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前編

「よし、こんなもんかな」  三人分の朝食を作り終えた名取(うけい)は、満足気に腰に手を当てて息を吐く。  茄子の味噌汁に焼き鮭、卵焼きにサラダ、昨日作っておいた漬物も添えた、自画自賛したくなるほど完璧な朝食だ。  だがこれはまだ序章に過ぎない。本当の一日はこれから始まるのだ。  リビングを出て、誓たちが二人で使っている寝室へと向かう。まずは〝彼〟を起こさなければ。 「賢矢! 朝だよー!」  勢いよくドアを開け、彼が眠るベッドへと近付いていく。気持ち良さそうに眠る姿を見てもう少しだけ寝かせたくなるが、そうもいかない。 「今日は休日出勤だって言ってたでしょ。遅刻してもいいの?」  誓は心を鬼にして布団を引き剥がしにかかる。掛け布団を奪い去ろうと力任せに引っ張るが、華奢な誓と学生時代に柔道をやっていた彼とではその差は歴然だ。 「早く起きてってば!」 「んー……あと十五分」 「せめて五分にしてよ!」  こんな攻防戦を毎日のように繰り返して、もう七年になる。  と言うのも彼――名取賢矢が七年前、誓が二一歳の時から生涯の伴侶となったからだ。  日本で同性婚が認められるようになった今日(こんにち)、誓と賢矢は正式な夫婦として充実した日々を送っていた。 「誓がおはようのキスしてくれたら起きる……」 「なっ、何言って――」 「ははっ、冗談だよ」  悪戯が成功した子供のような笑顔の賢矢に、ぽかんと立ち尽くすことしか出来なくて。数拍おいてから、じわじわと顔が熱くなってくる。 「~~ッ、もう、早く支度してきてよね!」 「はいはーい」  誓より二つ年上である賢矢は、たまにこうして子供っぽい一面を見せてくるが仕掛けられた方はたまったものではない。  火照った顔を手で扇ぎながらリビングへ向かうと、ちょうど息子が出てきたところだった。 「パパ、おはよう!」 「おはよう、雫玖(しずく)」  雫玖は二人の大切な家族。  正確には〝特別養子縁組〟という制度で結ばれた親子だが、これも近年同性の夫婦でも養子がとれる制度が整ったお陰だ。  因みに我が家では誓を〝パパ〟、賢矢を〝お父さん〟と呼んでいる。どちらが誰を指すのか分かるように、と四年前雫玖が来たときに賢矢が決めていた。 「お父さんは?」 「今起きたとこ。雫玖よりお寝坊さんだね」  出来上がった朝食を並べようと再び台所に戻ろうとするが、雫玖がエプロンの裾を引っ張ってきたのでその足は止まってしまう。 「ねぇ、今日はパパもお父さんもお仕事なんだよね?」 「うん……せっかくの日曜日なのにごめん」  誓は在宅のウェブデザイナーとして働いているのだが、今日に限って急な会議が入ってしまい、出社することになったのだ。 (でも、こんな日に会議が入るなんて俺もついてないよな……)  重い溜息が零れ落ちる。今日は誓と賢矢にとって特別な日なのだ。  結婚記念日、といえばその価値は言わずもがなだろう。  初めてこの日が日曜日と重なったから、今日は三人でお祝いでもできればいいな、と思っていたのだが。  賢矢は休日出勤、誓は会議。そのせいで三人で過ごせなくなるなんて。  今まで雫玖には結婚記念日の話をしたことはなかったが、聞かれないから答えなかった程度で、そろそろ三人でこの日を共有してもいいと思い始めていたところなのに。 「だいじょうぶ。ぼくもう小学生なんだよ、お留守番くらいできるって」  今年で七歳になる雫玖は、最近積極的に物事に取り組むようになってきた。それ自体は嬉しいことなのだが、留守番のように危険が伴うことはまださせていない。  時間はぎりぎりになってしまうが、やはり両親の元に預けた方が良いのでは、と悩んでいると肩に手が置かれた感触がした。  「雫玖が大丈夫って言うんだ、大丈夫だろ」 「賢矢……」 「誓の気持ちも分かるけど、雫玖を尊重してやるのも大事だと思うぞ」  スーツに着替えた賢矢の、尤もすぎる意見に誓は口を噤むことしかできない。 「平気だよ。雫玖は俺たちの子じゃないか」 「!」  最後の一言に背中を押され、誓は遂に覚悟を決めた。 「……ごめん。雫玖ならちゃんとできるよね」 「やった! ありがとうパパ、お父さん!」 「雫玖はパパに似てしっかり屋さんだからな。家のこと頼んだぞ」 「はーい!」  賢矢に頭を撫でられてすっかりご機嫌の雫玖は、元気よく手まで挙げて返事をした。そして今度は誓の頭に手を置いて、柔らかい笑顔で告げてくる。 「何かあったら俺がすぐに駆けつけるからな」 「うん……ありがと」  賢矢にこうされると不思議と心が落ち着いてくる。髪の毛に触れる大きな手が、誓の不安ごと包み込んでくれているみたいだった。

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