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 さて、と息を吸う。  ちょっとやる気と勇気を出さないと、この先の作業は難しい。 「それで、えーと……二人ともいいの? 本当に。言い出したおれが言うのも何だけどさ、シンプルに依頼人に対する不義行為なんじゃないかって思うんだけど……」  ちらり、と見上げる。おれの後ろにスッと立った二人の東洋人は、その独特な無表情でしれっと言葉を吐いた。 「いいですかシモンズさん、実は俺達にも休憩ってもんがあるんです。そして休憩時間中は勤務外と言ってもいい。つまりはプライベートです。プライベート中の行動に関して会社は関与しません」 「そりゃありがたいけど、夜番のケントはともかくシャオフーの休憩は夜の八時からじゃない?」 「私は今食事中なのでオフです。問題ないです」 「珈琲って飲食カウントなの……?」  ものすごく無茶苦茶な言い訳だ。  正直二人が黙認してくれるのはありがたいんだけど、おれのせいで怒られたりしないといいなぁ、と思う。 「しかし、『ボスのパソコンを調べようと思う』だなんて、一体どういう心境の変化です?」  相変わらずシャオフーの言葉はストレートで、ちょっとだけひるんでしまう。そう、彼の疑問はもっともだ。  一連の社員の怪我が同一事件だとして、最初のマッドの怪我から今さっきのミレーヌまで、かなりの時間が過ぎている。  マッドもトリクシーもボスもスルーしたのに、ミレーヌが襲われたらいよいよ腰を上げた……というように見えてしまうのかもしれない。まあ、実際はそうなっちゃうんだろう。  こんな事言ったらアレなんだけど、別におれはミレーヌを特別な存在だとは思っていない。すごく普通に大切な友達だ。  マッドだってトリクシーだってシンディだって、同じように大切に思っている。ボスはえーと、まあ死ななくて良かったなぁくらいには思ってるし。  でもおれが『あーやっぱ、見ないふりしてないでどうにかしなきゃ』と思ったのは、今回正式に責任者として仕事をこなしたから、だと思っている。  守らなきゃ、と思った。  おれが適当に仕事してるだけで誰も死にはしないし、と思って生きて来た。でも、やることをやらなかったせいでミレーヌは片足引き摺っちゃう怪我を負ったのかもしれない。  原因を探し出せるとは思っていないけど、それでも最善は尽くすべきだ。  おれが襲われちゃっても別にどうでもいいけど、シンディはやっぱり守るべきだしね。ミレーヌが『シンディじゃなくて良かった』と泣いたことを、おれだってちゃんと知っている。ミレーヌはそういう女だもの。  人生の転機は三回あった。自分がゲイだと気が付いた日、母親が死んだ日、ウィズメディア社に入社した日。そしてたぶん、二週間前の朝が、人生の転機の四回目にカウントされることになるはずだ。  ……なんてことをみんなの前で滔々と語る勇気はまだなくて、苦笑ひとつで誤魔化してしまう。 「だってミレーヌほら、あのまま放置したらボスの病室に火炎瓶くらい投げ込みそうじゃない?」 「聞こえてるわよサイラス。勿論足が動けば殴りこみにいったわよサイラス。なにが『ボディガードの料金は僕が払う』よ、金払うならもっと景気よく全員にきっちり警護つけなさいよ。……だめ、これは何もナシ。シンディそっちのファイル取って。右からそのままどっさりここに置いて。ケント暇なら手伝って」  ウィズメディア社のフロアは、正直そこまで広くない。  割合ぎゅうぎゅうぎみなオフィスの奥に、小さな書斎がちまっとついている。この二部屋が、おれたちの城だ。まあ、普段は書斎にはボスが引きこもってるから基本的には近づかない。  書斎はこの二週間、オリエンタルSGの控室のような扱いだった。  無駄にデカい机に、無駄に最新機種のパソコンがドン、と乗っているけれど、どちらも窓辺にズズッと移動されて、部屋の中央は簡易ベッドに占領されている。  片足で無理矢理歩くミレーヌは簡易ベッドの上で過去の資料を直近から漁っていた。  最新号のNESSAの記事に関しては、すでにミレーヌと検証済みだ。何度も洗いすぎたせいで、もう暗唱できそう。あの記事の中には重要な何かはない。おれとミレーヌはそう結論付けた。  共通の資料、個人の資料についても暇を見つけて総ざらいした。