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第7話

侯爵の話を聞いた後、あのリストで名前を消されていた他の貴族にも会った。 彼らに共通するのは、皆過去ライカへ足繁く通っていた事、今はもう行ってはいない事。そして何かしらの強請にあっていた事だった。 そこで金を払った者と払わなかった者がいたが、どれも強請は一度だけだったという。 屋敷に戻り報告書を作成した。今回は内密にという事なので簡易的に済ます。 アルベルトからもらった「ライカ」の情報と酒場で聞いた男の話、サーキスの入手したリストの中から訪ねた貴族の話。それらの関連性と強請の事実。内密にと貴族達には話しているので今回は訪問した貴族の名前は伏せた。 この報告を大隊長がどう判断するかはわからないが、取り敢えずわざわざ休暇を与えられた分の結果は出たと思う。だからと言ってこのまま本当に休むのも流石に気が引けた。 報告書を書き上げて明日からの方針を考えた。 ハイデン侯の三男とスレイン候の強請の話がライカが関わっているのだとしたら……どうやって金を集めているのか。ライカと侯爵の話に出た商人との繋がりはどのようなものなのか。 気になる事項は多々あれど、貴族が絡んだ話だ。俺が勝手に動く訳にはいかない。今回はあくまでも内密にと大隊長からも指示されているのだ。 警備隊の立場にある俺に出来るのはライカの素性を調べる事位だった。 「隊長は何でこんな面倒臭そうな事に首突っ込んでんですかね」 隣でトーリィが不機嫌な顔で俺を睨んでいた。 気持ちはわかるがこれはトーリィに適任の仕事だ。昨日一日俺に付き合った事で俺が何をしているのかは察しがついているだろう。 「成り行きだ」 「だからって俺を巻き込むのはどうかと思います」 「はは、楽しいだろう」 「楽しい訳ないでしょう」 「あの男娼を見てデレッと鼻の下伸ばしてたのは誰だ?」 「あっ あれはっ!だってあんなに綺麗な人そういませんて!」 からかうように笑うとトーリィは案の定、真っ赤になって焦りだした。 「いるぞ」 「いたとしても会う機会が俺にあるわけないですから」 「よかったな」 「へ?」 「今からじっくり拝めるぞ」 俺はトーリィににっこりと微笑んだ。 今俺達は「ライカ」をこっそり覗ける場所に隠れていた。 今日は敢えて着古した服を着て、店が開く前にトーリィと合流し店の動きを見張っていた。これから俺がやろうとしている事は、あの二人を油断させて彼らの塒を突き止める事だ。 裏道にある「ライカ」は夕方に店を開けひっそりと営業を始めた。 看板もなく入り口に小さいランプを灯しただけの、店らしくない佇まい。後ろ暗い商売をしている為かここが店だとは一見してわからない造りになっていた。 先程数人の少年達が店に入って行った。あれが多分店の男娼達なのだろう。 暫くするとフード付きのローブに身を包んだ客がちらほらとやって来た。その身なりから彼らはお忍びでやって来た貴族だとわかる。 彼らが扉をノックすると中からそれが開き、客は供も付けずにこそこそと入って行くのがルールのようだった。 日を跨ぐ時刻になると店から人が少しずつ出てきた。客だったり男娼だったり。客と男娼が並んで出ていくのは店主に気に入られているのだったな、と酒場での話を思い出す。 客と男娼が出切ったところで表の扉は灯りが消され、鍵がかけられたようだ。店の営業はどうやら終わったらしい。この後は裏の扉を使うのだろう。 ここで俺達は最初に見張っていた表側から裏口へと移動した。 昨日の調査から貴族への強請に「ライカ」が絡んでいると目星を付け、オーナーと言われているあの美人の塒を探る為に今日もトーリィを付き合わせていた。 トーリィならば咄嗟の判断が早く、処理能力も高い。きっと俺の期待に応えてくれるだろう。 トーリィは昨日からずっと俺に付き合わせてしまっている。なんならこの後も働いてもらう予定だ。 