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第5話
「俺じゃなくてもいいだろ……」
申し訳無さそうに執務室に呼びに来た俺の部下、警備隊北地区の副隊長トーリィ・レグレストにため息をこぼす。
トーリィはここの所連日来る貴族の相談とやらを今日は躱しきれなかったらしく、執務室まで俺を呼びに来た。
「お願いしますよ、あの人何度も来るし俺じゃ無理なんですって!相手が侯爵様ともなると俺みたいな下っ端相手じゃキレるばっかりなんですよー」
副隊長を相手に下っ端などと言う貴族の相手などする気にもならない。しかし正規の手続きを経て話を聞いて欲しいとなると、それが例え傲慢な相手でも聞かなければいけないのだ。
貴族が警備隊に相談など普通ならしない事だ。
貴族には貴族の揉め事に対応する機関がちゃんとあり、そこで話を聞く相手も役人である貴族。結局見栄を張りたい貴族同士、腹の探りあいになりまともに話が進まない。大抵は口さがない彼らにすぐその話を拡散されてしまい社交の話題になってしまうのが常だった。まぁそれを見越してわざわざそこへ相談する貴族もいるらしいが。
こっそり何か相談や頼み事をしたい場合、通常は爵位など関係の無いよろず屋などに話を持っていく。よろずというだけあって、顧客は平民から高位貴族まで多岐に渡るし口が堅いと評判だ。
普通の仕事であればそれ程高いものではないらしいが貴族の持ってくる話などは基本厄介事ばかり。足元を見られて安くはない金を請求されるらしく、余程の事がないと頼む事は無いらしい。
厄介ごとは何とかしたい、しかし余計な金は使いたくない。そんな輩は安価で言うことをききそうだと最近は警備隊などに彼らは内々に相談事を持ってくる。
簡単なトラブルならまだしも面倒事を押し付ける為に高圧的に相談と言う名の命令をしてくる質の悪い貴族達もいる。
近頃よく来るのがその頭の悪い連中の相談事だった。
「警備隊はよろず相談所ではないんだがな」
「応接室に通しましたからね」
「無駄に迅速だろ……」
うちの副隊長は普段ぎゃーぎゃー喧しいのに仕事は常に迅速だ。今その能力を発揮しなくてもいいのだがなぁ、と嫌味が存分に含まれた言葉が出てしまうのも仕方がない。しかし、トーリィは綺麗にそれを無視してくれる。付き合いが長いのも考えものだ。
「面倒だ」
「ですよねー、頑張って下さいねー、グレインフォード・エイスフル隊長ー」
さあさあと扉を開けて待っている部下を横目に重い腰を上げた。
部下では相手にならないと言うが、例え隊長である俺が話を聞いた所で同じ対応にしかならない。
それでも上の者に話を通せば何とかなると思っている貴族達の相談など、ろくなものではなかった。
「何度来られましても」
「他に頼める所がないんだ!」
「理由もわからず取られたお金を取り戻して欲しいと言われても困ります」
この男の来訪は三度目だ。
来る度にトーリィや他の者が同じ事を言っても上の者を出せとごねられていたという。
たまたま先の時は俺がここに居なかったから帰っていったが、今回は俺が在勤していると知った上での来訪らしい。しつこい男に「隊長がくるまでは帰らん!」とごねられれば、相手が貴族という事もあり断る事も出来なかったらしい。
弱者を守る為の警備隊を貴族は何だと思っているのだろうと、自分も貴族の端くれな事を棚に上げて考える。
「こういったご相談は然るべき所へお話を持っていっては如何ですか」
「これ以上無駄な金を払う事は出来ないんだ!ただでさえ絞り取られているのに……」
ブツブツと口ごもりながら文句だけは止まらない男を見て、こちらも小さくため息をつく。
絞り取られる程の理由がお前にあるからこうなるんだろう、とは口には決して出さないが。
