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第8話

「少し熱いな」 治療をして朝になれば、少年はザイカル医師の言った通り熱が出た。 その頬に触れると孕んだ熱が伝わってくる。少年が抵抗しないのでそのままにしているとゆっくりとこちらへと視線を向けた。 熱のせいなのか俺を見る少年はぼんやりとしたままだ。その黒い瞳は少し潤んでその頬は上気して少し赤く熱い。自分が余り熱を出す事がないので体調を崩した時の辛さがわからなかった。苦しいのだろうか。 呼び掛けようとして、そういえばまだ少年の名前すら知らなかったと思い至った。 「俺はグレンだ。お前の名前は?」 自分が名乗ったのは「グレン」。 家族以外には誰にも呼ばせた事はなかった愛称だったが、何故かこの名前も知らない少年にはそう呼んでもらいたくなった。 「……み、ミノル……だけど」 少年は「ミノル」と名乗った。その響きはこの国のものではなかったが、不思議と少年の体躯に似合っている気がした。 「ミノルか、可愛い名前だ」 するとミノルは一瞬固まり、何故か涙をポロポロとこぼした。初めて見るミノルの黒い瞳からこぼれ落ちる涙はとても美しいと不謹慎にも思ってしまった。 「ミノル、大丈夫だ。泣くな」 その涙を指で拭うと更にミノルの瞳から涙が溢れた。 「ごめ……っ、さい。グレンっさ……っ」 「グレンでいい」 「グレン……っりがと……ざい、ます」 そっと胸に抱き寄せて泣くなと背中を擦る。ミノルはされるままに胸の中に落ち着いた。暫くそのままミノルを包んでいると、遠慮がちに泣いていたミノルからは嗚咽が聞こえなくなった。そっと顔を覗きこむとまた眠ってしまった様だった。 目を閉じているミノルの涙の跡をまた指で拭うと、その頬はまだ熱い。 腕の中のミノルはただでさえ小さいのに更に身体を縮こませて眠っていた。きっと普段からその様に眠っているのだろう。 その苦しそうな寝方をする様になった経緯を俺は知らない。名前に異国の響きを持つミノルがあの店にいたのが何の為なのか。何故ボロボロになってもあの場所から逃げ出さなかったのか。「ライカ」とミノルの間にあるものは何なのか。 もう一度ミノルをぎゅっと抱き締めた。 彼の中でそれがどんな意味を持つのかはわからない。 そのハラハラと流れる涙の訳をいつかミノルの口から話して欲しいと思った。 朝になり再びミノルが目覚めた時、ケインとモナを紹介する為部屋に二人を呼んだ。 俺がいない時にはこの二人が表立ってミノルの世話をする事になる。この二人に守られていれば俺も安心して明日から仕事に行けると思っての事だった。 二人も昨夜ミノルの痛々しい姿を見ていた。こんな小さな少年が酷い目に合っていた事に怒りを見せていた。二人にはその衝撃が強すぎたのかまだ直接見るのが辛かったようで、挨拶をしたミノルからそっと視線を外した。 するとミノルの表情が固まり、そのまま布団を被ってしまった。 「ごめ……なさ……あの、俺の事はほっといてくだされば……いいんで」 布団の中から小さく聞こえた声は少し震えている様だった。 小さくずっと申し訳ありません、ごめんなさいと繰り返される言葉には怯えを感じる。 「埋まっていたら息が苦しくなりますよ」 「ひっ……」 モナがミノルの布団をめくると、それに驚いたミノルは顔を上げた。ミノルの事を心配そうに覗き込む二人の姿を視界に入れた途端、その顔からはサァッと血の気が引き、慌てて自分の頭と腹を庇う様に身体を丸めて縮こまった。 「ごめ、ごめんなさっ、動ける様になったらすぐ出ていきますからっ……ごめんなさいっ……」 ミノルはひたすら謝りながら、震えて更に身体を丸めた。 誰かが近付く事すらミノルにとっては恐怖でしかなかった事に愕然とする。これ程までに怖がるとは思わなかった。 この黒い髪と瞳はあの場所ではとても生き辛い筈だ。あの痣と傷は少なくとも数ヶ月前から受けていたものだ。それでも耐えていた理由はわからない。 ミノルが今まで受けた仕打ちがどれだけのものだったのか、この反応から想像するだけで腸が煮えくり返る。