恨まれる心当たりはわりとある、とはいえ、『いま、このタイミングで』という条件が加わると、なかなかピンとくるものがない。  さて残るは、書斎のボスの資料だけだ。  八割くらいの確率で、ボスは襲われる心当たりがある、と思っている。そうでなければ、ミレーヌが守銭奴野郎と吐き捨てる程金が好きなボスが、一日数千ドルもするボディガードなんて雇わないだろう。  というわけでボスのパソコンに向かって座ったおれは、電源ボタンを軽く押す。何事もまずは挑戦だ。  柔らかな電子音の後に浮き上がったスクリーンには、パスワードを求める表示が並んだ。 「……だよね」  当たり前のように、パスワードがわからない。  いや、正直鍵かかってないんじゃないの? みたいなぬるい期待をしていなくもなかった。防犯意識なんかあったんだあの人、びっくりだ。  オフィスの施錠すら頻繁に忘れるのに、ほんと解せないと思う。  おれの横からひょっこり顔を出したシャオフーが、軽く唸りながら顎を擦る。 「総当たり方式は時間がかかりすぎますから、無理ですね。あとは思い当たる単語を組み合わせるしかない」 「こういうのって、クラッキングとかハッキングでどうにかなったりしない?」 「クラッキングは犯罪なのでおすすめしませんし、結局はパスワード総当たりだったりフィッシングによる抜き取りだったりが主流でしょう。短時間でパソコンの脆弱性を突くのは難しいかと思われます」 「え、シャオフーなんで詳しいの……?」 「ケントも同程度の知識はありますよ。一応サイバー攻撃の手順も頭に叩き込まれます。まずは心当たりのある単語、数字を組み合わせて試しましょう。多くの人はパスワードに自身の誕生日や身近な人の名前、または記念日などを設定するそうです。防犯の観点からはおすすめしませんが、どうしても覚えやすいものをチョイスしてしまうのでしょう」 「ええと、ボス個人の情報ならなんとなくわかるけど、記念日とかはちょっとなぁ……離婚した日なら知ってるけど」 「なんでも結構です。まずは書き出してそれらを手当たり次第に組み合わせるしか――」 「あ、パスワードならあたし知ってるよ!」  唐突に乱入してきた元気な声は、さっき全員分の珈琲を淹れてくれた活発娘ことシンディだった。  はいはい、と片手を元気に上げて駆け寄ってくる。サイラスどいて、と椅子の上を奪われたおれは、だらりと横に立つシャオフーにもたれかかる。 「……いや、なんで。なんでシンディがボスのパソコンのパスワード知ってんのよ」 「えー、だってたまたま見えたんだもん。あの人さぁ、何かというとあたしに雑用任せてくるの。たぶんサイラスとかミレーヌとか、みんなが忙しくて外出してたり寝てたり電話してたり、そういう隙を狙ってさ、声かけてくるんだよね。珈琲淹れてとかゴミ捨ててとか掃除してとか資料整理手伝ってーとか」 「…………シンディ、それって、」 「あ、大丈夫セクハラはされてないよぉー。されそうな雰囲気はあったけど、あたし流石にそれはノーセンキューだったから超気を使ってたし。でねーその合間にパスワード見えちゃって、いつかもしかしたら使う事もあるかも? って思ってメモっといたー」 「いやごめん普通に心配でキレそうなんだけど。なにそれ。ちょっとだけ残ってた罪悪感とかきれいさっぱりなくなったよありがとうシンディ、今日からおれも豚って呼ぶね?」 「うはは。サイラス怒ると顔から表情ぶっとぶよねーぇ、ちょっと格好いいからずるいよね。心配かけちゃうから言わなかったけど、しんどくなったらちゃんと言う予定だったから、まーあたしも悪いかなぁ。……はい、入った! わお! シンディちゃん有能! きっと明日はちょっといいランチを奢って貰えるはず!」 「イタリアンでもフレンチでも好きなところに付き合うよ、ドレスコードないとこにしてね」 「やったー! シャオフー聞いた? 聞いたね、証人だよ! ていうかシャオフーは怒ると分かりやすく怖い顔になるんだね、眉間に皺の後が付きそう~。……ふたりとも、ありがとう。大丈夫、だってあたし、この仕事好きだもん」  そういう問題じゃ、と言いかけて、言葉をのみ込む。  何を言ってももう遅い。せめて、彼女が傷を負わなくて良かったと思う。  忙しいとか面倒だとか、そういう簡単な言い訳で見逃していたものにまた気が付く。ちょっと吐きそう。……だけど、とりあえず考えることは後にして先に進む。  