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第6話

その男を連れて俺達が普段よく使う、個室のある飲み屋へと移動した。そこは貴族が来る様なお綺麗な場所ではないので詳しく話を聞けるだろう。 急に三人もの男に囲まれた男はおどおどしていたが、サーキスが上手く宥めると諦めたのか大人しくついてきた。 店に入り酒を供するとやっと男は落ち着いて口を開いた。 男が話してくれたのは六番街にある会員制の高級酒場「ライカ」の店の実情だった。 ライカとは店主の名前らしいが本名かどうかは不明。用心棒も同じで、店ではキルシスと呼ばれていると言う。 二人は貴族だと言うが、それが本当かどうかも不明。誰も確認した事がなく、それを探ろうとした客もいたが、数日もすると店には来なくなった。 男にとっては貴族であろうとなかろうと雇い主という事実があれば気にしなかったのだと言う。 貴族にしては気品はなかったな、と先程の店主と言われた男を思い出す。 ライカは強烈な美人で色気も充分、男好きのする容姿を持っていた。だが、それだけだ。男に媚びるのは得意そうに見えたが、貴族として生きていると自然に身に付く気品や教養は全く感じられなかった。 男の話は更に続いた。 他に働いていたのは客を接待する少年が七、八人程。この中から店に出る子と仕入れた惣菜を盛り付ける係が交代しながら働いている。 料理人はいない。平民街の店から惣菜を仕入れ、それっぽい皿に少年が盛り付けるだけだ。 彼らは異様に金を出し渋るからさ、俺達みたいな平民がうまいこと雇われたんだよなぁ。だけどよ、クビになるなんて思わなかったんだぜ。 男は自嘲気味に笑う。 店も狭い、だけど客はいつも沢山の金を落とす。そんな商売上手な店で貴族相手の商売に関われるなど平民にとってはありがたいの一言に尽きるんだと言った。 店内は薄暗く、狭い所に客が六人入れば満席になる。席は半分だけ個室で、隣の席とは板で仕切られて大きめの一人掛けソファーとテーブルのみ置かれ、客同士が隣を見る事は出来ない造りとなっているという。その通路側は薄い布で隠されているだけで、顔は見えないが中で何をしているかはうっすらわかる仕組みになっている。 そこでは毎晩、店の男娼達が客の膝に座りいかがわしい接待をしているという。表向きは「甲斐甲斐しく接客をする店」と言う、どうとでも取れる謳い文句なのだとか。 ここまでなら、ギリギリ文句をつけられない接客付きの酒場だ。 だけどな、この店の常連になり、それなりの金を落とせば更なる特別サービスが受けられるんだぜ、と男はニヤリと笑った。 店主が認めた客になれると店の少年達はその貴族相手の男娼へと変わる。それを決めるのは店主のみ。無理矢理少年を襲ったりすれば、あの用心棒にボロボロにされ、二度と店には来られない。 客はそれをわかっているので店主に気に入られようと必死に金を落とす。客の貴族達は誰も店主には逆らえなかったそうだ。 店主が気に入り特別客になれると、金を更に払う事で奥の個室で一時間だけ男娼に好きな事が出来る。 一時間で出来る事は限られる。なので客は男娼との時間がもっと欲しいと更に金を積む。店主がそれを了承すれば客は男娼と一緒に店を出て貴族専用の宿へしけこむか、自分の屋敷へ連れ込むかして朝まで自由にする事が出来るらしい。 貴族としても外で見目麗しい男娼を自由に出来るとあれば、欲望だけじゃなく虚栄心や優越感まで満足させられる。またそれを味わいたいと貴族達は次回訪れる時には更なる金を落とす。 男娼にとってもそこはいい職場らしい。店主は男娼にだけはとても優しいという。 入口が小さいその店の六つある半個室は常に満席で、奥の三部屋は順番待ちも出るそうだ。それをうまく切り盛りする店の商才はかなりのものだという。 常連になるとお気に入りの男娼も出来る。オーナーと貴族の間で安くはない金が動き、買い上げられる事も少なくない。貴族はその男娼欲しさにいくらでも言い値で買うらしい。 男娼を買い上げた客はもう二度と来ないが、男娼は暫くすると何故かまた戻って来たりするそうだ。