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17.ポーラスターに恋う①
最近、北斗に会えない。図書館にもなかなか行けていないというのもあるが、つい昨日ようやく行けたと思ったら彼は休みだったのかそれとも裏で別の仕事をしていたのかまったく見かけなかった。借りた本の礼も、できれば直接言いたいのにタイミングが合わない。
昴はスマホのメッセージ画面に表示されている彼の名前を眺めた。連絡をしたら迷惑だろうか。せめて礼だけでもと思いつつも、その勇気が出ない。
だって、もしも避けられているんだとしたら? 自分が北斗だったら、自分に下心があるかもしれない、よく知らない人間とは距離を取る。コートを押しつけたのも、強引に手当てしたのも、というかそれ以前に、普通あんな、いかにも何かあったみたいなところをただの顔見知りに引き留められたくはないだろうし。
………… 冷静に、考えたら。いや冷静に考えなくても、自分はかなり気持ち悪いんじゃないだろうか。
昴は膝の上で開いていた本を閉じた。北斗に借りた本はまったく読み進められていない。昴は自宅から少し離れた植物公園に着ていた。場所を変えたら読めるかもしれないと思ったからだ。雪も解けて、冬の間閉園していたここも今日から開園すると聞いて来たが、まだ少し寒い。
『よければ差し上げます』
その言葉がなんだか突き放すように聞こえて、少し怖かった。読み終われば返しに行けるのに、少なくとも連絡は取れるのに肝心の本は少しも進まない。
昴は本をしまうとベンチから立ち上がった。花でも眺めたら気分が切り替わって読み進められるかもしれない。連休になれば別だが、特にイベントも何も行われていないので人は多くなければ少なくもない。
チューリップをはじめとする、ちょうど今が見頃の花が並ぶ道を進むと、大きな池と噴水のある広場に出る。池のそばの花の名前を思い出しながら池の中の鯉に目をやってふと、隣にいる男児に気づいた。そばにいる男性と何か話しているな、父親かなと視線をずらして、昴はどきりと心臓を跳ねさせた。
ついさっき、今の今まで頭の中にいた男がそこにいる。
いやまあ確かに自分も彼も子どもがいたとしてもおかしくない年齢ではあるけどこんな、めちゃくちゃ二足歩行できるレベルの子どもがいるとなると話は変わるし……。
「―― あ」
不意に北斗が顔を上げ、昴に気づいた。そして、
「このお兄さんは昴くんといいます」
突然男児に向かって昴を紹介した。
「お母さん連れてくるから、昴お兄さんとここにいてね」
北斗は昴と男児を置いてどこかへ行ってしまった。置き去りにされた昴は未知のものを見るような目で男児を見た。姉とも弟とも歳が近く、親戚も少ないので幼い子どもの相手をしたことはまったくといっていいほどない。とりあえず池に落ちないようにだけ気を配っているとほどなくして北斗は女性を連れて戻ってきた。
「すみません。突然…… 驚かせてしまって」
子どもと母親を合流させてから言ってきた北斗に昴は「いえ」と短く答えた。
「北斗さんて、子ども好きなんですか?」
そういえば以前図書館でも子どもと笑顔でやりとりを交わしていたなと思い出す。昴の問いかけに北斗はうーんと返答に困るような反応を見せた。
「好きというか、目が離せないなって…… 今の子、池に落ちそうになってて。お母さん、下の子連れてトイレに行ってたみたいで」
「すぐ見つかってよかったですね、母親」
昴の言葉に北斗はそうですね、と曖昧に頷いて子連れの母親が去っていった方向を見た。彼らに限らず、子連れの人は何人か見かけた。
「昴くん、よくここに来るんですか?」
「…… まあ、時々」
あなたのことを想うと落ち着かなくて、とはまさか言えずに、昴は言葉を濁した。広場を抜けて、ふたり並んでその先の小路に入る。
「北斗さんは地元こっちの方じゃないんですよね」
「はい。今日初めて来ました。職場の人に教えてもらって。…… 考えたいこともあって」
考えたいことというのはやはり、例の好きな人のことだろうか。
年明け前にどうやらフラれてしまってそれでも好きだったその人のことを、昴は何も知らない。偶然会った年末に、泣いていた北斗の姿を思い出す。そんなに好きな人だったのなら、自分の入る隙なんてないんじゃないか。そうでなくてもあんな、弱みにつけこむような真似をした。
