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第3話

翌日、グレンに連れられて久しぶりに外へ出た。 振り返って初めて見たグレンの家は、とても大きく立派なお屋敷で驚いてしまった。 グレンは俺の反応を見て何も言わなかったけれど、呆れていたんじゃないだろうか。 街の片隅……それすら許されない黒を持つ俺。この世界から嫌われて隠れるように生きている俺には、目の前のとんでもなくでかくて立派なお屋敷に、もう口をあんぐりと開けて呆けるしかなかった。 こんな立派なお屋敷に住むグレンはきっとそれなりに上位の貴族なのだろう。こんな凄い所に思いがけず何日も滞在してしまった事はこれから先の辛い生活の中で、大事な拠り所になってくれる。 気持ち悪いと言われている俺が、こんな贅沢な場所で優しくして貰えた事は感謝してもし足りない。 お屋敷から暫く歩き、グレンに店の近くまで連れていってもらった。 普通貴族はちょっとした所へ行くのにも馬車を使うらしいけど、馬車で俺の住んでた所に行くのは流石にちょっと……あんな場所にわざわざ馬車はないと思う。 体力をつけるために歩きたいと、もっともらしい事を言えばグレンも無理強いしてくる事はなかった。 店がある場所がわかれば後は問題ない。そこからは俺がグレンの道案内をした。 店からあの廃屋までは一時間程かかる。 街へ向かうのはいつも怖かった。 いつも店へと向かう時には自前のパーカーのフードを被り、こそこそと隠れるように歩いていた。それでも街行く人達は俺を見つけて嘲笑した。よくヒソヒソと囁かれ、後ろ指を指されていた。 髪や目だけでなくきっと着るものもおかしかったんだろうと思う。だけど服など買う余裕なんてなかった俺にはどうする事も出来ずに、それを甘んじて受けていた。 本当はこんな昼間に街中を歩くのは怖い。 だけどグレンはいつの間に用意してくれたのか、この世界でも通用する服を貸してくれた。更に頭がすっぽり隠れるフード付きのコートまで貸してくれて、初めて周りに溶け込めた気がした。 ちゃんとした服を着て横にグレンがいるだけでこんなにも心強く感じるとは。 グレンと借りた服のお陰で普段とは違い、嫌な視線も浴びずにゆっくりと歩く事が出来る。そんな感覚が初めてでなんだか不思議な感じがした。お陰で誰にも気持ち悪がられず、蔑まされずに街を抜けて俺の寝床へと戻って来れた。 「送ってくれてありがとう。俺ここで寝泊まりしてたんだ」 「……ここで?」 壊れかけて壁も屋根も半分崩れた建物はグレンには衝撃的だった様で、ここだよと教えると呆然と立ち尽くしてしまった。 グレンの屋敷は立派で、美術館みたいな豪華な建物だったからそりゃあ驚くだろう。俺はその建物に驚いてしまったけど。 そんなグレンを置いたまま、いつもの様にすこし屈んで、潰れた屋根の下にある壊れた窓から中に入った。 流石にこんな廃屋には誰も近寄らなかったらしく、床板の下に入れてあったお金はそのまま残っていた。 これが俺の全財産。金額はきっとあのお屋敷の朝御飯にも満たないだろうと思う。 でも今の俺にはこのお金しかない。その全てを持ってもう一度外へ出た。 家から出てもまだグレンは立ち尽くしたままだった。 「グレン、待たせてごめん」 「い、いや……かまわない」 声をかけるとグレンはハッとこちらに気付いた。 お金持ちにはちょっと刺激が強すぎる家だったのかもしれないけれど、今の俺には家を借りる事も出来ないのだから仕方がない。 俺はグレンの前に立ち、お金の入った拾い物の巾着をその手に乗せた。 「こんなんじゃ全然足りないとは思うけどさ、残りはちゃんと働いて返すから」 「……」 まただ。グレンは苦々しい顔をして手の上の巾着を見つめていた。時々グレンはこの表情をする。 こんな場所で気分も悪くなったのかもしれない。 「これはちゃんと働いて貯めた俺の全財産。