今までどれだけ辛かっただろうか。 二人もミノルの反応に驚き慌てて、傷付けない、心配だと必死に宥めた。しかしミノルにはその言葉も届かないのか震えて小さくなるばかりだ。 俺はおろおろとする二人を手で制しベッドへと乗り上げた。めくれた布団をそっと被せ、それごとミノルを抱き上げた。 「……大丈夫だミノル、ここでは誰もお前を傷付ける事はない」 大丈夫だと何度も言葉にしながら布団越しに背中を撫でると少しずつミノルの震えが小さくなっていく。 「大丈夫だミノル」 震えが止まっても暫くその言葉を繰り返していると、抱き上げた布団の中で少し動く気配がした。 腕の力を少し緩めると布団に隠れていた黒い頭がモゾモゾと動く。 そっとミノル布団の隙間から顔を少し出すと、二人はミノルに向けていた先程までの痛ましさを含んだ表情を優しい笑顔に変えた。ミノルはそれに驚いたのか目を見開き、すぐにまた少しだけ頭を引っ込めた。 その黒い瞳は落ち着かなく瞬き、二人と俺を交互に見た。俺が頷くとミノルは二人にありがとうございますと遠慮がちに小さい声で言った。 そんなミノルを見てケインとモナは更に笑顔になった。 ミノルの一連の動きがなんとも愛らしく、俺もきっと同じ様に微笑んでいたに違いない。 食事もいらないと言うミノルを膝の上に乗せ、匙を口へと向けた。最初は頑なに口を閉じていたがやがて諦めておずおずとその小さい口を開けた。その瞳にはまた涙が浮かんだ。 ほろほろと涙を落とすミノルにまた匙を向ければ、泣きながら口を開け一生懸命咀嚼した。その姿は小鳥の様に可愛らしかった。 旨いか?と聞けば小さく頷いたがその頭がふらついた。 「ちゃんと食べて元気になれ」 胸に引き寄せれば素直に身体を凭れてくれる。暫くそのまま食事を続けているとまた口が開かなくなってしまった。 どうしたのだろうと顔を覗きこむと、またミノルは眠ってしまったようだった。 熱はまだ下がらないが眠るその顔に昨日までの苦しさはなくなった気がする。 少しは警戒を解いてくれたのだろうか。 いや、まだ熱のせいで身体を預けてくれるだけなのだろう。 いつかミノルにミノルの全てを預けて欲しい、などと考えてしまう。それを自分でも不思議に思いながら食事を下げ、ミノルをベッドに寝かせた。 苦しまない様に、魘されない様に……俺もベッドに潜り込み、その小さい身体を抱き締めた。 『寂しい』 ミノルのあの言葉にどれ程の思いが詰められているのだろう。誰にも頼る事も出来ずに一人で生きてきたのか。礼儀正しさはちゃんとした環境の中で生活をしていた証だ。 なのにその容姿で「ライカ」に居たのは何故なのか。 暴力を振るわれる環境に逃げもせずに身を置いているのはどんな理由があったのか。 あの痣と傷は少なくとも数ヶ月前から受けていたものだ。それでも耐えていた理由はわからない。 いつかミノルはその理由を教えてくれるだろうか。 今朝出かける時には「いってらっしゃい」と声を掛けられた。少し微笑んで言ってくれたその言葉に胸が熱くなり、思わず額に触れてしまった。 驚いて赤くなった顔は熱のせいだけではないと思いたい。 ミノルは挨拶もきちんと出来ていて言葉遣いも平民のそれに比べれば余程丁寧だ。それなりに礼儀正しく、しっかりした教育を受けていたと思わせる。 ミノルは一体何処から来て何故あの店にいたのかますますわからなくなった。 今朝はきちんと食事を摂っただろうか。薬は飲んだだろうか。ちゃんと大人しくベッドで休んでいてくれるだろうか。 また腕の中で眠ってくれるだろうか。 今朝見送られたばかりなのにミノルに何故か早く会いたいと思った。 結局昨日一日、大隊長にもらった休暇をミノルと一緒にいる事に使った。 大隊長に依頼されたのが調査であって解決ではなかった事は、ミノルの体調が気になっている今の俺にはありがたかった。 調べた結果は既に報告書としてトーリィに託している。 それを元に大隊長は父にその話を持っていくのだろう。自分が無理に介入する必要は今のところない。 