目の前でふんぞり返りながらも愚痴を言う男は、資料を見ると貴族街に住んでいる侯爵ノーマン・スレイン。元々はそれなりに中々のいい男なのだろうが、ふんぞり返り、落ち着かなく怒っている姿でそれも台無しだった。部下に話した内容から推測すると、何かやましい事をネタに強請られてそれなりの金を払ってしまったらしい。
強請られる原因を作ったのもお前なら払ったのもお前だろうに。それが嫌なら金を払う前に何処かへ相談すればいいものを。
しかしそれは今更な事で、目の前で男が憤慨しているのをいつまでも眺めている訳にもいかない。自分にも本来の仕事があるのだ。
「侯爵殿は何故金銭の要求に応えたのでしょうか」
「それは、強請られて仕方なくだな」
「……では、何故強請られたのでしょう」
「それはっ……」
それを聞かなければ話は先に進まないのだ。いい加減諦めてもらえないだろうか。男はモゴモゴ言うばかりで一向に話が進む気配が無かった。
「何か強請られる理由があったのですか」
そう言うと男はカッと怒りで憤怒の表情になる。人は図星を指されると怒るものらしい。
仕事の邪魔をされて怒りたいのはこっちなのだが。
「お前達は貴族を守るのが仕事だろう!金を取り戻してくれればいいだけだ!」
「我らは民の安全と安心を守るのが仕事です。そこに階級は関係ありません」
「貴族だってお前らの言う民だろうが!」
ふんぞり返って怒鳴り散らす目の前の男は、特権階級を鼻に掛けて普段は胡座をかいているクセにこういう時ばかり無駄に頭が働くらしい。
屁理屈ばかりを言いやがってと内心で舌打ちをする。
「では、どのような事で強請られたのか詳しく教えていただけませんか」
「……っぐ」
理由がわからなければこちらとて全く動けないのだ。
まぁ侯爵殿はそんな事言えないだろう。強請られたと言うなら知られたくない事を知られたと言う事だ。
ここで話す事はどうしたって公になる。訪問履歴がある限り、その報告書を作り本部に渡さなければいけない。それをわざわざ「内密に」などと言われても土台無理な話である。
知られたくないなら何故ボロを出して金を取られるのか。お前の危機管理が足りないからだろうが。
そう思っても言葉には出さずに笑顔を貼り付ける。
「理由がわからないと警備隊は動けませんよ」
「……もういい!」
チッ、と舌打ちしたその男は失礼する、と捨て台詞を吐いて怒りながら部屋を後にした。
フゥーっと息を吐き出し、ソファーに背中を預けた。無駄に疲れてしまった。
あんなのは相談でも何でもないだろう。何故わざわざここまで来てくだらない愚痴をこぼすのか。使いたくない金なら使わない様に自分で努力してほしい。
客が帰ったのを見計らってトーリィが応接室へと入って来た。
「最近多いですね、内密にっていう相談」
侯爵はトーリィが出したお茶も飲まずに帰っていったが、淹れた本人はそんな事は気にせずにカチャカチャとカップを片付け始めた。トーリィの淹れるお茶は中々旨いのに勿体無いな、などと思いながら手元の侯爵の資料をめくった。
他国との貿易に手を出している所を見ると、その辺りで何かの失態をしてしまったのか。まぁ、本人が理由を言わないならそれまでの事。他に読む所など無く、不要になったその資料をテーブルへと放おった。
「全く、よろず屋にでも行ってくれないだろうか」
「貴族がよろず屋に行くと足元を見られるらしいですからね。あの侯爵様もお金をそんな所に使いたくないんでしょ」
余り物怖じしないトーリィの物言いが普段通りで、ささくれた気持ちも少し落ち着いた。
トーリィは男爵家の次男坊だ。努力してこの警備隊に入り、今では街の人達にも信望の厚い立派な副隊長になった。
