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3.獺-7
私とサマリサは村へと戻り、世話役を探した。幸い、彼女はすぐに見つかった。
世話役は家の縁側に腰掛け、他の村人とのんびりと何か喋っていた。私たちに気づくと笑顔を見せたが、近づくにつれその表情は心配そうに翳る。私たちがいくばくか緊張しているのを察したらしい。
彼女は丁寧に、しかし素早く人払いをすると、私たちを隣へと招いてくれた。
「何かあったのかい」
「あー……、その……」
老婆の質問に、サマリサは言い淀んだ。死んだ者の噂話、しかも子供のことだ、聞きづらいのも無理はない。
私はサマリサを目配せで制し、代わりに問うた。
「単刀直入にお聞きしたい。アヤという名前の子をご存知ですか?」
世話役の目が驚きに見開かれた。
「なぜそのこと……彼女のことを?」
「イカワがその名を呼んでいたのです。他の子供にも話を聞きました。……亡くなられた子だそうですね」
世話役は正面からじっとこちらを見つめる。何か見定められているような空気に少し居心地が悪くなったが、私は視線を外さなかった。やがて老婆はため息をついた。
「ええ。アヤちゃんは、イカワの妹です。……もう数月前のことになるかね、あの子は姿を消してしまった」
「詳しくお聞きしても構いませんか」
「いいけれど、アヤちゃんのことが、お二人に頼んだことに関係があるのかい?」
老婆の質問に、私は慎重に言葉を選んだ。
「そうと決まったわけでは……。ただ、知っておきたいのです。村の子供たちが気がかりにしているようだったので」
老婆はしばし黙って考え込んでいるようだったが、しばらくすると改めてこちらに向き直った。
「……悲しい話だから、あまり思い出したくないんだけどね。でもやっぱり、忘れられないよ」
そう言って世話役は語り出した。
「あの子たち……、イカワとアヤは、それは仲のいい姉妹でねえ。二人揃ってイタズラ好きで、村の連中が手を焼かされることも度々あった。けれど、皆まあ大目に見ていたよ。……あの子たちは母親を病で亡くしているから。人の気を引きたくなっても無理もないってね」
「……そうだったのか。じゃあ、他の家族は?」
サマリサの問いに、それがねえ、と世話役は物憂げにつぶやく。
「父親は今も一緒に暮らしているんだ。しかしまあ、彼女らの面倒をよく見ていたとは言えなくてね。働かせるだけ働かせて、あとは放ったらかし。今も酒でも食らって寝てるだろうね」
私たちは顔を見合わせた。非難めいた老婆の口ぶりから察するに、姉妹の父親の態度は、単なる放任主義と言えるようなものではないのだろう。
老婆は話を続ける。
「あの日も、姉妹だけで川へ遊びに行ったそうだよ。二人で遊んでいる時に、アヤちゃんはいなくなった。イカワの話では、ほんの少し目を離しただけだったそうだ。見張っている人は誰もいなかった。村の総出で探したけれど、とうとうアヤちゃんは見つからなかった」
「……水の事故、ですか」
老婆は頷いた。目尻の皺が憂いを帯びて深くなる。
「不幸が重なって、イカワは、……あの子は、自分はひとりぼっちになったと思っているんじゃないかね。妹がいなくなってから、少し気がきつくなって。他の子供達とも諍いがちになっているようだ。……それと、あんまり寂しくなったからかねぇ、あの子は、水の中を見てアヤちゃんの名前を呼ぶようにもなった。なんにもいやしないのに。子供達は子供達で、川に何かいる、足を引っ張られるって騒ぐし」
老婆は深く息をついた。
「私たちも、叱りはするけれど、あまり強くも言えなくてね。だって、あんまり不憫じゃないか」
「……なるほど」
大体の事情は分かった。私はもう一つ、思いついたことを訊ねる。
「村で河童のような噂がされるようになったのは、アヤちゃんの事故があったから、というのもあるのですね。彼女の事件が、異変の始まりとされていると」
老婆は黙っていたが、否定はしなかった。夏の濃い青い空を目を細めて見上げ、そして意を決したかのようにこちらを向く。
「ねえ、本当にアヤちゃんがいるのかい。助けられなかった私たちを、あの子は恨んでいるだろうか」
世話役の目には切実さが滲んでいた。深い後悔と、悲しみと、そして恐れ。
「……川に怪異がいるのは、確かです。ただ、イカワはあのケジをアヤと呼んではいましたが、あれと死者とは別物だと、私は思います」
よく勘違いされることだが、ケジは亡霊とは違う。死者の思念がケジになるなどということはない。