くるり、と椅子を回転させたシンディにタッチされ、煌々と光るディスプレイに向き合った。  乱雑なフォルダ。とっ散らかったデスクトップ。おれも整理整頓得意じゃないけど、流石に吐き気が増す仕様だ。なんとなく知ってたけど。 「おえーミレーヌが見たら発狂しそう……ええとなに、これ、どこがゴールなの……」  とりあえず順序をたてて端からファイルを開いていく。  パソコンにロックなんてかけていた割に、中身の管理は杜撰だ。まあ、すごくやばいものなら肌身離さず持っておくかも、と考えたあたりでおれの手は止まった。  おれは……正直ちょっとだけ、あの人を馬鹿にしていた。仕事も微妙にできないし、その割に偉そうだし、結局みんな頼ってくるのはおれかミレーヌだ、という気持がどうしてもあった。馬鹿だなぁと思っていた。本当に、そう思っていたけど、訂正する。  ――馬鹿っていうか大馬鹿だ。 「…………見つけた、やばい、ええと、……うん。あの、……あー」  あたまがいたい。  天井を見上げて目の上に両手を置く。おれの横から手を伸ばしたシャオフーは、カチカチと資料を広げて息を飲んだ。 「……ずっと不思議でした。どうしてアンダーソン氏は、二週間を期限としたのか。NESSAの最新号が無事発売されるまで、ということかと思っていたのですが。……違いましたね」 「明後日……市議会議員選挙だ……」 「このどう見ても妙齢の女性と密会をしていると思われる男性は、サミュエル・スミス議員ですね。現職で、次期市議会議員選挙にも立候補しています」 「この人あれじゃん一族政治家じゃん、しかも愛妻家イメージの人だよなんでこんな写真撮られちゃってんの……わりと言い逃れできないショット満載なんだけど……」 「これを世に出したくない人間は、それなりにいそうです。個人の事情とはいえ、イメージはやはり大事ですから」 「わー。……もうこのお写真たちの出どころはどこ? とかそんなのはどうでもいいけど、なんでこんなもん大事にあっためてんのようちのボスは……出しちゃいなよとは言えないけど、乱雑な管理のパソコンの中にぶっこんどくもんでもないでしょ」  記事にしろ、とは言わない。  議員の失脚は、時として政治の混乱を招く。ほいほいと罠にかけていいものでもない。怪しいゴシップ誌とはいえ、おれたちだって自分なりの倫理観を持って仕事をしている。  というか正義漢ぶって記事にするなら議会選前にやるべきだ。それこそがスキャンダルの正しい運用だ。それをしない、ということは、まあ、うん。他に、使い道があったのだろう。 「……強請ってたと思う?」  ストレートすぎるおれの言葉に、シャオフーは眉を寄せた。 「可能性は高いですね。アンダーソン氏の評判は、総じてケチでいつでもお金に困っている、というイメージです。その彼が、羽振りよく我が社に警備を依頼したことからも、急に大金を得ている可能性はあります。議員を脅迫していたのか、この女性を脅迫していたのか、わかりませんし、すべて憶測ですが。とりあえずこの写真が元凶と考えてもいいのでは?」 「だーよねー……もう、明らかにこれだけフォルダが厳重で笑っちゃったし。なんなら他のデータとか大したもん入ってないんだよ。市議会選の時期も納得の明後日だ。つーかこの女なんで見覚えあるんだろう」 「…………現職市長の秘書では?」 「………………うっそだぁ……わーほんとだぁ……」 「あ、いや、これは、まずいですね。うん。どこがどう、動いてもおかしくない。というか、市議会選が終わればそれで終わりになるものですか、これは」 「わかんない。もしかしたら明後日過ぎたら引き渡すとか破棄する約束なのかもしれないし、別のでかい新聞社とかに売る予定とかなのかも。うちのボスがなんも考えてない可能性もあるけど」 「あー……パソコンのパスワードを、会社の番地名にする人ですからね……」 「ほんとだようそでしょ全体的に夢だと言ってほしいよ」 「残念ながら現実ですよ」  まったく、シャオフーはこういう時は本当に現実的で甘くない。ちょっとキスするときはびっくりするくらいおれに甘いのに、常時甘やかしてはくれない。  原因らしきものが見つかったことは喜ばしい。でも本当に全部夢だったらもっと喜ばしいと思うよ。あたまが痛いどころか、胸がむかついて吐き気と悪寒で倒れそうだ。 「それで、どうしますか、サイラス。この写真を消してしまいますか?」 「消した証明って難しいからやりたくないね。