「隊長、約束は守って下さいよ」 三日も休んで溜まってしまった決裁書類に目を通していると、トーリィがその書類を取りに執務室に入ってきた。 「何の事だ?」 「うわっ、酷っ!俺頑張りましたよね!?」 書類に目を通したまましれっと話を流すとトーリィは横暴だと騒ぎだした。まぁ、俺の都合で振り回したのはわかっている。トーリィのお陰で大隊長からの依頼を無事済ませた事は確かだ。 「冗談だ。今度飯でも奢るから許せ」 「絶対ですよ!言質取りましたからね」 「ああ、わかった」 ミノルの熱が下がったらトーリィを王都で最近人気のある飯屋にでも連れて行こうか、そんな事をと思っていると、トーリィは書類の横に封書を置いた。 「大隊長殿から隊長にと今朝渡されました」 トーリィの目的はこちらだったらしい。俺は書類を置いてその封書を開いた。 「流石だな」 「へ?」 「あいつらの隠れ家を突き止めたか」 ニヤリと笑いトーリィを見れば、すぐさま警備隊員の引き締まった顔になった。 「彼らはマントで姿がわからないようにしてから中街の宿に入り、明るくなると平民の格好をして宿から出ていきました。宿に確認を取ると二人は長期で宿泊している商人だそうで費用は半年分前払いしていました」 どうやらトーリィは二人が宿から出るまで見張っていたようだ。 「変装をしてると言う事か」 「はい。美人の方は多分カツラ……ですかね。髪の色を茶色に変えて、着るものも裕福な商人のものになってました。用心棒も赤毛に眼鏡でそちらも商人の姿でした」 アルベルトがくれた情報でもあの店の持ち主は「商人」となっていた。彼らはやはり貴族ではないのだろう。金の髪の方がカツラなのかもしれないなと思った。 「了解した。無理を言ってすまなかった」 「いえ、こちらこそ色々経験出来ました」 ありがとうございますとトーリィは頭を下げた。 トーリィは普段は少し軽く見られがちだが、ここぞという時の行動力や決断力は充分だ。やはり彼に頼んで正解だった。 大隊長からの手紙には、感謝の言葉と共に今後の事が書かれていた。 トーリィが渡した報告書を読み、トーリィの報告を受けた大隊長は「ライカ」の違法営業と強請りの関わりの裏付けを取り始めたと手紙には書かれている。 ハイデン侯の件は報告書を元に公爵と相談した上で、他の強請られた貴族の事もあり最終的には騎士団に任せる事になるだろうと締め括られていた。 流石大隊長、仕事が早い。 大隊長がこの仕事を騎士団に託すのであれば、もう警備隊の俺の出る幕ではない。 俺はその手紙を引き出しにしまった。 この国の騎士団は実力は勿論、爵位も重視される。 相手が他国や自国の貴族には爵位のある騎士である方が何かと重宝するものだ。 警備隊は爵位など関係なく広く民を守る仕事で、平民相手になる事が多い。入隊する者は実力さえあれば門戸を広げて重用するので所属する者は爵位など気にしない者が殆どだ。 それ故に貴族には騎士団が人気なのも頷ける。大隊長の様に騎士団にいて団長にまで登り詰めたのにわざわざ警備隊に異動したいなどと言う変わり者は普通はいない。 大隊長が言うには、貴族相手が面倒だと言う事だが、あれはきっと本人の元々の面倒臭がりのせいではないかと今では思う。 それでも、そんな潔い姿勢が子供の頃の俺にはとてもキラキラと眩しく見えたものだ。 自分も爵位など関係なく警備隊という仕事がしたいと、学生の時から叔母の姓を使い身分を隠した。貴族には養子縁組や庶子という存在もよくある事で、エイスフルという田舎の侯爵家の内情をわざわざ知ろうと思う者はいなかった。 初め父は面白がってそれに乗っかっていたが、卒業後、俺が警備隊への入隊試験を受ける段になって、俺の家督を継がない意思が揺るがない事を理解するとドゥリモアを名乗らせなかった事を大層悔しがっていた。 まぁ、この件はしっかりした弟がいるのだから父もいい加減諦めているだろう。 弟のフィンスラートは俺よりも頭が切れるし何より社交性もある。 父が隠居してもきっと立派に公爵としての責務を果たすだろう。 営舎の廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。 