別に悪い事して貯めた訳じゃないから安心して受け取ってよ」 俺みたいな奴がお金を持っている事に驚いているのだろうかと慌てて弁解をすると、グレンは益々眉間に皺を寄せ、終いには目を伏せてしまった。 「ミノル」 「え……んぎゅっ」 名前を呼ばれたと思ったらそのままグレンの腕の中に引っ張られ、ギュッと苦しい程に抱き締められる。 顔が熱くなる。眠る時にも抱き締められているけど、あれは寝かしつける感じのものだから。 どうしよう。胸が苦しい。 「お前は……何で……いつからこんな……」 「い、いつからって、んと……飛ばされて来てから?」 「飛ばされて?」 ああ、そうだ。俺グレンに自分の事何も話してない。 そりゃあ俺がどんな奴かもわからないのにお金を返すなんて、いくら優しいグレンでも信じる事も出来ないか。まぁ話した所できっとグレンには荒唐無稽な事だろうけど。 グレンならこんなおかしな話をしても……信じないかもしれないけどちゃんと聞いてくれる気がする。 「うん……グレン、俺の話聞いてくれる?」 「ああ」 廃屋の隅に二人で腰掛けて今までの事を話した。 ある日突然気付いたらここにいた事、何も持ってなくて街へ行ったら黒髪黒目が気持ち悪いと人に嫌な目で見られていた事、それでも生きる為に、お金を稼ぐ為に仕事先を探しても断られ続けた事、やっと見つけた職場で働いて少しずつお金を貯めていた事。 グレンは益々眉間に皺を寄せ苦々しい顔になっていったけど口を挟まずに最後まで聞いてくれた。 きっと信じてはもらえないと思ってる。だって違う世界なんて荒唐無稽な話、普通に生きてて経験する事なんてあるはずがないんだから。 だけどこれが俺の全てだ。グレンには隠す事なんて何もない。わかってはもらえないけど、知ってもらえるのは嬉しかった。 俺は本当はずっと、誰かに自分の話を聞いて欲しかったのかもしれない。 「ちゃんと毎日お金はもらえないけど、これからまた頑張って働いて……いつかちゃんとお金は返すよ」 「……そうしてまた食事を抜くのか」 「それはまぁ、仕方がないよ。気持ち悪いと言いながらも雇ってくれただけありがたいんだ。また少しずつ貯めるからさ、返済はちょっとずつになるけどそこは許してくれないかな」 本当は死にたい位辛かったあの生活だけど、グレンが親切にしてくれたからもう少しだけ生きる事にしたんだ。 見ず知らずの俺にこの世界で初めて親切にしてくれた。その優しさには感謝しかない。俺はこれからその優しさを糧に生きて、ちゃんと借りたお金を返して、グレンへの恩に報いるよ。 するとグレンの口から衝撃的な言葉が飛び出した。 「……もうあの店はない」 「へ……?」 ない、とは? 意味がわからず二の句が出てこない。 「あの店はあそこにあってはいけない違法の店だ。それだけではなく店の男娼を使って貴族の弱味を握り強請までしていた。俺があの店の経営と内部を調査していた時にお前と会った。先日、あの店に警備隊の手入れが入り店は実質取り潰しになった」 「とりつぶし……」 仕事先がなくなってしまった事に頭が真っ白になった。思い入れなんて全くないけど、明日からどうやってお金を稼げばいいのか。どうやって生きていけばいいのか。 何も無くなってしまった俺は、グレンにどうしたらこの恩を返せるのか。 あまりに突然過ぎて何も考える事が出来ない。 「あの日、店主の素性を調べる為に店に行った。殴られるのはわかっていたが、あの時は受け身が上手くいかずにミノルの事を潰してしまったな」 あの日……グレンと会ったあの日。グレンがオーナー達に殴られたから今俺はグレンの横でこうして話が出来る。グレンには悪いけど俺にとってあの日は特別な日だ。殴られてくれてありがとうなんておかしいかな。 「あの二人には逃げらてしまってまだ解決はしていないが、どちらにせよあの店はもう営業する事はない」 「……そうなんだ」 「……辛いか?」 それは店が失くなった事に対しての質問なのだろう。 自分にとって店が潰れて辛いのは仕事をする場所がなくなってしまった事だけ。俺はただ首を横に振った。 「また仕事探さなきゃ……」 あの店に雇ってもらえるまでどれだけ歩き回ったか。