コピーをボスがもってるかもしれないし、そもそも誰がどういう経緯で狙っているのかもわからないし、危険は冒したくないよ。現に死にそうになってるんだもの。えーと、だから、消さない。消せないし、仕方がない。仕方がないから、うん。――発表しちゃおう」 「………………は?」  間抜けな顔も格好いいシャオフーの後ろで、ミレーヌもケントもシンディも口を開けているのが見えた。  みんな、おれたちの話をきっちりと聞いていたらしい。まあ、この部屋狭いしね。  最初に立ち直ったのはシャオフーだ。ミレーヌが叫び出すより先に、的確に言葉を並べる。 「発表とは、どうやって。ネットで今すぐ流す? そんな事をしても、リスクを負うだけだと思いますが」 「いやいや、雑誌で発表する。書く。明後日発売のNESSAでね、トップにどーんとやっちゃおう」 「……いまから?」 「いまから。シンディごめんね明日のランチはもうちょっと後におあずけだ。ミレーヌしんどいかもだけどごめん手伝ってほしい。たぶん徹夜したら間に合う、と思うんだよね。たぶんだけど」 「あの、サイラス、落ち着いてください、そんな事をしたら、」 「うーんまあうちの会社もやばいかもね。たぶんこれボスが強請ってたんだろうしなぁって思うし、なんならその証拠も今からどうにか探りたいくらいだし。いろんな人からバッシングされるかも。でもこのままここにしまい込んでたって、どうにもならないよ。ただ不安なだけだ。もうパーッとお出ししちゃって、最後に素敵な売り上げ叩き出しちゃうのもいいんじゃないのと思う。幸い、明後日までは強力なボディガードがついてる」 「最後、というのは……」 「さすがにボスにはついていけないよ。どんな性格でも仕事くれれば別にいいけど、仕事仲間として信頼してくれなきゃだめだ。だっておれたちは、嘘をついたらダメなんだもの」  面白おかしく記事を書くこともある。センセーショナルを気取ることもある。でもおれたちは、嘘をついてはいけない。世間にも、読者にも、そして仲間にもだ。 「てわけで、えーと……ああ、でも、おれの一任で会社ぶっ壊したらあれか、だめだね、うん、じゃあちょっとチャットで多数決取るから――」 「会社ぶっこわしていいですかって? なによそれスクショ取って永遠に笑いのネタにしちゃうからやめて。そんなのどうせ満場一致で大賛成よ」 「ミレーヌはそうかもしんないけどさ」 「私じゃなくたって、みんな結局同じ事言うわよ。なんでこんなクソみたいな会社に居ると思う? サイラス・シモンズがいるからよ。あんたを信じないで、誰を信じるの」  けらけらと笑う、ミレーヌはさっそくみんなに連絡を取ってくれるようだ。本当に仕事が早くて助かるなぁ、と再確認する。シンディは早くもデリのピザを頼んでいた。 「……最近、貫徹しなくなったんだけどなぁ」  おれの哀しい呟きに、ため息で答えるのは愛しい人だ。 「あなたの……あなたたちの、その、怒りにも似た原動力が、私はうまく理解できません。ですが、やると言うのならばできる限りサポートします。間違っているのは、きっと、あなたのほうではない、と信じていますので」 「ほんと? 正直、シャオフーとケントはすごく頼りにしてるんだ。おれたちは雑誌を作るノウハウはあるけど、身を護るすべなんかほとんど知らないからね。おれはともかく、ミレーヌとシンディを護ってあげてほしい。あー、それともう一個お願いがあって――」 「キスしてほしい?」 「……なんでバレたの?」  がんばってって言ってキスして背中叩いて手を握って優しくして、と言いたい放題言えば、注文が多いと笑ったシャオフーはその全部をきちんと実行してくれた。  なんかケントがぎゃーみたいな顔してたけど、シンディはにこにこしていたしミレーヌはちょっと泣いてたからまあ、多数決で祝福されているってことにした。  終わるかなぁ。なんか、いろいろ。終わるといいな、さっぱりと。  人生の転機は三回あって、たぶん四回目が今来ちゃっているんだけど。  ……みんながいるから、きみがいるから、まあ、なんとかなるよ。  そう思って、おれはゆっくり背伸びをした。  何かを始めるには勇気がいる。壊すのは、もっともっと、震えるくらいの決意と勇気が必要だった。

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