彼の気さくな話し方は人の心にうまく入り込む事が出来るらしく、仕事柄とても役立っていた。
トーリィと話すとクサクサした気持ちが少し和らぐ。
「嫌なら強請られても払わなければいいと思うんだけどな」
「それはあれですよ。きっとお貴族様なりの『やましい理由』があるんでしょう?」
「どんな理由やら」
「俺じゃ全く想像つかないですよ。後学の為に是非教えてもらいたいんですけどね、その理由」
うーんと唸りながら考えるトーリィに思わずクスリと笑ってしまう。
本人が気付いているかどうかはわからないが、こうして場を和ませる才は彼独特のものだった。
「隊長相手ならもう少し話をしたら教えてくれたんじゃないですか?」
「そんなもん聞きたくもない」
「ははっ、ですよねー」
翌日、本部から呼び出しがあった。正確には警備隊本部のトップでもある俺の上司からだ。
本部統括部へ行くと、上司は今来客中だという事で、彼の執務室へと案内された。
暫く待っていると部屋の扉が開いた。
「待たせたな、グレインフォード」
「お久しぶりです大隊長」
立ち上がり挨拶をすれば堅苦しい挨拶はしなくていいと早々にソファーへと座らされた。
「お前疲れてるな」
「……疲れてますかね」
あの後ももう一件、同じ様な「相談事」を持ってきた貴族がいた。
同じ様にあしらって追い返したが、普段巡回で街中を動く方が好きな俺には、貴族の相手は面倒な厄介事でしかない。気持ちの疲れが表に出ていたか。
正面に座る大隊長はそんな俺を見てクスリと笑った。
「歳のせいか俺も最近疲れが取れなくてなぁ」
「大隊長はまだお若いでしょうが」
父の友人でもあるギュンター・ロデウム大隊長殿は時折こうして歳の事を口にする。確か父と同い年でまだまだ現役で充分な年齢だ。頭脳も実力も俺などは到底足元にも及ばない。昔は騎士団の更に上、王宮騎士団の団長をしていた実績もあり、俺の憧れだった。
彼の下で仕事をしたいと言った時の父のがっかりした顔は今でも忘れられない。
「お前の部隊にも来てるのか?貴族の奴等の相談とかいうやつ」
「来てますね」
「あいつらもなぁ、お前の正体知ったらおいそれと相談事なんざ出来ねぇと思うんだがなぁ」
「そんなのあって無いような物ですから」
父の友人である彼は勿論俺の家の事も知っているが、俺は貴族のしがらみが苦手で昔から地方に嫁いだ叔母がいる侯爵家のエイスフルを名乗っていた。
俺の今の仕事に公爵家と言う肩書きは必要性を感じていなかった。
「ところでな」
大隊長が話を切り替え少し声をひそめた。つられて自分もテーブルに身を乗り出し大隊長に近寄った。
「その貴族の話だが、ハイデン侯爵の所もまんまと引っ掛かっちまったそうだ」
「ハイデン侯が?」
ハイデン侯爵といえば国の財務大臣。漬け込まれる隙など無さそうな勤勉な方という印象が強く、強請られる要素が思い付かない。
「正確にはハイデン侯の三男坊だがな」
「その三男坊に強請られるネタがあった、と言う事ですか」
大隊長が頷く事でそれを肯定した。
「堅実な父親や兄とは違い、三男は地方で領地の管理を任されていたんだが、家族の目が届かない事をいいことに娼館遊びが激しかったらしい。通うだけでは飽きたらず、色んな場所で気に入った男娼を買い上げては領地に愛人として囲っていたそうだ。その資金は侯爵領の税金を上げて着服していたが、三男坊の遊興振りは着服金だけでは資金繰りも厳しくなって、国へ支払う分にまで手を付けちまった。そこを何者かに目を付けられて、強請られてまんまと支払っちまった訳だ」
「……自業自得じゃないですか」
酷い話に呆れてしまった。領民に辛い税を課せて使い込んだなどと言うその行いはまさしく自分の撒いた種に他ならないだろう。