減った客は、店主がまたどこからか新しい客を連れて来るので途切れる事はない。 お陰で店の資金は潤沢、平民が働くには中々の実入りがあった。 それが新しく雇われたみすぼらしいガキ一人に全部かっさらわれてしまったのだから堪ったもんじゃないと男は憤慨した。 憤慨はしたが、三人でも忙しくて目が回りそうだった仕事をその小さいガキ一人がやるのは厳しいだろうにと心配もしていた。男の根本は善人なのだろう。 性行為のある店は色街に限られる。それを六番街の小さい店でやっているのだから明らかに違法営業だ。 男はそこが違法の店だと雇われてから知ったという。しかし生活がかかっていたので他言せずに長い間そこに勤めていた。 長く働けばそこの実情も垣間見える。 客の噂も色々聞いたぜ。男はそれを思い出しているのかにやにやと笑っていた。 それなりに給金をもらえていたので男はよくあの酒場で飲んでいた。たまに店に来ていたらしい客もここに来る事があり、勤めている店の話題が他の客から出る事もあった。客の顔は知らなくても、噂話は彼らがどの店の話をしているのかわかってしまう。 大抵はどの子が具合がいいとかどんな声で鳴くとか下世話な話が多い中、男娼をライカで買った侯爵が落ちぶれただとか、何処かで強請られて金を払っただとかの噂話が出る事もあったという。 結局は具合のいい男娼など金もないのに無理をして買い上げたからだとか、閨で頑張り過ぎて仕事が疎かになってしまうのだろうとか、彼らはそんな噂話を肴に飲んでいたそうだ。 店主が気に入った金払いがいい上客は自らが先程の様に迎えに行っている。そういう貴族は長く通う客で高位貴族が多いらしい。 男は客が誰かは知らないが、着ている物や所作で大体わかるもんだと話した。 金蔓を逃がさないその手腕は凄かったし本当にいい勤め先だったのにな、と最後に男はしゅんと気落ちして気の抜けたホップ酒を呷った。 色街は国に登録が必要だ。この王都では七番街に集約されて、決められた地域以外での商売を禁じている。店もそこに携わる人も皆、違法を犯して捕まれば安くはない罰金が課せられる。それでも取り締まりが追い付かないのはそれなりに実入りが良く、誰もがその享楽の為に口を割らないからだ。 こういった酒場で酒を飲むと口が軽くなるのが人の常だ。この男が噂話を酒場で聞いたのと同様に、それを求めて時々俺達警備隊は私服でこういった場所を巡回する事があった。 昔ながらの友人を連れて、少しでも何か得られないかと期待して入った酒場だったが思わぬ収穫だ。 父の思惑に応えられるかどうかはさておき、それに繋がりそうな情報を得られた事は僥倖だった。 最後に「ライカ」の場所を聞いて男を解放した。 俺達が警備隊だと最後に明かせば男は縮み上がった。しかし飲み代を奢り、今回はお咎め無しだが他言無用だと話せばペコペコと頭を下げて帰っていった。 男が去った後、俺達は先程の話を肴に酒を飲んでいた。 「「ライカ」は表向きは普通の酒場として登録してるんだろうな」 貴族街の事は基本騎士団の管轄で、警備隊ではそこまで把握していない。貴族が深く関わっているならば立場上介入は出来ず、本来ならば俺達が関わる事のない場所だ。 「気になるな……」 大隊長に頼まれた話、昨日警備隊に相談事を持って来た侯爵の話。どちらも「強請られた」話だ。 そしてさっきの男の話……貴族の噂話にも出てくる位だ。きっと強請があったのは一件や二件の事ではないのだろう。 大隊長の依頼の糸口がそこにある気がする。明日もう少し詳しく強請の事を探ってみるのもいいかもしれない。 「そんな店六番街にあったかな……グレインが気になるなら僕その店の事ちょっと調べてみるよ」 「俺もちょっと興味があるなぁ」 俺はそんな高級な店には行った事がないし興味もなかったから、今聞いた男の話に感心しきりだった。 二人もこの変わった店に興味を持ったらしい。 「商売人としては中々のやり手なんだろうな」 「まぁ、会員制ってだけで貴族からしたら特別感があるしな。