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第1話
平日の夕方の店内は、仕事帰りと学校帰りの人で一番混む時間帯だ。しかも今日は、人気コミックの新刊の発売日で、レジが途切れる事がない。
松木大地 はレジで同じ文言を繰り返し、いい加減口の中が渇き始めていた。
DVD・CDレンタルと本の販売ショップ《MIMIYA》
松木は三ヶ月前、県北の店舗からこのM市の店舗に異動してきた。松木の担当はレンタルだったが、ブックの人手不足でこの店舗ではブック側に異動になってしまった。ブックの仕事はひと通りできるとは言っても、慣れない返品作業や品出し作業に未だ悪戦苦闘していた。まともにできる作業といえば、せいぜい本のカバー付けくらいだろう。
客もひと段落し、大地は荒れた雑誌コーナーの商品整理をしていた。行き交う客へ機械的に、「らっしゃいませー」と怠そうに挨拶をする。
その時、右肩をポンポンと叩かれ振り返ると、ぶにゅっと頬に何かが食い込んだ。指だった。誰の指かは顔を見ずとも分かる。
「また、古典的だな、昴くんよ」
制服姿のその相手は、してやったりな顔をし悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべている。
「お疲れ、まっつん」
ひと回り以上年上の自分に向かって、まっつんとあだ名呼びするこの少年は、この店の常連客である高校生、青山昴 。長めの黒い前髪を女の子がするヘアピンで止め、意味があるのか制服の裾を脛 まで捲 り上げている。白いスクールセーターが少し焼けた肌に似合っており、今風の少しチャラついた印象の高校生だ。
「その古典的なのに引っかかってんじゃん。てか、髭……ジョリってなった……」
髭の感触が気持ち悪かったのか触れた指を見て顔をしかめている。
「今日剃ってねぇからな」
松木は自分の顎をさすり、ジョリジョリとした髭の感触を確かめる。
「やる気ありますかー?店員さーん?」
「んー?あるよ、あるある」
昴が言うように、松木のその見た目からはお世辞にもやる気のある店員には見えない。後頭部にはいつも寝癖がついていて、剃り忘れの髭、垂れ気味の目はいつも眠たそうであった。
「ぜってーねぇし」
松木のやる気のない返しに、ぷっ……っと可愛らしく吹き出している。
(今日もキラッキラしてんなー)
そんな昴の爽やかな眩しさに松木は思わず目を細め、制服姿の昴を見やる。
「学校帰りか?」
それにしては少し遅い。店内の時計を見れば、既に八時を過ぎていた。
「部活やって、友達とマック寄ってた話してた」
そう言いながら目の前のサッカー雑誌を手に取る。
昴はこの近くにある、M男子高に通っている現役の高校ニ年生だ。サッカーの強豪校だというM高のサッカー部に所属し、しかもレギュラーだという。
「寄り道しないで帰りなさい」
「はーい、まっつんせんせー」
「なんだ、そのまっつんせんせーって」
その時、レジのヘルプを告げるチャイムが鳴った。
「やべ……そうだ、定期のコミック入荷してるぞ」
「うん、後で行く」
昴は笑みを浮かべ、ヒラヒラと手を振った。
「昴少年、いらっしゃい」
「ちわー、豊橋 さん」
カウンターに昴が来ると、バイトの豊橋が声をかけてくる。
「定期、取り来た」
「ご用意しておりますよ」
そう言って豊橋は後ろのカウンターに置いてあるコミックを手にし、
「はい、まっつん」
豊橋はそのまま会計をするのかと思えばそれを松木に手渡した。
「なんで、俺に渡すんだよ」
「昴くんの担当はまっつんだからね」
敬語もなければあだ名呼びしている豊橋だが、彼女も自分より五つも下だ。この店で自分に敬語を使う人間はいないのだ。そもそもまっつんとあだ名を付けたのは豊橋で、それがいつの間にか浸透し、昴からも《まっつん》と呼ばれるようになってしまった。
仕方なくレジに入ると昴は文庫本もレジに置いた。
「買うの?」
「うん、カバー付けてね」
表紙を見れば、それは時代小説だった。
「随分渋いの読むなぁ」
「この前この人の、新撰組の本読んだら面白くて」
見た目や言葉を使いは今時の高校生でチャラチャラとした印象だが、こう見えて小説から異世界もののラノベ、コミック、時には人文、経済の本にもまで手を出す、所謂 本の虫だ。
会計をしていると、豊橋が紙袋を持って寄ってきた。
「あと、これ。頼まれてた例のブツ」
その紙袋を昴に手渡す。
「わっ、こんないっぱい」
「何冊か適当に持ってきた。返すのはゆっくりでいいよ」
「ありがとう〜! 豊橋さん!」
そう嬉しそうに紙袋を抱えた。
会計が終わると、
「じゃあ、またねー」
そう言ってヒラヒラと手を振りながら、昴は帰って行った。
「何? なんか貸したの?」
「うん、漫画を」
「漫画って、まさか……BL本貸したのか?」
ギョッとし、見開いた目を豊橋に向ける。
豊橋は所謂『腐女子』だ。
「大丈夫っす。ちゃんと十八禁じゃない健全のやつっすよ」
「問題はそこじゃねぇだろ!」
昴がうっかりその道に目覚めたらどうする、そう言いたかったが豊橋には伝わらないようだった。
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