振り回しているのは重々承知しているが、これからトーリィが普段会う機会の無い美人が拝めるのだから、それでこの件は勘弁してもらおう。 「今から二人、お前が震え上がりそうな程の美人と厳つい用心棒が出てくる。俺が殴られて油断させるからお前は二人の後をつけろ」 「へ?」 「用心棒に気取られそうになったら逃げて構わない。あれは中々の手練れだ」 「は?」 トーリィに何の前置きも無しに次々と要求を出すと困惑し慌てた。しかしそれを気にせず更に言葉を重ねる。 「奴等の行き先がわかったらそのまま帰っていい。明日、これを持って大隊長殿に昨日からの事を全て報告しろ」 視線をライカの裏口から離さないまま、ポケットにしまっていたアルベルトとサーキスからの書類を報告書をトーリィに渡した。 「えっ?な、何で大隊長!?」 書類を受け取りながらも更に混乱している様だが、トーリィの事だ。きっと俺の意を汲んで働いてくれるだろう。 「……店も閉店したしな。そろそろ出てくるぞ」 「えっ?」 「出てきた」 扉が開き裏口に誰かが出てくる。するとそれを一瞥したトーリィから、諦めた様にはぁとため息がこぼれた。 「……今日の残業代は隊長に直接請求しますからね」 「了解した」 ブスッと拗ねる様に呟いたトーリィに笑顔で答え、俺は整えていた髪を手でぐしゃっと崩した。 鼻歌を歌いながら裏口から出てきたのは昨夜見たあの美人だった。 俺は隠れていた場所から彼の元へと走った。突然目の前に立ち塞がった俺に、その美しい店主は驚いて鼻歌も止まってしまった。 「あのっ!実は貴方の事を一目見た時からずっと忘れられなくて!出来たら俺の、恋人になってくれませんかっ?」 今の俺は彼に想いを募らせて我慢できなくなった男だ。 学生の頃は時折こんな風に俺に告白して来た学友がいた。 思い詰め、なりふり構わずにただ気持ちを伝えたかったと言う彼らの思いに応えられなかったのは申し訳無かったが、きっぱりと断るのが優しさだとあの頃サーキスに助言を受けた。 俺は今その時純粋に真っ直ぐに思いを伝えてきた彼らの行動を模倣していた。 この美貌だ。ライカは普段から爵位など関係なく色んな男から言い寄られているだろう。色んな告白がある中には、今までもこんな風に駆け引きなどない思いを伝えられた事があっただろう。後先も考えない真っ直ぐな告白は大抵行動が先走るもので、裏があるとは考えにくくなる。どう断るかはさておき、これで普段よりも彼らに隙が出来ると踏んでの行動だった。 目の前に立つ美人は突然の告白にキョトンとしていたが、今の状況がわかるとニヤリと口角を上げた。 「ふぅん……あんた、俺の事好きなんだ」 「はい」 「一応貴族だよね、あんた。爵位は何?」 「男爵です」 「なぁんだ男爵か……あんた金持ち?」 すると明らかにこちらに興味を失くした美人は俺の格好を上から下まで眺め、値踏みする様に鋭い視線を投げてきた。 「僕はお金持ってる人としか付き合わないよ」 「それなら……これが俺の持ち金全部です!これで付き合えますか?」 金に固執しているだろうと前もって用意した、貴族の子息にしては少し多めの金額が入った財布を渡した。すると店主はその中身を覗き、ハァとため息をついた。 「……これっぽっち?」 「え?」 「こんなはした金じゃ今夜の飲み代にもならないよ」 そういいながら当たり前の様にライカは自分の懐にそれをしまった。 「どうした」 そこへ後からのっそりと店から出てきた用心棒、キルシスが俺を一瞥した。 「何かね、この男爵君が僕に付き合って欲しいんだってさ」 ライカはニヤニヤと笑みを浮かべ用心棒にすり寄った。 「ふぅん……田舎もんか。お前、この店がどんな店か知ってんのか?」 知らない、と左右に首を振ればキルシスはその笑みを更に深めた。 「こいつはこの店のオーナーでな、てめぇみたいな土臭い坊っちゃんにゃ手が届かねぇ奴なんだよ」 そう言うと用心棒は首を絞める様に俺の胸倉を掴んだ。その手のひらには剣ダコはなく、その分手の甲の皮が厚く硬そうだ。これまで腕っぷしのみで相手を屈伏させてきたのだろう。