に……迷惑だとか困るだとか嫌だとか、そういう感情はありません。睡魔と同居している状態のあなたは新鮮でした。なんというか……素直で」
「おれ、なにをゲロっちゃったの……?」
「惚れそうだったから避けていたとか。東洋人が好みだとか。私の声が好きだとか。とにかくここにいてほしい、話をしてほしい、とか」
「ヒッ……忘れて……忘れてほしい!」
「忘れませんよ。生憎と私は、記憶力がいいんです。それに先程も言いましたが私はあなたに嫌悪感を抱いてはいません。ただ、私は、仕事現場で誰かの求愛に応えることはありません」
「ねぇそれ、どっち? おれはお断りされてんの? それとも脈アリなの?」
「……どっちでしょうね」
珍しく、少し笑う。
たまにケントと話してるときに出るような、素の笑顔だ。シャオフーは控えめに目を細めて笑う。その顔があまりにもダイレクトにおれの……なにここ? 心臓? 胃? わかんないけど胸のあたりをグッと掴んでくる。
朝っぱらから睡眠削って筋トレしてる理由は、おれが口説いたせいだって彼は言った。
それってつまり、少しくらいは意識してくれてるってことなんだろうか。あんまりストレートの人を口説いたことがないから、勝手というか感覚がわからない。
気持ち悪い、と逃げられなかっただけでも十分なのに、おれの言葉は痒いなんて言って目をそらす。
恋してる暇ないからねーなんて、言っていたのはどこのどいつだと自分でも思う。だって、あー……嬉しい。まずい。これはもう、完全にアレだ。……落ちた。どぼん。あとはどうやってきみを引き摺り込むか、って話だ。
……引き摺りこめるかなぁ。ちょっと、正直自信ないんだけど。まあとにかく、おれが落ちちゃった恋に関しては置いといて、目の前の休日の事を考える。
そしておれは(おれにとって)素晴らしい休日の過ごし方を思いついた。
「シャオフー、今日はオフなんでしょ?」
「はい。と言っても、洗濯をして本屋に寄る程度の休日ですが」
「よし、じゃあおれに付き合ってくんない?」
「……サイラスに? でもあなたは仕事が……」
「連勤何日目か数えるのもやめちゃったら、ミレーヌに本気で怒られたとこなんだよね。私が休みにくいから休めって怒られながらちょっと泣かれたから、まぁ入稿もどうにかなりそうだし今日一日くらい作業止まってもなんとかなるし、ってことでおれも一日オフとする」
「あなたが、そう言うのであればスケジュールに問題はないのでしょうが……付き合う、とは一体どんなことを?」
「遊ぼう」
「…………すいません、もう一度いいですか」
「聴き間違えじゃないよー遊ぼうって言った。一日遊ぼう。もちろんきみの予定もこなそう。基本はおれに付き合ってもらう形になっちゃうけどね。いやぁおれ基本インドアなんだけど、ストレス抱え込むタイプなのかなぁ。時々、パーっと外に出て遊び倒さないと、しにそうになんの」
だから遊ぼう。一日おれに付き合って。
あらためて誘いの言葉を告げると、しばらく微妙な顔をしていたシャオフーは諦めたように少しだけ眉を下げた。
「……あなたは本当に不思議だ。丁寧なのに大雑把で、インドアなのにアウトドアで、避けていたくせに遊ぼうと誘ってくる」
「いやぁ、それはほら、惚れたら困るからであってもう惚れちゃったからどうでもいいかなぁって」
「いま、とても大事なことをさらっと言いませんでしたか?」
「え、そう? 気のせいじゃないかな」
すっとぼけて笑えば、仕方ないみたいな顔でシャオフーは息を吐く。その、しょうがないなって許してくれる感じ、すごく好きだ。うっかりにこにこしてしまいそうになる。
と言ってもおれの表情筋は基本仕事してくれないから、頑張らなくてもにやけた顔を晒さなくても済む。
「さて、そうと決まればとりあえず顔洗って着替えて……まずは朝飯食いに行こうか。シャオフー、それ制服だって言ってたよね。アジアン衣装のきみは最高に決まってるけど、映画の撮影と勘違いされそうだね。おれの服適当に着ていいよ、あ、その前に汗流す?」
「はい、あの、シャワーを貸していただけるならばありがたい、とは思いますが……一日遊ぶ、とは、具体的にはなにを?」
「んー? うんー。まずはそうね、朝飯ね。この辺りのカフェもダイナーもびっくりするくらい味が大雑把だから、どうせならちょっと足を延ばそう。ホットドッグがおいしい屋台知ってるよ。久しぶりにオフブロードウェイに顔出したいなぁ……映画でもいい。メトロポリタン美術館も久しぶりに行きたいんだよねぇ、わりと好きなんだ。あとはきみの予定、本屋。シャオフーはなんかやりたいこととかある?」
「……いえ、全面的にお任せします」
どうやら、抗うことをやめたというか諦めたらしい。
シャワー室に消えていく彼のために適当に服をあさり、水音聞いてるのも落ち着かないので下に降りてミレーヌとシンディに挨拶してから珈琲を分けてもらう。
煮詰まった珈琲は今日も不味い。でもまぁ、自分のキッチンで淹れたところでどうせインスタントだし似たような味になる。
リトルイタリーで濃い珈琲飲むのもいいよねーと思いながら出かけてくるねと言えば、愛すべき同僚達は『サイラスのオフ日だ!』と騒ぎ出す。
二人とも、おれが一日遊ぶ時は連れが必要だということを知っている。