「エイスフル隊長殿」 「なんだ、アルベルトか」 振り返ると書類を抱えているアルベルトが立っていた。 「何だははないでしょ。酷いなぁグレイン」 「普段アルベルトからそんな呼ばれ方などしないからなぁ」 プゥと頬を膨らませて拗ねる姿は学生の頃の面影を見せるのでつい。 拗ねる姿が可愛いと、当時は学生達がこぞって俺やサーキスと一緒にいる所を見に来ていたっけ。当時を思い出し懐かしくなり、つい笑ってしまう。 柔らかく波打つ赤みがかった金の髪はアルベルトの幼さの残る笑顔によく似合っていた。 「休暇はどうだったの?あの資料、グレインの役に立った?」 「ああ、とても役立った。ありがとうアルベルト」 するとパアッと嬉しそうな華やかな満面の笑みを浮かべるアルベルトに昔から変わらないな、と懐かしさを覚えた。 「良かった!それじゃお礼に今度奢ってもらおうかなー」 「そうだな。落ち着いたら行こう」 「楽しみにしてますよ、隊長殿」 ウインクしたアルベルトはそれじゃまたねと手を振り事務室へと消えていった。 周りから愛されているアルベルトはただ甘やかされている訳ではなく、仕事は細やかで几帳面なので、うちの部隊だけでなく本部の事務方にも読みやすく解りやすいと評判がとても良い。 そういえばサーキスは事務仕事が苦手だからいつも羨ましがってるなと思い出す。俺も余り得意ではないからアルベルトの存在は本当に有り難かった。 今回アルベルトとサーキスのお陰でミノルに会えたようなものだ。トーリィと二人には近々改めて礼をしなければいけないだろう。 仕事が終わると寄り道もせずに真っ直ぐに帰宅した。 「ミノルはどうだ?」 出迎えたケインに開口一番そう尋ねると少し呆れたように眉尻を下げた。まぁ普段こんなに早く帰る事がない俺が、残業も寄り道もせずに帰る理由にケインは呆れているのだろう。 俺はそれも気にならない程に早くミノルの顔が見たかった。足も止めず上着を脱ぐとそれに合わせて歩くケインが心得たとばかりにそれを受け取った。 「午後にまた熱が上がりましたのでザイカル先生にいただいた薬を飲ませました。今は落ち着いてますよ」 「そうか」 「ミノル様は今まで厳しい環境で気を張っていたのでしょう。気が緩んだせいで熱が出ているようだとザイカル先生も話してます」 そうならいいと思う。俺の側で気が緩むならばいくらでも緩ませて欲しかった。 歩きながらケインの報告を聞きまっすぐに寝室へと向かった。 着替えもせずに寝室の扉を開けると、気配に気付いたのかミノルの黒い瞳がぼんやりと開き、こちらへと顔を向けた。 「おかえりなさい……グレン」 「具合はどうだ?」 「ん……何かぼおっとしてる……」 そっと額に触れると、聞いた通り朝よりも熱かった。 「まだ熱は高いな」 「グレンの手……きもちい……」 ミノルは目を閉じて少し口角を上げた。 「ぜーたくだな……」 その言葉にぎゅっと胸を締め付けられる。 ただベッドで寝ているだけなのに、贅沢だと嬉しそうにするミノルの生活はどんなものだったのだろう。 翌日からは昼はモナが、朝と夜は俺がミノルの世話をする事にした。朝と夜はミノルに食事をさせて薬を飲ませた。そのお陰か少しずつ熱も下がってきた。 時々話かければミノルも答えてくれるようになった。 その中で一番の驚きはあの小ささでミノルが成人を迎えていた事だ。 みんなこんなもんだけどとミノルは言うが、俺の知る他国にそんな人種がいるなど聞いた事がない。 何処から来たのかと問えば、遠い所だよと寂しそうに答えるミノルにこれ以上聞く事は出来なかった。 このままここにいて欲しいと思う反面、もしも……万が一、あの店の悪事にミノルが加担していたならば。その時はミノルの身柄を騎士団に渡さなければいけない。警備隊として私情でミノルの存在を隠し通す訳にはいかないのだ。 だけど今はまだそれを考えたくはなかった。 ミノルが少しでも心安らかにしてくれるなら……熱がある今だけは。 ミノルが彼らの仲間かもしれないと思うとチリチリと胸が痛くなる。そうでないといい。 