さっき自分で言った通り考え事をしているのか北斗はぼんやりした様子でふと立ち止まった。反対側からやってくる男女に気づかないようだったので、名前を呼びながら軽く腕を引いてやる。
「北斗さん」
「…… あ――、すみません」
北斗はようやく気が付いて、昴にひとこと謝った。なんだかいつになく危なっかしい。普段の、昴が知る北斗はもっとしっかりしていて、全てにおいて完璧で、それこそ王子とよばれるのにふさわしいような――。
(いや)
それは昴の勝手なイメージであって彼の全てではない。よく考えてみれば、昴は北斗のことを何も知らない。当たり前だ。ただの図書館の職員と利用者でたったの二度食事をしただけの仲。知らないのはきっと北斗も一緒だ。
「…… なんか、助けてもらってばっかりですね。特にここ最近……」
言われて、今までのことを思い出す。助けてやったとは特に思わないが、そういえば料理が苦手だと言っていた。前に訪れた部屋も―― 何というか、親しみのある、物の配置だったし。
理想の姿をした彼に対して、いつのまにか無意識に中身に関しても自分の理想通りの彼を作り上げていたのかもしれない。
隣の北斗に目をやると、彼はまた恥ずかしそうに笑った。
「もう今年で二十四になるのに、しっかりしないととは思うんですけど」
「に――」
昴は絶句した。
「にっ、にじゅう……、北斗さん今二十四なんですか?」
どうしても大学を卒業してすぐのようには見えない。というか、というか。
「俺のが年上……」
「えっ」
今度は北斗が言葉を失う番だった。
「てっきり年下だと……」
その言葉に昴は少なからずダメージを受ける。二十四より年下ということは二十三とか二とか―― 下手したら未成年だと思われていた可能性すらある。北斗は子どもが嫌いじゃないようだし、さっきみたいに、幼い子どもを可愛がる延長線のような気持ちで親しくしてくれていたのかもしれない。
だとすると、自分より年上だとわかった今北斗のそういった気持ちが消滅してしまってもおかしくはないし、むしろ、き、嫌われ…………
「…… 大丈夫ですか?」
つい先ほどの北斗のようになってしまっていた昴を、北斗が怪訝そうな顔で覗き込んでくる。昴は慌てて我に返り「大丈夫です」と取り繕った。
「あ、桜。綺麗に咲いてますね」
「本当だ」
坂道を登っていったところにある小さな東屋に入ると同時に、ふたりの間を突風が吹き抜けた。舞い上がった桜の花びらたちが足元をころころと転がっていく。風になぶられた髪を昴が押さえたのと同じように、北斗も伏し目がちになって髪を押さえていた。
昴はいっとき、北斗に見とれた。
そして、
「好きです」
北斗の瞳が見開かれて、昴は自分の言ったことに気づく。
「……―― や、あの、好きっていうか、そういう、変な意味とかじゃなくて、その………… ごめんなさい、好きです、ごめんなさい……」
慌てて弁明しようと試みるが、誤魔化しようがなかった。自分から告白したのは初めてだった。逃げ場というものがどこにもない。知らなかった。
「…… ごめんなさい」
返ってきたのは短い謝罪の言葉で、昴は怖くなった。
「僕は多分、昴くんが思ってるような人間じゃないし、…… 一緒にいて、期待にも応えられないと思う」
フラれているんだろうな、というのは何となくわかった。だけれど、今まで付き合ったどの女の子に言われた言葉とも違う文句で、人を振る時にはこんな優しい言葉なんかじゃない方がいいのではないかとどこか他人事のように思った。
「でも、僕」
変に優しくされると、勘違いしそうになる。
「―― 僕、昴くんのそばにいられる人になりたい……」
その言葉に内包されたすべての感情をぐっとこらえるようにうつむきながら、北斗は言った。
伏せた顔。縮こまった背中。
気づいた時にはもう、腕の中に閉じ込めていた。
衝撃で北斗の肩に掛けたバッグが落ちる。抱きしめられて、ようやく気づく。気づいてしまう。北斗はかたく目を閉じて、目の前の体に縋りついた。離れてしまわないように、強く、強く。
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