「はいはい! あたしヒマ! あたしヒマだよサイラス! ディズニー行こうサイラス!」
「あんたディズニーどこにあると思ってんのよ、フロリダよ今からどうやって行く気。映画とショットバー行くなら私が付き合う」
「サイラス飲めないじゃん! ディズニー行こう!」
「わぁーおれ大人気だね。ディズニーは行かないしショットバー冷やかしにも行かないよ。てかもう連れは確保済み」
「……あんた私とシンディとダニエルとトリクシーとマッド以外の友達いるの?」
「え、失礼だね……いや居ないけど、なんか奇跡的に勧誘が成功したんだよね。……成功したのかな? わかんないな、もしかしてちょっと勘違いされてるだけかもしんないけど」
「きちんと理解したうえで承諾したつもりですよ、私は」
スパーン、とした感じの声が頭の後ろに突き刺さる。
振り返ったおれの視界に飛び込んだのは、ラフな格好で壁に寄りかかって腕を組むシャオフーだった。
いつもは無造作におろしている長めの髪の毛を、ざっくりと後ろに流して括っている。おかげで綺麗な形の耳も白いうなじも丸見えだ。
細身のジーンズとパーカーを着こなしたイケメンは、いつもよりもかなりフランクな表情だった。ていうかオフ仕様もかっこいい。グッとくる。
うっかりうっとりしちゃったおれに代わり、素っ頓狂な声をあげたのはシンディだ。
「え、え? え! サイラス、シャオフーとデートするの!? うっわーじゃあ譲るよぉ、行ってらっしゃい! シャオフーがんばれ! サイラスのオフはほんと容赦ないよっ!」
「そうよーこいつまじ加減とか普通とかそういうメーターみたいなやつ、基本的にぶっこわれてるからね。もうむり歩けないってくらい連れ回されるわよ。まじで。まじで」
「無理~って思ったら強めに言った方がいい! けど、体力ならサイラスよりシャオフーの方がありそう~」
「確かにそうねぇ。ぜひとも逆に振り回してくったくたにしてやってベッドから起き上がって仕事とかできないくらいに疲れさせてやってほしいわ」
「ほんとそれー。ね、楽しんできてねシャオフー。サイラスも! できればお土産買ってきてね!」
「はいはい、覚えてたらね。そんじゃあ行こっか、って言ってもバスと地下鉄と徒歩だけど」
ちょっと歩くけど平気? と聞けば、歩くのは好きですよと返ってくる。まったく頼もしい連れだ(ちなみにシンディは車じゃないと嫌だと言うし、ミレーヌは断固地下鉄には乗らない)。
なんだか妙に煩い二人に見送られ、休日の第一歩を踏み出す。
外に出るのも久しぶりだ。何と言ってもおれの家は、外の空気を吸わなくても職場から直帰できる。
「……このあたりは、思いの外治安が悪いですね。と、住んでいるあなたに言うのも、失礼な話ですが……」
「いやぁ、仰る通りだよ。犯罪が殊更多い区域でもないけど、分署は基本大忙しって感じだよね。だから家賃安いんだけどさ」
「はあ、なるほど。……ところで、先ほどから私の方を見ませんが。……着てはまずい服を選んでしまいましたか?」
「え。いやとんでもない、よく似合ってる。似合いすぎててどきどきしてるだけだから気にしないでいいよ。髪の毛縛ってるのいいね、かっこいいしかわいいしずっと見ちゃいそう。……どうしたの?」
「……寝不足ですか? まだ眠い?」
「え、別に? よく寝たし不味い珈琲でしゃっきり目が覚めたよ、なんで?」
「…………それ、素なんですか」
「おれ、なんかまずいこと言った?」
「いいえ。少しだけ、耳が痒いだけです」
ふふ、と笑い声がおれの耳をくすぐる。なんだかちょっと楽しそうに笑う顔も声もストライクに好きで、いやーほんとずるいなって思った。ずるい、この人は、格好いいのにかわいくてずるいよ、本当に。
「ねーシャオフー、この街におすすめの中華料理屋ある? そういやおれあれが食べたいんだよね、なんか四川? かなんかの香辛料とか赤い液体に焼き魚浮いてるやつ……」
「……カオユですかね……? 四川料理ならご紹介できますが、あれ、相当辛いですよ?」
「辛いのね、ある程度は平気だからチャレンジしたいなぁー。シャオフーが平気なら食べたい」
「私は勿論問題ないです」
「よし、じゃあお昼はそれ。でもまずホットドック食べよ」
「食べてばかりですね、今日の予定は」
「その分歩けば問題ないでしょ?」
「仰るとおりで」
今日の彼はよく笑う。それがなんだか、とても勝手に嬉しい。もし何もなければあと一週間でお別れなのかぁなんて悲しいことには蓋をすることにした。
口説くのは後がいい、とか言い訳したけど、連絡先貰えなかったらお別れだ。少しでも、彼に気に入られたいもんだけど、正直自分のアピールポイントなんか背が高いくらいしか思い浮かばないからどうしようもない。同性の身長なんて、シャオフーにしてみたらどうでもいいだろうしね。
……せめて、彼が楽しかったらいいな。今日を、少しでも思い出にしてくれたら、おれは嬉しい。気弱でネガティブなおれは、もう叶わない恋を思い出にしちゃいそうになるけれど。
いやほら、奇跡起きるかもしれないし。うん。
残りの一週間でせめてまた会える奇跡のきっかけがつかめますように。そう願いながら、おれは彼の隣を歩いた。
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