10 / 14

10

 ケントのファミリーは、夏の晴天のように明るく眩しい。  彼の家族に会うときはいつも、つい、視線を落としてしまいがちになる。けれどこの日の私は、叶わぬ家族の幻想や羨望などはすっかり放り投げていた。  いい加減諦めた、というのが理由の一つではある。子供は可愛いとは思うが、自分が子を持てない運命であることは受け入れた。どうしようもないことだし、時間はかかったが納得したことだ。  それと、もう一つの理由。……正直この時の私は、他人の家族の眩しさなどどうでもいいほど焦っていたのだ。 「やあ、よく来たな小胡。三日会わないだけでなんだか懐かしく感じちまうよ、相棒」 「きみも大概ワーカホリックだな。今日は招いてくれてありがとう、感謝する。娘さんは?」 「庭で遊んでるよ。いい遊び相手ができてご満悦だ」  休日のケントは、絵に描いたような良き父親だ。にこやかな彼に土産とプレゼントの品を押し付け、キッチンから顔を覗かせる彼の妻に軽く手を上げてから、テラスに直行し庭へと出る。  ケントは狭いわが家だと謙遜するが、テラスはいつも清潔で庭の手入れも行き届いている。明るい日差しの中で笑う少女と、目的の人物を見つけ、私はほっと息を吐いた。  シンディ・ジェンキンスは私に気が付くと、太陽のような笑顔をさらに輝かせた。 「わお! シャオフーだ、久しぶり……! ええと、二週間? 三週間?」 「二十三日ぶりですから三週間と二日ぶりですよ、お久しぶりですシンディ。お元気でしたか?」 「げんきー! へへへ、こんなにゆっくり休めるのは久しぶりだからさ、もうすっごく満喫しちゃってるよ」  にこにこと笑う彼女は、見覚えのあるシャツにジーンズだ。どうやら、彼女は基本的に服装には無頓着らしい。  思い返してみればあの会社に居た人間はみな、いつも似たような服装をしていた。食べて寝て仕事ができればそれでいい、と、思っていたのだろうなと想像すると、どうにも胸が苦しくなってしまう。  ウィズメディア社は、いまはもう存在しない。 「ダニエルはバカンスだっていうし、ミレーヌは実家帰ってるってー。休みなんかいっぱいあっても困るよって思ってたけど、結構楽しいもんだね」 「あなたも旅行の予定でしょう。日本で見たい場所は決まりましたか?」 「うーん、ケントはアサクサ行けって言うけど、あたしはやっぱアキタ行きたいんだよね、ナマハーゲ!」 「いやそれ冬の行事だからな……秋田なんか何もないし最悪英語通じないし、絶対に東京か京都にしとけって言ってんだが、変にマイナーな知識ばっかり仕入れてきて困るよ……」 「心配なら付いていったらいいんじゃないか?」 「何もなかったらいっそそうしてた。家族旅行のついでに一人増えたってかまわないしなぁ。残念ながら来週から仕事だから無理だけどな」 「えーケント次は誰の護衛なの!? シャオフーも一緒!?」 「いいかシンディ、実は俺達の仕事は守秘義務ってのがあるんだ」  ドヤ顔で指をたてるケントに、思わず笑ってしまう。  シンディが日本へ旅行に行きたいからアドバイスを、と彼を頼ったことが嬉しいらしい。確かに年下の少女の無邪気な憧憬は、微笑ましくありがたいものだ。  わざわざオリエンタルSGに直接連絡してきたシンディの行動力を、私は本当に見習うべきだ。素直にそう思うし、相当反省したし、今度こそはと気合を入れて来た。  だからケントの娘であるレイチェルに挨拶をした後、私は早急にシンディに向き合った。 「あの、シンディ、実はあなたに聞きたいことがあります。その……非常に恥ずかしいというか、申し訳ないというか、呆れられてしまうと思うのですが」  自分でも、相当に呆れている。なぜ、どうして、と何度も反省した。唐突に詰め寄る私に、シンディもさぞ驚いただろうが――彼女を慮る余裕がない。本当に申し訳ないと思いつつ、私はついに勇気をだして、シンディ・ジェンキンスに懇願した。  ……サイラス・シモンズの連絡先を教えてほしい、と。  その時の彼女の反応は、予想していた通りの見事な驚愕だった。 「………………えっ。え? えー!? え、連絡先、って、電話番号とか、住所とか、そういうこと? え? だって、シャオフー、サイラスと付き合ってんじゃないの!?」  まあ、はい、うん、そう言われるだろうとは思っていたので私は気まずく視線を逸らす。 