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18.ポーラスターに恋う②

 あたたかいカフェラテをひとくち飲んで、北斗はほうっと息を吐いた。最近できたばかりの、公園の中にある喫茶店だ。座っているのは窓に面してテーブルの置いてある席で、そこから花や木々を眺めることができる。  昴は北斗の横でドリップコーヒーを啜った。 「…… 苦そう」 「え?」 「苦くないですか?」  突然何を言い出すのかと思えば、北斗はそんなことを尋ねてきた。落ち着いて第一声がそれなのかと突っ込みたくなりながら、昴は口を開いた。 「俺、ミルクとか砂糖入ってると余計に苦く感じて飲めないんですよ」 「へえ……?」  北斗は相槌を打ちつつも首をひねる。昴のこの嗜好は、北斗のような甘いコーヒーが好きな人種には理解してもらえないことの方が多い。 「北斗さんは甘いのが好きですよね。前も甘い酒ばっか飲んでたし…… ビール駄目なんでしたっけ」 「苦いのが本当に駄目で。あと辛いのと酸っぱいのも―― 子どもみたいですよね。好き嫌いも多くて」  恥ずかしい、と北斗は笑いながら言って、またカフェラテをひとくち飲んだ。北斗の口調はいつもどこか探り探りのようで、それが不快なわけでもないけれど、でもなんとなく、もどかしさのようなものを感じる。 「別に、自分の好き嫌いが自分ではっきりわかってるのはいいことだと思いますけど。―― 俺は生クリームが嫌いです」 「生クリーム……」 「まあ、食わなきゃ死ぬってなったら食べますが」  そしてそんな場面は来ないだろう。昴の言葉に、北斗はふっと噴き出すようにして笑った。 「じゃあ、僕もそうしよ」  たったさっきの出来事が嘘のような穏やかさで言う北斗の顔を、昴は見ることができない。カフェラテを飲む彼を視界の隅でとらえながら、昴もさっき苦そうと評された何も入れていないドリップコーヒーを飲む。後ろポケットに入れた煙草に手を伸ばそうとして、テーブルの端に控えめに記された禁煙の文字を見つけ手を所在なげに下ろした。 「もう少し、その辺歩きませんか」  北斗がカフェラテを飲み終えて、自身もコーヒーを飲み干したタイミングで聞けば頷いたので共に席を立つ。  喫茶店を出てすぐの、裏手にある小路を抜ければ蔓植物でできたアーチがある。 「秋はバラが綺麗なんですよね、ここ。―― 北斗さん、バラは?」  問いが唐突すぎたのか、首を傾げる北斗に昴は再度尋ねる。 「バラは嫌いじゃないですか? ほら、匂いとか、苦手な人が多いから」 「ああ」  説明すると北斗は理解したらしくアーチの上部を見上げながら口を開く。 「花の香りは、わりと好きです。どっちかというと車の排気ガスとか煙草の臭いの方が…… あっ―― ち、違うんです、あの」  口に出してから、北斗は自分の失言に気づき口を押さえた。そして慌てて昴に弁明をはじめる。 「い、いまのはべつにあの、煙草を吸う人が嫌とかそういう意味じゃ――」 「今から禁煙します」 「えーっそんな、えー…………」  北斗の困り果てたような声がおかしくて、昴はつい噴き出した。アーチの中に入ってもなお、隙間から差し込んでくる陽射しが眩しい。腿の横に下ろした手に、後ろからするりと北斗の指が触れる。そのまま、斜め後ろを歩く北斗と、前を向いたままの昴の指先が絡んだ。 「本当に無理しないでください。…… 僕、そんな……」  うつむいて言葉を濁す北斗に、彼がさっき言った言葉を思い出す。 『昴くんが思ってるような人間じゃないし』 『期待にも応えられないと思う』  つい先ほど、内側から突き上がった感情のままに抱きしめた背中の感触が蘇る。これは多分、これからずっと消えない。 「…… こういうのって、先に好きになった方が負けとか言いません? ―― なんだろ、この花」  自分よりわずかに冷たい指先の温度を感じながら昴は言うと、誤魔化すように足元へ視線を移した。バラに似ているが、茎や葉の形が違うような気がする。 「…… バラじゃないんですか?」 「なんか違うみたい…… ラナンキュラスだって」  近くに花に関する説明書きのボードがあるのを目にして、隣にいる男の存在も忘れてつい読みふけってしまう。 「………… たぶん、逆なんだよなぁ」 「え?」  ふいに聞こえた不明瞭な呟きに昴が振り返ると北斗は「いえ」と口にした。 「バラたのしみだなと思って」 「ああ……」  ラナンキュラスを見つめながら言う北斗の顔は、さっきよりもいくらか晴れやかだ。 『昴くんのそばにいられる人になりたい』 (―― こちらこそ)  昴は自身の手の中にある冷たい指先をしっかりと握った。 「じゃあ、秋になったら」 「はい。秋になったら」  北斗が微笑んで、昴も微笑んだ。北斗の手を握ったまま歩き出すと、北斗も歩き出した。秋が楽しみだ。  とりあえず、煙草はすぐにでもやめようと思った。 ―― 第一部『ポーラスターに恋う』終

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