そいつらは美味しそうな餌を見てるだけじゃ満足しない意地汚い奴等ばっかりなんだろ。そこに似たり寄ったりの同じ連中が来てるんだ。我慢出来ない見栄っぱりな奴等はまんまと法外な金を払っちまうんだろうなぁ」 サーキスが呆れた様に呟くと、アルベルトが同意する様にうんうんと頷いた。 「貴族って面倒だよね、見栄と欲で大変そう」 「そうだな」 先日警備隊に来たあの侯爵を思い出す。 先祖代々築き上げてきた物を見栄と欲のせいで強請られて絞り取られ、今何が残っているのだろう。 ハイデン侯だってそうだ。 本人の知らない所で息子が欲と見栄から落ちぶれて、親の全てを奪おうとしている。子供の頃会った事があるハイデン侯爵本人は真面目な規律正しい大臣で、貴族にはあまりいない実直な方だった。 そんな方でもこんな落とし穴が足元にあるなどとは思ってもみなかっただろう。潔い彼は長年勤めていた王宮での仕事から離れ、爵位を返上したいと父に相談している。 彼自身は誇りを持って仕事をしていたはずだ。きっと彼は今も幼い頃に会ったあの実直さを失くしてはいない。それは今の彼の仕事に如実に出ている事で明らかだ。 俺には爵位よりも警備隊の仕事が魅力があって爵位返上の辛さは理解出来ないが、好きな仕事から離れなければいけない辛さならわかる気がする。 「グレイン、お前明日から休みだよな」 「ああ」 「出掛けるなら、明日先に隊舍に寄れ」 「隊舍に?」 急にサーキスに言われた言葉の意味がわからずきょとんとしてしまった。 「アルベルトがその店を調べてくれるってんだ。どうせ休みはプラプラするんだろ?お前の事だ、店の事も気になるだろうし折角だから資料を貰ってから休め」 「なら明日朝から調べるよ。お昼前には用意しとく」 アルベルトはやる気になっているようだ。こんな店の実情を調べたりする事は事務方のアルベルトには無い事だし楽しいのかもしれないなと、その張り切り具合いに少し笑ってしまった。 「急かせる様ですまないな」 「平気だよ。じゃあ明日、僕の所に顔出してね」 「わかった」 「さ、これで心置きなく飲めるだろ?グレイン」 「……そうだな」 明日からどう動くか。考えていたところにサーキスからの思わぬ提案だった。それがあればもっと広い範囲で調べる事が出来そうだなと思った。 やっぱりサーキスには俺の思惑はお見通しなのだな、と昔からの友人のありがたみを再認識した。 「あれ?隊長、今日は休暇ですよね?」 翌日、昼近くにアルベルトの所へ寄り昨日話していた資料を受け取った。自分の部隊に顔を出すと皆が驚いてこちらを見た。 今週の街の巡回の持ち回りは西の部隊だったか。珍しくうちの部隊は半数以上揃っていた。いない面子は休みか個別の巡回だろう。 「休みだが、アルベルトに用があってな」 「えー?まさかアルベルトさんにデートの誘いですかぁ?」 面白そうにニヤニヤするトーリィの言葉に他の隊員もノリ良くおおっとどよめいた。 「何でそうなる。仕事を頼んでいただけだ」 「なーんだ、残念」 くだらない冗談を言う余裕があるのは街が平和だということだ。トーリィは思惑が外れたというように口を尖らせた。 「何が残念か知らんが暇なのか?レグレスト副隊長」 その言葉にトーリィはビクリと強張った笑顔をになった。 「あ!いやっ、暇ではないです!全然暇じゃないんですよ!俺これから巡回に行かなきゃ行けないですしっ!」 トーリィは強張った笑顔でジリジリと後退していく。その足は扉へと向かい、そのまま部屋を出ようとしているのが一目瞭然だ。そんなトーリィの肩をポンと叩き逃げない様にしっかりと抑えた。 「なら俺も付き合おうか」 「えっ?いや、隊長は休暇ですよね?今日休みですよね!?俺に付き合わなくてもいいですよ!」 「いや折角だ。一緒に出よう」 「ええっ?折角の意味わかんないんですけどっ!」 「たまには俺と一緒に回ろうか。新人の気分に戻るのもいいだろう」 「何で?いらんですって!新人の時にはもう戻んなくていいです……って、ちょっと隊長ぉー」 周りからは御愁傷様、頑張れ副隊長などと声がかかる。慕われててすごいなぁと笑ってやると、トーリィは違うでしょ!