「付き合って……どうでしょう、私は好きですがええととにかく、実は最後に会った日以来、彼と連絡が取れていなくて……」 「え、なんで……? サイラス、忙しそうだったけどわりと普通にレスはしてくれたよ……?」 「それが、その、実は、個人的な連絡先を聞き忘れていたことに、後から気が付いて……あの、すいません、酷い人間だという自覚はあります、間抜けでどうしようもない男だという自覚も。ですから身体ごと引くのはやめてください。あなたにそういう顔をされると心に痛すぎる」 「えー……間抜けでも酷いとも思わないけど、単純にびっくりだよぉ……でも、うん、そっか、バタバタしてたもんね、ほんと最後の方。ミレーヌは吐くしサイラスは後半ちょっと声かけられないくらいイっちゃってたし、あたしもちょっと記憶飛んでるもん。あの最中これ名刺ね電話待ってるね、なんて雰囲気はちょっとなかったかも……でもとっくに連絡先くらい交換してると思ってた」  ぐうの音も出ない。  言い訳をしていいのならば、あの環境では彼個人に連絡を取る必要性はなかったからだ。  まず、OSGへの依頼主はサイラスではない。故に彼の連絡先はOSGに控えられることもなく、また彼は警護対象でもないので我々が個別に管理することもない。そして何と言っても彼の住居はオフィスの真上で、仕事中も仕事以外も、ほとんどあの建物から動くことはない。  オフィスか二階の部屋か、どちらかに必ず彼は居た。  うっかり連絡先を聞き忘れても仕方がない……とは思わないが、私は本当に失念していたのだ。  現職市議会議員のスキャンダルを報じたNESSAは、自らの編集長の犯罪も同時に告白し、よくも悪くも話題になった。雑誌は飛ぶように売れた……らしい。  その号をもって、NESSAは廃刊、そしてウィズメディア社は実質廃業を宣言した。  マイケル・アンダーソンが廃刊、廃業を承認したかどうかはわからないが、社員全員が抜けてしまっては実質どうにもならないだろう。  ちなみにマイケル・アンダーソンは警護期間が終わる直前に行方をくらました。  大変残念な後日談になってしまうが、どうも私の同僚の女性が彼と懇意だったようで、海外逃亡の援助をしたようだった。なるほどどうして我が社に依頼をしたのかと疑問に思っていたが、単にコネがあった、ということだったらしい。お忍びの海外旅行程度に思っていたらしく、謹慎を食らった同僚はひどく落ち込んでいた。  NESSAの最終号を読みながら、そういえばサイラスの個人的な番号を知らない、と言う事にやっと気が付いた愚かな私はあわててウィズメディア社の問い合わせ先に電話したものの、ついぞ繋がる事はなかった。鳴りやまない電話に辟易して無視を貫かれたのか、それとももうオフィスには誰もいなかったのか、わからない。  思い切って彼の住居を訪ねた時には、一階のオフィスも二階の住居もすっかりもぬけの殻だった。  しばらくはタブロイド紙の記者が張り付いていたから、彼が引っ越してしまったことについてはなんとなく察しているというか、仕方ないことだと思う。あの雑誌と会社は、実質サイラスが運営していたようなものだ、ということを、業界の人間は知っているのだろう。  個人的な連絡先はわからない。引っ越し先の手がかりもない。あとはサイラスの方から会社に連絡してくれないものか、と、祈るような気持ちで日々を過ごしていたのだが。  今回のホームパーティにシンディ・ジェンキンスが来る、と聞いた私は本当にケントに感謝したし、彼からは『もっと早く言ってくれたらシンディに取り次いだのに』と十分すぎるほど呆れられた。おまえは要領がいいのかわるいのかわからない、との言葉をもらったがまったく私もそう思う。  以上の事情を非常に簡素にまとめて伝えたところ、思う存分呆れてくれたシンディは納得したように息を吐く。しかしその理由はどうやら、私の言い訳に対する納得ではなかったらしい。 「あー、そっか、それでかぁ。いやー正直なんで? って思ったんだよぉ、自分で渡せばいいじゃんシンディは郵便屋さんじゃないんだけどーって思ったんだよー。連絡先わかんないなら仕方ないよね」  勝手になにやら納得したシンディは、隅に置いてあった彼女のものらしき鞄を漁ると、一枚の封筒を取り出した。  