キルシスの手から顔へと視線を移動するとグッとその手を持ち上げられ、更に首が絞まり息が苦しくなった。 「金もねぇ、爵位もねぇ使えない奴の相手なんぞする暇はねぇんだよ」 「それでも僕が欲しいの?」 「は……いっ」 首の苦しさに耐えながら返事をした瞬間、用心棒の拳が動いた。殴る事に慣れている飛んできた拳は、勢いはあったが見切れない事はなかった。 「グッ!」 これを待っていた俺は気付かれない程度に身体を捻り、敢えてその拳を鳩尾に受けた。中々重いパンチは充分な衝撃があるが、身体を捻った事で急所からは少し避けられた。次に胸倉にあった手で喉を潰す様に押されると身体はそのまま後ろへ吹っ飛ばされる。 これはさっき二人が出てきた扉へぶつかるな、と他人事の様に思った。 しかし、予想していたその衝撃は来なかった。 無意識に壁にぶつかる事を想定し身構えた身体は受け止める壁がなかった事で更によろめき、勢いがついたまま床へ思い切り倒れこんでしまった。 二人の方を見ると彼らと自分の間に四角い枠が出来ている……ああ、扉が開いたのかとそこでやっと気が付いた。 床に思い切り倒れた割にその衝撃が少なかった事には、この時はまだ気付いていなかった。 「僕を誘いたいならちゃんとそれなりのお金を用意してくれる?貧乏人の相手をする程うちは暇じゃないんだ」 「こいつを誘うなんざてめぇにゃ百年早ぇんだよ」 倒れこんだ俺を用心棒が笑いながら更に足で踏み潰す。それが背中に強い衝撃となって与えられ、一瞬息が詰まった。 その痛みで顔を歪める俺を見ながら二人はニヤニヤと笑みを浮かべ何事か話している。そのまま起き上がれない俺に満足したのか、言いたい事を言ってスッキリしたのか、彼らはお互いの腰に手を回しさっさと夜の街に消えていった。 その少し後を気配を殺しながらトーリィが追っていくのを、倒れたまま横目で見送った。あぶく銭が手に入り、気分も良くなった彼らの後をつけるのは容易になるだろう。 後は優秀な副隊長の成果を期待すれば良かった。 三人の気配が消えたのを確認して身体を起こす。 倒れた時に思った程身体に衝撃が少なかったのは無意識に自分を庇ったのだろうか。しかしわざと殴られ、踏まれた所は流石にそれなりの痛さがあった。 「流石にガード無しは痛ぇな……」 「ぐ……」 呟きながら身を起こすと、下から何か呻き声が聞こえた。 ハッと下を見ると誰かが俺の下敷きになっていた事にそこで初めて気付いた。 「えっ?うわ済まない!君っ、大丈夫かっ!?」 下を見れば、俺の手は彼の鳩尾に思い切り体重をかけていた。こんな華奢な少年が大人の俺に潰されていたら苦しくて呻きもするだろう。 倒れた時の衝撃が少なかったのはこの少年が俺の下敷きになってしまったからだった。 「だ、いじょうぶ……です」 慌てて起き上がり少年の身体も起こすと、か細い声で礼を言った。 吹っ飛ばされた時に開いた扉の中にいたのは、薄汚れた、今まで見た事もない不思議な格好をした少年だった。 起こした拍子にその少年の被っていたフードが頭から落ちる。 すると、ハラリと落ちたフードの中から鮮やかな黒が現れた。 黒い髪……? よく見るとその瞳も髪と同じ色を持っている。 そこで初めて少年の容姿が特別なものだと気付いた。 少年が持つ漆黒の髪と、深淵を覗いているかの様な黒い瞳。他国ではチラホラいるというが、この国で見たのは初めてだ。 何処から来たのだろう、何故こんな所にいるのだろう。 ここは貴族街で王家の色を重んじる場所だ。しかもこの店はそんな奴等を上客としている。そんな所でこの少年が働いている事が不思議だった。 一部の貴族には金の色を持たない人を蔑む輩もいる。そういった考えは高位になればなる程強いはずだ。 そんなくだらない考え方が蔓延っているせいで貴族と平民の間にある壁はとても厚くなっている。 この国が立ち遅れている原因のひとつだ。 髪の色なんて所詮たかが色だ。歳を取れば薄くもなり白くもなる。 昔から社交の場でそれを自慢する貴族達に呆れて冷めた目を向けていた。 