また途方もない時間をかけなければいけないのだけが辛かった。 グレンには悪いけど働き口が決まるまで支払いの猶予をもらわなきゃいけない。また罵倒されながら仕事を探すのかと思うと心が痛くなる。言葉は見えないけれど充分に俺を抉っていくから。 それでも、グレンにこんなに優しくしてもらった恩は忘れない。忘れられないだろう。俺がグレンの為に何か出来る訳ではないけど、せめてグレンには恩を、感謝の気持ちを返したい。 グレンの優しさだけが俺を俺としている事を許してくれた。グレンの優しさで今の俺は生きている。幸せな気持ちを溢れんばかりにもらっている。その思い出があればこれから先、辛くても生きていける気がする。 それ程にグレンは俺の心に深く刻まれてしまった。 「ミノルの居た区域は貴族達が集う地区で、古くからある街だ。あそこに集う連中は爵位が全てだと古い考えを持つ奴らが多い」 諦めにも似たため息を吐きながらグレンは言葉を続けた。 「馬鹿な貴族連中は爵位だけじゃなく王家に近い髪色を上位とする奴らが多い」 「どういう事?」 「金の髪に青い瞳……王家にはそういう色の者が多くてな、バカな貴族達はそれに近い色を持てば同じ爵位でも自分が偉いと勘違いする」 そういえば、街の人達はみんな基本金の髪だった。濃いか薄いかの違いくらいはあるもののみんな同じような色。だからこの髪の色が余計に際立って見えたのだろう。 今初めてちゃんと、自分が忌避される理由を知った。誰も教えてくれなかった事だ。 「ミノル、この道を右に行けばお前の働いていた店がある」 グレンが家の前の道の先にある分かれ道を指差した。俺もその指の先を見つめて小さく頷いた。 そこには少し前まで毎日ふらつきながらも通っていた道がある。 「この道が貴族街への道」 この道の先は大きい建物が多かったから雇ってくれそうな所があるかもと、今までその道しか歩いたことがない。 貴族街……そんな呼び方をするのか。何の知識もない俺にグレンは色々教えてくれる。 「ミノルにとっては厳しい街だ」 うん、そうだった。雇ってくれたのはありがたいけど、辛くて苦しい街でもあった。だけど生きていくために俺はずっとこの道を通い続けていたんだ。これからはグレンへの恩を返す為に通うのだろう。 でも以前程辛いとは思わない。だって心にはグレンがいる。グレンへ恩を返す為だと思えば辛い事も苦しい事も耐えられる気がする。 「もう貴族街へは行くな」 「え?……でも仕事を」 「行くな」 真摯な瞳を向けられて尚反抗する事など出来ない。 だけどそうなると俺はどうやって仕事を探せば……。 「仕事なら俺が……」 並んで座っている間に置いた手にグレンの手が重なる。 「だから」 その手をぎゅっと強く握られた。どういう事?グレンが仕事を紹介してくれるって事?だけど俺はそこまでグレンに甘えてもいいのだろうか。 どういう事かと話の続きを待つが、グレンはその後口ごもってしまった。 「グレン?」 怪訝に思い顔を覗きこむ。グレンの表情はとても複雑だった。困ったような苦しいような嬉しいような……それをどう受け止めていいのかわからない。 「少し歩く」 ふいっと視線を逸らされて急にグレンは立ち上がった。俺もそのグレンに引っ張られる様に立った。そういえば手を握られたままだ。 「行くぞ」 「えっ?あ、うん」 あの、手を繋いだままだけど……。そう思ったがグレンはズンズンと歩き出す。それが特に嫌な訳ではないからそのままにした。 グレンはさっき話していた貴族街へ続く道とは違う、もう一本の道を選び歩きだした。 まだ俺は歩いた事がないもうひとつの道。 この先には何があるのだろう。片方は貴族街。俺にはとても厳しい場所だった。 こちらの道でもやっぱり俺は同じように苦しい思いをするのではないか。 でも、今はグレンが側にいる。それだけでその辛さにも耐えられる気がした。

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