薄いグリーンの封筒だ。  彼女はそれを私に笑顔で手渡す。封はされていなかったので、尋ねるより先に中身を確認し、それがセントルイス行きの航空チケットだとわかるとより一層首を傾げた。 「セントルイスというと、ミズーリ州ですか?」 「うん、そう。アメリカど真ん中ミズーリ州! あたしは行ったことないけど写真は綺麗だったよド田舎って感じで好きだな。てことでちゃーんと渡したよシャオフー。伝言はえーとなんだったかな……『暇ならバカンスにどうかなって言っといて』とか言われたかも。もうほんと二人とも奥手すぎるしビビりすぎだしおバカすぎるんだよぉ」 「…………仰る通りです、大変ご迷惑をおかけします……」  全く言い返せない。封筒を握りしめ深々と頭を下げる私に、シンディは『いいよ許すよ今度ランチ奢ってね』と笑った。本当に彼女は気持ちのいい人物でありがたいし、嬉しいと思う。 「あの人は、その……いまは、セントルイスにいらっしゃるんでしょうか」  本当に迷惑をかけまくっている羞恥と、三週間と二日間悩み続けた問題が一気に解消された安堵で、徐々に顔が熱くなる。耳まで熱い。大変恥ずかしい。 「うーん、もうちょい田舎の方じゃないかな。なんか実家? がそこにあるとかで、一時避難に使ってるみたいだよ。引っ越し先まだ決めてないとか言ってたし」 「ああ……この街に、戻ってくるつもりではあるんですね」 「いやぁそれはどうかなぁ、サイラスなんかどこでだって一人で生きていけそうだしさー。わかんないけど、でもあたしは、サイラスが居るNYの方が魅力的だなぁと思うな。ちょっとシャオフー、かわいくおねだりしてきてよぉーNYいいよね最高だよね戻ってきてねって」 「かわいく……いや、私はその、そういう柄では……」 「大丈夫シャオフーはかわいいよ、真っ赤じゃん」 「あなたは本当に言葉に容赦がないですね……」 「素直なのがあたしの魅力だからね! ふふん」  誇らしげな顔だ。こういう表情をドヤ顔と言うのだと後にケントが囁いてくれた。可愛らしい、最高のドヤ顔だ。 「さーて、今日一番のミッションは終わったし、あとはレイチェルちゃんの誕生日たくさん祝わなきゃね! あ、でもあともう一個だけ雑談していい?」  年下の彼女は、楽しそうに笑う。太陽のような、向日葵のような、あたたかく柔らかい笑顔だ。 「あたし、シャオフーにお礼が言いたいの。あのね、あたしたちが好きなサイラスを、好きになってくれてありがとう!」  眩しい言葉と笑顔に、私は息が止まる思いだった。  あまりにもまっすぐな笑顔だ。まっすぐで、素直で、心から優しい彼女の言葉に、私は言葉に詰まりしばらく沈黙が続いてしまった。  そういえば、ウィズメディア社の愛すべき人たちは口癖のように『ありがとう』と口にする。サイラス・シモンズも、ミレーヌ・フローレスでさえも、投げる言葉のついでのようにその言葉を繰り返した。  シンディの素直な感謝の言葉に、私は降参した。特に隠すつもりはないけれど、多少の恥もあった。けれど彼女のストレートな感謝を真正面から受けてしまった私は、誤魔化すことはできなかった。  私の過去の恋愛は、祝福されることはなかった。体質の問題だったとはいえ、感謝とも祝福とも無縁のまま終わってしまった。  サイラスはゲイだ。私と彼の関係は、おそらくはそれなりに困難な道を歩むことだろう。しかし、少なくとも目の前の少女は太陽のような笑顔で、心から祝福してくれている。感謝してくれている。  私が涙をこらえてしまったことは、もしかしたら、彼女にはすっかりばれていたかもしれない。 「……こちらこそ、ウィズメディア社での体験は非常に貴重でした。私は、かけがえのないものを得た。ありがとうございます、あなたが、サイラスのことを愛していることが嬉しい、と思います」 「うふふ。ふふふふ、素直なシャオフーかわいいねぇかわいいねぇ、かっこいいしいいねぇ、素敵な彼氏だね、ミズーリについたら写真いっぱい撮ってねー待ってるからね!」  にこにこだったシンディは、にやにやと笑って私の背中を叩く。ケントと同じく容赦ない力で叩くものだから、かなり痛くて笑ってしまった。  さっぱりと晴れた天を仰ぐ。  憂鬱と不安はまだすべて解消された、とは言えないが、それでも私は希望を手に入れることができた。

ともだちにシェアしよう!