「まぁそうだな。後宮よろしく愛人集めて遊興三昧の三男は更に強請られた事で、税金を納める目処が立たなくなってとうとうハイデン候に泣きついた。そこで初めて自分の息子の所業を知ったハイデン侯は慌てて金策に走り、何とか今回は税を納めた。ハイデン侯はその後すぐに三男と縁を切っちまったそうだ。侯は領地の建て直しを終えたら責任を取って辞職したいとグラリアス・ドゥリモア公爵に相談を持ちかけた」
領地や民に誠実であろうとするあの真面目な財務大臣殿には三男の所業は余程衝撃だったのだろう。
「三男の処罰を身内で済ませたハイデン侯の辞職を止めたいが、相談を受けた時点でハイデン侯の心は決まっていてな……事情が事情だけにどう扱っていいかあぐねているんだ」
「それは……代わりになる者がいないと?」
あれほどしっかり国の財政を管理出来るのは彼以外にはいないだろう。後任を任せるに足る人物を今のところ思い当たらなかった。
「頭の痛い話だがその通りだ。そこでだ、お前に内偵を頼みたい」
大隊長の言葉に目が点になる。何故自分が?適材適所というものがあるだろうと大隊長を見た。
「内々にな、グラリアスから調査の依頼があった。最近増えた貴族への強請の件もそれに絡んでいるのではないかとな。さっきもその件でこちらに来ていたのさ」
「父が……」
先程までの来客の相手は父だったのかと初めて知った。父はハイデン侯と昔から親交があったな、と遠い昔の記憶を思い出した。
「本当は警備隊のお前に直接頼みたい所をわざわざ俺を通して来たんだ……察してやれ」
「……はい」
父の名を出されてしまえば断る術もない。仕事を認めてもらえている事は素直に嬉しいが、他の貴族の裏を探らなければいけない事にはげんなりする。
しかし早々に弟に跡継ぎの座を託し、やりたい仕事をしている我儘を父は容認してくれているのだ。その父が頼ってくれるならば応えたいと思う。
「グレインフォード・エイスフル北部警備隊隊長。明日から三日休暇を与える……いいな」
「承知」
「頼んだぞ」
その日の夕方、学生時代からの友人二人を中街の酒場へ誘った。
貴族街と下町の間にあるこの中街はどちらの住民も余り垣根を作らずに人が集まる。
入った酒場は普段行く下町の酒場よりは少し高級だが、貴族にはそれでも安く飲めるしツマミも旨いと警備隊や騎士達の間で話題になっていた場所だ。
誘った二人は警備隊に勤務している同僚でもあった。
友人の一人は同僚のサーキス・ローウェル。侯爵家の嫡男で俺と同様、警備隊の東部隊の隊長だ。飄々としているが俺と違って人付き合いが上手く、芯がしっかりしている。少し張りのある茶の入った金の髪を一つに束ねている様は引き締まった体躯と併せて彼によく似合っていた。彼とは学生の頃からの友人でお互いに切磋琢磨する仲だった。
もう一人友人、アルベルト・マイヤーは侯爵家の三男だ。うちの部隊の事務方を勤めていて彼も学生の頃からの付き合いだ。少し長めの緩く巻かれた金の髪が肩にかかっていて少し幼く見える。少し甘えん坊のきらいはあるが、学生の頃は俺やサーキスには及ばないものの中々優秀だった。剣技はあまり得意ではなく今は文官として北の部隊になくてはならない存在になっていた。
二人には理由を告げず、ただ久しぶりに飲みたいと誘ったがどちらも二つ返事で了承してくれた。
ここに来たのは貴族と平民が集まり賑やかな場所だからだ。酒場では色んな情報が手に入りやすい。それが下世話な話であればあるほど酒場では旨いツマミとなって人の話題に登りやすい。
噂話や愚痴、何か少しでもその中に欲しい情報があるかもしれないと思い二人を誘った。
普段誘われるばかりの俺が声を掛けるとアルベルトは素直に喜んでいたが、察しのいいサーキスには何かあるなと読まれている気がする。