こんなに綺麗な漆黒を、きっとそういった貴族達は忌避するのだろう。それはとても勿体無いなと思った。 驚いて見つめる俺の視線に気付いた少年は慌ててフードを被り直した。 「すいません……」 小さい謝罪の声と共にその色が隠れてしまった。 もう一度見たいと思ったが無理強いをする訳にはいかない。ここは貴族街だ。彼の黒が他の貴族に見られたらきっと大変な事になるだろう。 「怪我はないか」 酒場で会った男が言っていた、三人分の仕事を一人でこなしているのがきっとこの少年なのだろう。 成る程、男が心配になるのは少年を見ればとてもよくわかった。 何故この貴族街で働いているのかとても気になるが、それよりも目の前の少年の身体の方が心配になる。 少年は今にも折れそうな華奢な身体つきをしていた。 服は煤けて薄汚れ、手はガサガサで指先は水仕事のせいかひび割れてあかぎれが目立つ。 思わずその手をぎゅっと握った。 「君は華奢だから何処か痛めてるかもしれない。近くに借りてる家がある。そこで医者を呼ぼう」 「……いい、いらない」 華奢な上、顔色も悪い。まともな食事はしているのだろうか。 少年を医者に見せなければと必死に説得するが少年は何故か頑なにそれを拒んだ。 こんなにボロボロになってやつれている少年を、そのままにしておく事など出来ない。医者に診せなければと俺も意地になった。 何度か押し問答をしていると急に少年の身体の力が抜け、グラリと倒れこんできた。 倒れた身体を支える様に抱き締めると少年の顔は真っ青で、先程見えた漆黒の瞳は閉じられていた。 本当は近くに借りてる家など無い。少年を安心させる為の方便だった。適当に宿でも取って少年を医者に見てもらおうと思っていたが、倒れてしまった少年を抱えて思い直した。 よく考えたらここは貴族街。ここにくる医者などは結局貴族と同じような思考を持っているのだ。 この少年の持つ黒をそんな考えの医者に見せる訳にはいかない。 少し遠いが少年を抱えたまま、歩いて自分の屋敷に連れて帰る事にした。 「グレインフォード様、その子は……?」 「何事があったのですか?」 「外で倒れたのを連れてきた。ザイカル医師を呼んでくれ。取り敢えずこのまま俺の部屋に運ぶ」 「かしこまりました」 屋敷に帰り、すぐに父が懇意にしている医師、ザイカルを呼ぶように執事のケインに手配した。 俺が抱える少年を見た女中頭のモナは、どうやら黒い色よりも真っ青な顔色と顔や手足に見える傷や痣に驚いた様で、慌てて少年の為に寝室へと走った。 近所に住んでいるザイカル医師は早々にケインに連れられ真っ直ぐに俺の寝室へとやって来た。 「このガキか」 途中ケインから少年の事を聞いたのだろう。 ザイカル医師は部屋に来てすぐに、俺のベッドに寝かせた少年の不思議な上着とシャツを脱がせた。すると明らかに暴力を受けたような傷や痣と、骨が見えそうな痩せこけた身体が露になった。 「グレインフォード、こいつを何処で拾った」 診察を側で見ていた俺に、感情を抑えた声でザイカル医師は問いかけた。 「とある店の下働きの少年だ。そこで倒れたのを連れてきた」 「お前は……この少年がここまで酷い状態になるまで気付かなかったのか!」 噛みつくように詰め寄られ、胸ぐらを掴まれる。 俺もここまで酷い状態に驚いていた。 「……この子にはさっき初めて会った。目の前で倒れたから取り敢えず連れてきただけで、こんなに酷い状態なのは知らなかった」 すると、はぁー……と大きく息を吐き出したザイカルはそれには答えず、用意した医療用の鞄を漁り出した。 「俺の鞄には包帯が入っていない。ここにはそれ位あるだろう、出せ」 それを聞き、モナが慌てて包帯を取りに部屋を出た。 「その店はこんな小さな子供になんて事をしてやがる!お前は曲がりなりにも警備隊の端くれなんだろう、さっさとそんな店潰しちまえ!」 怒りを露にしながらもザイカルは手をテキパキと動かし、傷口の消毒を始めた。 上半身の消毒が終わると手際よく、ズボンと下着が脱がされた。 