と不貞腐れてしまい更に笑ってしまう。 ほら行くぞ、と嫌がるトーリィの肩を掴んだまま引きずる様に部屋を出た。 「休みにはちゃんと休んで下さいよ。ただでさえ隊長は休まないんですから」 街を歩きながら資料を読んでいるとトーリィが横でブツブツと文句を言っていた。一応こちらを気遣っているのだろう。 「……何か気になる事があるんですか?」 資料を歩きながら読んでいた俺の横でトーリィは怪訝そうに俺を見た。 「……トーリィ、暫く俺に付き合え」 「へ?」 笑顔をトーリィへ向ければ、長い付き合いからゲッと言う声を漏らす。 「何か企んでますね?」 「そんな事はないさ」 「いや、絶対に嘘ですよねそれ!」 「いいから行くぞ」 「何なんですかもう!」 資料を懐にしまい、ある目的地へと嫌がるトーリィを連れたまま暫く歩いた。 「何処です?ここ」 俺達はある屋敷の門の前に立っていた。如何にも見栄を張った豪奢な造りだ。 トーリィは不思議そうに門と俺を交互に見ていた。 「あの……ここ、隊長のお知り合いのお屋敷ですか?」 「お前も知ってる奴の屋敷だ」 「ええ?俺こんな立派な屋敷の貴族に知り合いなんていませんけど」 「会えばわかるさ」 悩むトーリィをよそに俺はこの屋敷の門番へ声をかけた。 執事らしき男に通された部屋で、俺の横に少し引き攣った顔をしたトーリィが座り、俺の前には不機嫌さを露にした一度だけ会った事のある男が座っている。トーリィは確か三度目だったか。 「何をしに来たのか知らないがこちらも暇ではないんだが」 目の前のスレイン侯爵は、警備隊の先日の対応にまだ憮然としているようだ。警備隊を名乗り乗り込んできた事も腹立たしいのだろう。 何も進展がなく会いたくもない警備隊の輩を前に、追い返したい気持ちと縋り付きたい気持ちが表情に出ていた。 「先日は失礼致しました。此度の訪問は貴殿の仰有っていた「貴族の安全と安心を守る」手助けをしようかと思いまして」 「なんだと?」 ピクリと片眉を上げたスレイン侯爵は、動揺を隠しながらもこちらの話に興味を持った。 「……どういう事だ」 「強請の理由はこの際置いておきます。本日の来訪は警備隊としてではなく個人としてのものです。他言はしませんので包み隠さずにお話いただければ出来る範囲でご協力しましょう」 「本当か!?」 ひとつ頷くと目の前の男、スレイン侯爵はパアッと喜色を浮かべた。 「流石警備隊の中でも名高いエイスフル隊長だ!で、どうだ?俺の金はいつ戻ってくる?」 「まずは詳しくお話を伺いませんと」 「う」 アルベルトから渡された資料は「ライカ」の情報だった。経営状態やその収支。店主は商人と記載されていた。一見すると何らおかしい所がない普通の、少し他店よりも儲かっている酒場の資料だ。 しかしそれと一緒に渡されたのは店の顧客名簿だった。 顧客は名の知れた貴族が多く、騎士団に所属している貴族の名前も数人記載されている。その一覧には名前が消されているものとそうでないものがあった。 スレイン侯爵の名前には線が引かれ消されていた。それだけならあまり気にもしなかっただろうが、もうひとつの名前、ハイデン侯爵の子息の名前もあった事で一つの仮説を立てた。 この顧客名簿はサーキスが用意してくれたのだろう。彼は暗部の情報収集にかけてはピカイチだ。翌日にここまで揃うとは思ってなかったので驚いた。 「ライカ」の情報と顧客名簿。この二つから色々な事が導き出せそうだ。 改めていい友に恵まれているなと二人の行動力に感謝した。 「貴殿は違法の店で男娼を買っていますね」 「なっ!」 ズバリ言うと侯爵は明らかに動揺の色を見せた。やはりあの消された線は店に来なくなった貴族だったのだろう。 店に来なくなったという事は、昨日の男の話から導き出せば男娼を買い上げた者だという事だ。 「その男娼は今どちらに?」 「そ、れは……」 すると侯爵はみるみる青ざめて、言葉に詰まった。 「スレイン侯?」 「おっ、お前には関係ないだろう!」 「それを確認しなければこの話は進みません。