とは言え、人は自分の信じたいものを信じがちだ。後悔を背負い、物語を作り出してしまっている人間相手に懇々とケジと死者との違いを説いたところで、納得してくれることは多くない。仕事を進める上で大事なことでもないので、私はあまり長々と説明はしないようにしていた。
「あのケジからは、悪意も恨みの念も感じませんでした。……たとえあれがアヤちゃんだったとしても、遊びたいか、まだイタズラがし足りないのだと思いますよ」
嘘でも本当でもなかった。いかにも術者然とした雰囲気を出してこういう言い方をするほうが、幽霊などいないと言い切るよりも相手に受け入れられやすいことを、私は旅の経験上知っていた。案の定、世話役はいくらか安心したように表情を和らげた。
私は頭を下げる。
「話を聞かせていただいてありがとうございました。私たちでもう一度調べてみます」
「ありがとうね、頼んだよ」
世話役の家から少し離れた木陰まで歩いて、私とサマリサは足を止めた。周りには誰もいない。ここならば二人だけで話ができそうだ。
「なんか、事情がわかるようでわからなかったなぁ」
そうぼやいたサマリサは大きく伸びをし、ぐるぐると肩を回した。真剣な話の場で緊張していたらしい。
気まずかったのは私も同じだ。深く息を吸うと、どこからか刈られた青草の匂いがした。さわやかな風にいくらか気が緩む。
「水の中のケジ、アヤってのは、亡くなったアヤちゃんとは関係ないんだよな?」
「おそらく関係ない。イカワが同じ名前で呼んでいるだけだ」
「それは、あれか、術者の勘ってやつ?」
「勘というか、事実だ。人は死んだらそれきり。ケジになったりはしない」
「そういうもんか」
「そういうものだ。私の知る限りは」
ふぅん、とサマリサは納得したようだったが、すぐに首を捻った。
「じゃ、なんだって、妹の名前なんかでアレを呼んでるのかな、イカワは。そもそもどういうモンなんだ、あのケジは? 俺にはよく見えなかったし」
「私にも姿ははっきり見えた訳ではないが、そうだな……」
感覚的なものをどう説明したらいいか、私はしばし悩んだ。水の中を素早く動き回る姿を思い出していると、脳内にある獣の姿がふわりと浮かぶ。
「雰囲気だけを強いて言えば……、昨日獺を見ただろう、あれに似ていないこともない。動物的で、直情的で、活発だ。あまり物を考えていない」
「あんまり考えてない、ねえ。妹になり変わってやるとか、誰かを特別恨んでるとか、そういう感じではないのか」
「ないと思う。アレにはそういう邪気のようなものがなかった。どちらかというと、親しみのようなものすら感じた。……友達に対するもののような。イカワがそう接しているのと同じに」
「友達か。確かに、そうでなきゃ魚取りの手伝いなんてしないよなぁ」
私は水の中の影のことを思い返した。
一緒に遊ぶ、手伝う、イタズラもする。怒っていたら、一緒に怒る。友情というのか、単純な同調か。
水面に映る鏡像のように、ゆらゆらと揺らぎながら行動を共にする、この世の裏側のもの。
水底を目で追うイカワの姿が思い出された。無邪気に、楽しそうに、水のあちらとこちらで遊ぶ二つの影。
同じような想像をしていたのか、サマリサがしんみりと言った。
「イカワ、寂しいのかもな。妹がいなくなって、本当に悲しかったとこに、自分にずっとついてくるケジがいたら……。同じ名前で呼びたくなるかもしれないなぁ」
あのケジ自身は、多分、呼ばれている名前の意味など気にしていないのだろう。死とは何かも、死者の代わりにされていることも、わかっていないのかもしれない。
「あのケジの行動の決め手は、アレの意思というより……、どちらかというと、イカワにある」
私はケジの行動を思い返しながら言った。
「魚をとったり、子供の足を引っ張ったり……。発端はイカワの呼びかけや動揺だった。彼女の感情がケジを動かしている可能性がある」
サマリサが眉を顰める。
「『アヤ』を動かしているのは、イカワ自身? ……それってちょっと、大分、危なくないか」
「ああ。それも、子供達の話を聞くからに、恐らく今日のようなことは初めてではない」
川の曰くの正体。少女と戯れる水の向こうの影。
「あのケジ自体が邪悪なものではなくとも、それに共鳴しているイカワの方が、誰かに強い憎しみを覚えたら……。もしものことが起これば、誰よりイカワ自身が悔やむことになる」
私とサマリサは目を見交わした。私は頷き、口を開く。
「イカワに会いに行こう」
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