「……ん?何だ、見た目よりも大人なのか?」 ザイカルがじっと見る視線の先には、身長に見合った性器の上にほんのりと下生えがあった。 口にした言葉はただの疑問だったのか、ザイカルは手は止めずに触診を続けた。その手は足腰の傷だけではなく、性器の周辺や臀部の周りも丹念に診察をしていく。 「その店はこいつを性具にはしてないんだな」 ポロリとこぼしたその言葉に驚いてザイカルを見たが、その顔はいたって真剣だ。 「見たところこいつは目を開けたら結構可愛い部類だろう?子供が玩具にされる店じゃなかったなら、そこだけは救いだな」 「……この子は六番街の店にいた」 「六番か……それは良かったな。黒じゃなかったら違う暴力が加わっていたかもしれん」 言われて見れば、今はこの少年は薄汚れてその黒の瞳は翳りがあったが、他の国で身なりを整えてたならきっと男娼としての価値も充分にありそうだなと思う。 そう考えれば、あの店で良かったのかもしれないが……。 いや、どんな種類でも暴力は暴力だと思い直した。 淡々と言いながらもザイカルの手は丹念に少年に治療を施していく。背中や腹、手足には炎症止めを塗られ、モナが持ってきた包帯が巻かれていった。 こんな小さな少年がこれ程酷い目にあっていた事を思うと怒りがこみ上げる。あの時もしも扉が開かなかったら……あの翳っていた黒い瞳がそれこそ闇に沈んでしまっていたかもしれない可能性が許せなかった。 この黒を持つ少年はどんな風に笑うのだろうか。陰りの無い綺麗な黒い瞳が見てみたいと思う。 少年の笑った顔はきっととても魅力的だろう。いつかそれを見る事は出来るのだろうか。 しかし今はその少年の黒い瞳は閉じたまま、ピクリとも動かずにザイカル医師にされるままだった。 治療が終わり寝間着を着せるとザイカルは治療道具を片付け、用は済んだとばかりに立ち上がった。 「目が覚めたら飯を食わせろ、熱が出たらゆっくり寝かせろ。何があっても放り出すな」 「……放り出す事などしない」 ザイカルが自分をそんな人間だと思っているのかとムッとした。その感情が少し言葉に出ていたようで、ザイカルは少し表情を和らげた。 「そうじゃない……お前だけの都合じゃない、お前の爵位は何だ?周りにいるのは貴族だ。周りはきっとこの黒を許さないだろう……わかるな?」 わかっている。特に古い考えの貴族連中は殊更に金髪碧眼に拘る。くすんだ金すら厭われるのに黒などどんな扱いになるか、想像に固くない。 諭すように言われた言葉は有り得る未来だ。そうならないように俺はこの少年をしっかりと守らなければと思った。 「拾ったモンには責任を持てよ」 「わかっている」 「ならいい」 するとフッとザイカルは笑った。 「グラリアスの所へたまには顔を出してやれ」 「……はい」 ザイカル医師を見送り部屋に戻った俺は、ベッドの側に椅子を寄せ暫く少年の顔を見つめていた。 『そんな金ないんだ。余計な事しないで』 『放っといてくれ』 悲痛な声だった。 例え違法な店だとしても、酒場で会った男はそれなりに給金をもらえていたのに。 あの店主は金を出し惜しみして元々いた下働きを解雇してまでこの子を雇ったのだろうか。 食事もまともにしていなかっただろう身体は痩せこけて、そこかしこに痣や傷がついている。黒というだけで理不尽に苦しめられていた少年は、今までどんな生活をしていたのだろう。王家至上主義とも言えるあんな場所でわざわざ仕事をしている理由とは一体なんなのか。 あんなに辛そうにしていたのに、それでも差し出した手を拒絶するのは何故なのか。 あの黒い瞳を翳らせてまであの店に固執するのは、あの店から逃げられない何かを抱えているのか。それともあの店のやっている事に加担しているのか。 「グレインフォード様」 「……何だ」 後ろから声を掛けられ思考が戻される。 モナは俺の後ろから思い詰めた様に少年を見つめていた。 「この子は……何故こんなにボロボロに……」 モナは悔しそうに少し青ざめた顔をしていた。 