公にはしませんのでお話いただけませんか」 公にしないと言うと激昂した侯爵もしゅんと大人しくなり、ちょっと待ってろと側に立っていた執事に呼びに行かせた。 スレイン侯爵とハイデン侯爵の子息。この二人に共通する問題は間違ってはいなかった様だった。 暫くして部屋に入ってきたのは十五歳程……成人を過ぎたか過ぎてないかの年頃の少年だった。 成る程、聞いた話は眉唾ではなかった。華奢で見目麗しいその少年は清楚さの中に仄かに色気が漂う、所謂男好きのする見た目をしている。 今まで眠っていたのか、少しぼんやりとしている彼は、羽織るローブからちらりと見える首元や鎖骨にほんのりと情事の後の艶かしい気配を見せていた。 隣のトーリィはあんぐりと口を開けたまま真っ赤になっている。どうやら恋人のいない彼には刺激が強すぎたらしい。 「ニール、こちらへおいで」 「ノーマン様?僕何で呼ばれたの?」 ニールと呼ばれた少年は素直に侯爵の隣へ座り不思議そうに俺達を見た。 「お客様?」 「そうだ」 「なぁに?ノーマン様、僕この人達の相手もするの?」 「馬鹿な事を言うな!俺がどれだけお前の事を愛していると思ってる」 「ふふっ、良かった。僕もノーマン様しかいらないもの」 「当たり前だ。俺もお前だけだ」 侯爵がしなだれかかる少年の肩を抱き視線を交わせば、うっとりと見つめ合う。ともすれば今にも情事の続きが始まってしまいそうだ。 俺は目の前で繰り広げられる三文芝居がかった光景を呆れる様に見る事しか出来ない。 トーリィは真っ赤になりながらも目の前の二人の姿に目が釘付けだ。 軽く咳払いをすれば侯爵はハッとなり俺達に視線を戻したが、ニールと呼ばれた少年の腰にある手はそのままだった。 「……連れて来たが、ニールをどうする。話によってはただでは済まさんぞ」 ギロリとこちらを見据える目がその本気度を表していた。侯爵はそれ程本気でこの少年に入れ込んでいるらしい。 「侯爵殿、私はただ彼にお話を聞きたいだけですよ。いいかな?ニール君」 そう少年に向かい優しく問いかければ侯爵の腕の中で少年はポッと頬を赤らめた。 それを見る侯爵がギロリと俺を睨んだが、こちらも仕事だ。不要な悋気などしないでもらいたい。 「お兄さんは僕に話が聞きたいの?」 「そうだ」 頷くとニールと呼ばれた少年はにっこりと微笑んだ。 「うん、いいよ。なぁに?」 「ここにはいつから?」 「うーんと、三ヶ月位前かなぁ」 「ここでの暮らしはどうだ?」 「うん、快適だよ。贅沢させてもらえるし、ノーマン様は優しいし」 「外出はしてるのか」 「うーん……時々?」 「その時は何処へ?」 「前勤めてた所だよ」 嬉しそうに話すニールの言葉には何の含みも無さそうだった。この侯爵に買い上げてもらえたのは彼にとっては本当に嬉しい事だったのだろう。 「何故辞めたのにそこへ?」 「元気かどうか知りたいから時々は顔を見せてねってオーナーに言われてるんだ。オーナーは辞めた僕達にもとっても優しいんだよ。だからまた戻ってくる子もいる位なの。でも僕は今侯爵様の所に来て幸せだからオーナーにはそう報告してるんだぁ」 「……そうか、幸せか」 「うん、幸せ」 にっこりと微笑むニールに嬉しさを隠しきれない侯爵はニールの腰を強く抱き締める。感極まっているのはわかるが、そんな戯れ事は俺達が帰ってから好きなだけやってくれと思う。 「そこではどんな話を?」 「幸せかって聞かれて、侯爵様は普段何をしてるんだとか、夜はお優しいのかとか」 「他には?」 「他?んー、後は……ノーマン様が何処で普段は飲んでるのかとか、どういう事にお金を使っているのかとか、侯爵様は今困ってないかとか、困ったら助けてあげたいから侯爵様のお友達を教えてとか……そんな感じ?」 その時話した事を思い出しながら指折り数えていたニールの横で侯爵は目を見開いた。 「ニール……もしかしてお前は店に俺が何に困っているのか話したのか……」 「うん、だってオーナーがノーマン様が困った時には助けてくれるって言うから……」 サッと青ざめた侯爵は次第にわなわなと震えだした。 「え……もしかして僕、言っちゃいけなかった……?」 