俺達は他の客同様にホップ酒をグビリと呷り、表向きは楽しく酒を飲んでいた。
普段の警備隊の制服から私服に着替えて飲んでいると仕事を忘れそうだ。
繁盛しているその酒場は賑やかで、貴族も平民もそれぞれ楽しく飲んでいる様だ。時々愚痴も聞こえてくる。
「ここ初めて来たけどすごい人気だね。うるさい位だ」
「まぁこれだけ旨い酒とツマミがあれば貴族だろうが、肉屋の親父だろうが心の箍が外れて賑やかになるさ」
驚いているアルベルトに対し、サーキスは相変わらず飄々として楽しそうにツマミを口に運んでいた。
「まぁ、そうだな。酒もツマミも噂通り、中々旨い」
舌鼓を打っていると隣に座っているアルベルトが肩に凭れて来た。
「ねぇ、グレインもさぁ、たまには外せばいいんじゃない?その箍」
少し酒に弱いアルベルトも少しほろ酔いで楽しそうだ。
こうして昔からの友と酒を酌み交わすのは久方ぶりで学生の気分に戻った気がする。これに仕事が絡んでいなければ心置きなく楽しめただろうに。
「今は別に外す必要もないなぁ」
つまんないの、と言いながらアルベルトはまた酒を一口飲んだ。その拗ね方に学生時代もよくこうして甘えていたな、と懐かしくなる。俺もサーキスもアルベルトの事は弟の様に可愛がっていて周りからは兄弟の様に思われていた。
「グレイン、お前もたまには気分転換に色街でもいったらどうだ?枯れるぞ」
「興味がない……もう枯れたかな」
昔はたまに三人で色街に行った事もあるが、どうも娼婦や男娼相手に性を吐き出すのは事務的になってしまって楽しいと思えなかった。数回付き合ったがそれもすぐに二人を見送る側になっていた。
「昔は連れだって行ってたじゃない。男娼が嫌なら僕が相手しようか?」
「アルベルト、そんな冗談は他の奴に言うと本気にされるぞ。アルベルトはただでさえモテるんだからな」
「ふふっ、真面目だなぁ。こんな事グレインにしか言わないよ」
からかってくるアルベルトを叱るとへへ、と笑いながら肩を竦める。こんな明け透けな冗談を言えるのも気の置けない友だからだろう。
その後も俺達は懐かしい話をツマミに旨い酒を飲んでいた。
周りは酒が入った街の人達で賑わっている。
酒場は全て席が埋まっていてその繁盛ぶりがよくわかる。
誰もが楽しげに酒を飲み、大声で話をするせいでお互いがお互いに聞かせる為に更に声が大きくなる。
俺も他愛ない話をしながらその中から何か有力な情報を拾えないかと喧騒に耳を傾けた。
貴族街の色街に近いこの場所はそこへ行く前の待ち合わせにも使われる事も多い。
その貴族達の酒の肴に目的の話題が含まれていないかと酒を飲む手を止めずに周囲に気を配った。
しかしそれも隣のテーブルの客がクダを巻いているせいでどうしてもそちらに気を取られてしまう。今のところ情報収集は上手くいってなかった。
「まぁまぁ落ち着けよ」
「落ち着けるか!あそこをクビになってから俺の生活はメチャクチャなんだよ!」
隣の客はさっきからずっと酒を呷り怒り続けていた。次から次へと酒を頼むので友人らしい男はずっとそれを宥めている。
「だから憂さ晴らしに飲みに来てんだろ」
「でもよぉ、稼ぎもなくなっちまって次の仕事は見つかんねぇし、嫁には仕事先が見つかるまで帰ってくんなってドヤされるしよぉ……ううっ」
クビになったという男は怒りと悔しさで愚痴が止まらず、その友人は話を聞きながら慰めていた。二人は気心の知れた友なんだろう。
泣きながらホップ酒を呷る男もそれに付き合う男も下町に暮らしている平民だろう。仕事をクビになって悔しがる男の泣き言は、平民であろう彼らの仕事の浮き沈みの厳しさを物語っていた。
「ほら、泣くなよ。何でクビになったんだ?どんなヘマをしたんだよ」