「わからん……さっき会ったばかりだからな」 「その少年をどうするのですか」 ケインも同じ様な表情で俺の言葉を待っていた。 「今調べている事がある。その結果次第でどうするのか決める」 少年があの店にとってどんな存在なのか、調べてみなければわからない。少年があの二人のしていた事にどう関わっているのか……あの店主と用心棒に加担しているのか。そんな事がなければいいと今は願うばかりだ。 「ケイン、モナ……目が覚めたら世話を頼む」 「勿論でございます!」 モナにも確か息子がいたはずだ。この少年を息子に投影しているのか、涙を浮かべ強く頷いた。 少年の事は、俺が一人で悶々と考えたところで答えは出ない。 もしかしたら少年には俺には想像できない何かがあるのかもしれない。 何にせよ少年が目覚めなければわからない事ばかりだ。 早く目覚めてお前の真実を教えてくれ。 暫くするとベッドの中で少年がモゾモゾと動いた。 「起きたか」 声を掛けるとゆっくりと頭がこちらを向いた。 ぼんやりと黒い瞳が開いていた。しかし寝ぼけているのか混乱しているのか顔をこちらに向けただけで返答はなかった。 青白い顔に触れるとピクリと身体は動いたが、それだけだ。まだ混乱しているのかもしれない。 ここにいる経緯と今の状態を教えると、少年は明らかに動揺した。 「俺を殺して」 少年の口から飛び出したのは死への願いだった。 黒を持っている為にどれだけ辛い目に合ったのか、どんな酷い目に合ったのか。 死にたいと思ってしまう程、虐げられていたのかと思うと胸が痛くなる。こんな小さな身体でその生活を余儀なくされていたのかと衝撃を受けた。 平民の街で仕事をしていればまだこれ程辛い事はなかっただろうに。 そんなに辛い環境でなおあの場所にいたのは何故なのか。 それでも少年が逃げなかったのはあの二人に加担していたのではないかと勘繰ってしまう。 辛さはきっと嘘ではないだろう。苦しさを堪えながら淡々と話す口調には絶望が滲んでみえるのに。 ……すぐに言葉の裏を探ろうとするのは長年警備隊に勤めているせいかもしれない。 「……もう生きていても意味がないんだ。だから」 「駄目だ。俺は無意味に人を殺す事などしない」 しかし、俺はこの少年を信じたかった。ただ一生懸命生きていても今あるのは絶望だけだと、諦めの色を含んだその黒い瞳を翳らせてただ死を願うこの小さな少年を。 「もう生きてるの嫌だ……生きていても苦しい……」 苦しそうに呟く言葉が胸を刺す。 その辛さを全て取り払ってあげたいと熱い気持ちがこみ上げる。 あのような虐げられる場所にいてはいけない。少年には幸せになる権利がある。 生きて欲しい。死んで欲しくない。死に希望を見出ださないで欲しかった。 死ぬ事がお前にとっての幸せであって欲しくない。 その黒い瞳から翳りを取り除いて、ただ笑って欲しいと感情が沸き上がった。 「このまま生きても俺は殴られて死ぬか飢えて死ぬかの二択しかない……。だったらもう…今バッサリと死んだ方がマシなんだ……」 今まで一人で抱えていた思いを話す少年の口調がどんどんとたどたどしくなっていく。 目蓋も少しずつ下がってきたところを見るとまた眠ってしまいそうだった。 暫くすると黒い瞳は目蓋に隠され静かになった。どうやら話し疲れて眠ってしまったようだ。 本人はまだ話しているつもりなのか、口がもごもごしているのがちょっと小動物のようで可愛い。 それを見ていると少年の口からポツリと言葉がこぼれた。 「……寂しい」 それがお前の心の言葉なのか。 少年がどんな人物なのかその黒を持って何処から来たのか。何故あの店で働いていたのか。死にたい程辛いのに何故あの店に固執していたのか。 わからない事は沢山あるが、きっと寂しいと思う気持ちはかの少年の本音だろう。 この名前も知らない少年に幸せであって欲しいと、その為なら俺がいくらでと助けてあげたいと何故か強く思った。

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