侯爵の変貌振りにニールはオロオロしだす。 壁際にいた執事も少し青ざめていた。 ニールはがっくりと項垂れた侯爵の背に手を添えてごめんなさいごめんなさいと半泣きだ。 「詳しくお話してくれますか」 もう隠せないと諦めたのか、侯爵は先日のような覇気は一切見せずに項垂れたままだった。 「ああ……」 スレイン侯が半年程前に他国から買い付けた品々、それが実は輸入を規制されていた果物だった。 国の機関へと申請すれば問題ない話だ。その時は知り合いの商人が代わりに申請しておくと請け負ってくれた。彼の事を信頼していた事できちんと確認もせずに規制以上の買付けをした。侯爵自身、ニールの身請け金を捻出する為に必死だったという。 結果、そのお陰で儲けは膨らみ無事にニールの身請けもその利益で賄えた。 しかし、その知り合いの商人から後日申請書類を出し忘れていたと告げられた。 申請書類を出していない事でこのままでは追徴金やら罰金やらで仕入れに掛かった分の十倍請求される事になる。そこを五倍にまけて貰うように交渉するから金を渡せと言われ、素直に商人に渡した。 それから暫くたっても商人からは何の音沙汰もない。心配になった侯爵は初めて自分の足でその商人の店に訪れた。それまではいつも商人の方がこの屋敷に来ていたのだ。 ところが聞いていた実際の場所には、商人どころか店舗自体がなかった。 そこで初めて騙された事に気付いたが、探そうにも何も足掛かりがない。 酒場で意気投合し、一緒に商売がしたいと親交を深めたはずの商人は、聞いた話も、その存在すらも虚構だったのだ。 悶々としたまま暫く経った頃、屋敷に一通の手紙が届く。 『お前の行った違法行為の全てを知っている。口外して欲しくなければ相応の金貨を口止め料として渡せ』 脛に傷持つ身としては断る選択肢など無く、侯爵は言われるままにその金を渡してしまった。 今回はこれで終わりだが、また手紙が来るかもしれない。脅迫されて、全財産どころかニールまでもを取られてしまうかもしれない。 そう思うといてもたってもいられずに、侯爵は相談という名目で警備隊へと駆け込んだとの事だった。 「他で話をした事は」 「ない……この話を知っているのはそこの執事、エランドールとニールだけだ」 先日とは全く違うか細い声を出す侯爵の背中をニールは甲斐甲斐しくさすっている。その表情は申し訳なさでいっぱいだった。 「では多分、その商人は「ライカ」の息のかかっている者でしょうね」 「……そう、なのだろうな」 諦めにも似た呟きには後悔の色しか感じられなかった。 「僕がその話をオーナーに言っちゃったから?そのせいでノーマン様が辛い目にあってるの?どうしよう……ごめんなさいノーマン様……」 「お前が悪いんじゃない……俺がきちんと確認せずにお前欲しさに無理をして商売しようとしたのが悪かったんだ……」 手を取り合い見つめ合う二人のお綺麗なやり取りに、はぁとため息をついた。 侯爵はそれ以来その人物には会えていないと言う。 「どんな事でもいいんです、気付いた事を教えてくれませんか」 「……商人はミラフィスという男だった……眼鏡をかけていて、茶色の長い髪と同じ色の目をした雀斑のある美人だ」 侯爵の声は今にも消え入りそうに小さい。 しかし、容姿が少しでもわかれば探し出せる可能性もあった。 サーキスとアルベルトのお陰で少しは大隊長の依頼に応える事が出来るかもしれない。後はライカがどう関わってくるか、そこの確認をしなければならないだろう。 その商人とライカの繋がりを探さねばならない。 「その店は元々違法な商売をしています。うちで出来るのはその店に調査に入りオーナーを捕らえる事位です。極力侯爵の名前を伏せる様にはしますが……」 「わかった……」 スレイン侯はもうこれ以上話せないのか、俯いたまま呟いた。 「お金は……自業自得ですね」 溜まったものを吐き出して心が落ち着いたのか、俺の言葉に侯爵は素直に頷いた。

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