「ヘマなんかしてねぇよ!ある日店主が気持ち悪いチビを雇ってよ、俺ら三人がしていた仕事を全部そいつ一人にやらせる様になったんだ。そしたら急に店主から無駄金は使えねぇって俺達三人ともクビだぜ?」
「そりゃひでぇな」
「だろ?自分達も貴族だからってよ、平民は雇えねぇっつって追い出しやがった!」
世間では爵位を笠に着て権力を振りかざし平民をあからさまに見下す貴族がいる。貴族同士でも爵位ばかりを重んじて、どちらが上かと張り合う輩がいる事も確かだった。
「何だ?雇い主は貴族なのか、そりゃ仕方ねぇだろう。平民なんぞお貴族様にはゴミと一緒だ」
「だけど残ったチビはもっとみすぼらしい物乞いみたいな奴なんだぜ?理不尽じゃねーか!」
「まあまあ、ほら飲め」
クダを巻いている男は飲み仲間にホップ酒を進められまたグビッと喉を潤す。
「あの店は裏で男娼を売ってるクセにケチ過ぎる」
「え?色街は七番街だろ?お前の働き口は六番街だったろうが」
すると男は声を落とし、ニヤリと笑った。
「……ここだけの話さ、あそこの店はこっそり娼館まがいの事をしてるのさ。どこからか男娼を仕入れてよ、それを貴族様に売ってんだ」
「ほえー、マジか」
「マジだよ。そこで男娼を買った貴族は何故かあっという間に身代を潰していくんだ。あれは相当の金を搾り取られてんだと思うね」
「ひょぉ、おっかねぇ」
この都市の色街は厳しく取り締まっているはずだ。
七番街に登録している店以外は娼館を名乗る事もそのサービスをする事も禁じられている。これは取締りの対象になりそうだ。
今日の目的は果たせそうにないが先にこの問題を片付けた方がいいのかもしれない。サーキスを見ると同じ事を思っていたらしく無言で頷いた。
「げっ」
声を掛けようとすると、クダを巻いていた男から小さく驚きの声がした。
「どうした?」
「あいつらだよ、俺をクビにした奴等」
「あの二人か?」
「そう、綺麗な方が店主で横のは用心棒だ」
急に声を潜める男の視線が入り口へと向き、俺達も自然とそちらへ視線を移した。
そこにはゆるいウェーブがかった綺麗な金の髪を持ちキラキラと碧い瞳の、街を歩けば誰もが振り返りそうな極上の美人の青年と、くすんだ金の髪を無造作に後ろに束ねた、鍛え上げられた身体を持つ男が並んで入って来た。
事情を知らなければ、二人はこの店に飲みに来た恋人同士なのだろうと思う程の距離感だ。
隣の男はそっと顔を隠す様に俯く。流石に元雇い主にあうのは気まずいのだろう。
二人はそんな男に気付きもしないで奥の席へと向かっていった。
暫くすると、先程の美人は用心棒とは違う男と腕を組んで奥の部屋から出てきた。
奥から出てきた男は顔や服をフードのついたコートで隠しているが多分貴族。隣の美人をエスコートする動きやコートの下に見える洗練された上等な靴や服が隠しきれていない。
しなだれかかる様に歩く美人に、エスコートする男は鼻の下を伸ばしてこの後の算段でもしているのだろう。フードの下に見える目はギラギラと隣の獲物を見捉えていた。
彼らは来た時と同じように周りの事など気にせずに表へ出ていった。用心棒は少し離れて二人の後を追う様にゆっくりと店を後にした。
「……はぁー、やっと行った」
俯いたままそれをずっと見ていたのだろう。男は彼らがいなくなったのを見届けると大きく息を吐き出した。
「ああやってな、上客は店主がわざわざ迎えに来るんだよ。待ち合わせにここを使ってんじゃ、俺もうここにゃ来れねぇな」
諦めにも似たため息をこぼす男には同情する。
違法の店で働くのは誉められたものでは無いが、情報提供者としては貴重な人物だ。
俺はそちらへ身体を向けてにっこりと微笑んだ。
「少し話を聞きたいのだが」
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