俺がミノルを守ってあげたいと改めて思った。 ミノルの熱は五日も経てばだいぶ下がってきた。 話しかければ普通に答え、表情も少しではあるが和らぐ様になった。 時々感情が溢れるのか、黒い瞳に涙を潤ませる。だが初めて会った時の様に苦しそうに「殺してくれ」と言う事はなくなった。 ベッドでは相変わらず抱き締めて眠っていが、嫌がる事もなく、気持ちよさそうに目を閉じる。 俺がミノルとの生活に慣れて来た様にミノルの方も段々今の生活に慣れてきているのだろう。俺はこのままそれが当たり前の生活になればいいと漠然と考えていた。 そんな時、また警備隊本部から呼び出しがかかった。 ここに呼ばれるのもあの日以来だ。 ほんの数日前の事なのにミノルと会う前の事が随分昔の事の様だな、などと思いながら大隊長の執務室に入ると、先日と同じように大隊長は不在だった。しかし前回と違うのは見知った先客がソファーに座っていて、俺に片手を上げて挨拶をした。 「よぅ、久しぶり」 「何故ここにサーキスが」 「あー、何か大隊長殿が俺に用があるらしい」 不思議に思い質問すれば、本人もわからないと首を傾げた。 俺とサーキス、警備隊の北と東の隊長が二人で呼ばれるとは……何か市井であったのだろうか。 「お前こそどうした?」 「さぁ?俺も呼ばれただけだからな」 俺だけなら先日の結果報告だろうと想像も出来たが、二人揃ってとなると呼ばれた理由の見当が付かなかった。 サーキスの隣に座り一息つくとサーキスは出された紅茶を飲みながら俺の事を見た。 「お休みは満喫したのかな?」 ただニヤニヤとしているサーキスには、何故俺が休暇を取ったのか言わずともわかっているのだろう。 俺にあのリストをくれたのは誰でもないサーキスだ。 「これで俺の部隊にも「相談事」は来なくなるんだろ?」 「だといいがな……」 サーキスはやはり何の為に俺が休みを取ったのか知っていたようだ。しかしもう俺の手から離れてしまった話だ。後は大隊長と騎士団の方で何とかするのだろう。 「あのリスト、よく一晩で用意出来たな」 ミノルを拾ったあの日、あれはサーキスのリストがあったからこその成果だった。思いがけず大隊長からの依頼が果たせた上に、ミノルと出会う事が出来た事にサーキスには恩を感じずにはいられない。 「まあ、俺のツテでちょちょっとな」 何でもない様な事だとサーキスは片目を瞑った。一晩であのリストを用意出来るなど俺では到底無理な事だ。 「凄いツテだな……」 「俺は上に立つより裏でこそこそしてる方が性に合うのさ」 俺が素直に感心しているとサーキスは困ったように肩を竦めた。 今までも表も裏も通じているサーキスがいたからこそ解決出来た案件は多い。俺もだが、西と南の隊長もサーキスの手腕には一目置いていた。 サーキスは学生の頃から表向きは飄々として掴み所のない様に見えるが、仕事はいつもスマートで完璧だ。サーキスのそんな所は尊敬に値する。 「来てたか」 そんな話をしていると執務室に大隊長が戻ってきた。 大隊長はいつもの軽やかさを一切見せず、何故か苦々しい表情だ。挨拶もそこそこに大隊長は俺達の向かいのソファーに乱暴に腰を下ろした。普段とは真逆と言っていい程のその雰囲気に余程の何かがあったのだと思った。 「どうされました?大隊長」 「ああ、すまないな……」 普段見せないその態度が気になりつい尋ねてしまった。大隊長はチラとこちらに視線を向けただけで、ここの隊員が出したとっくに冷めてしまったお茶を一気に飲み干した。 それで少し落ち着いたのか大隊長はフゥーと大きく息を吐いた。 「お前達に謝らねばならん」 「謝る、とは……?」 「あの酒場の話だ」 大隊長は眉間に皺を寄せながら俺達に謝罪の説明をした。 どうやら俺達が調べたあの酒場、「ライカ」の捕り物は失敗に終わったらしい。 原因は騎士団の一部の騎士達の失態だ。店に踏み込んだ時には既にもぬけの殻で、同時に取り囲んだ彼らの塒と思われていた宿も痕跡すら残されていなかったそうだ。 彼らが消えてしまえば、もう手がかりも無くお手上げ状態だ。ただでさえライカとキルシスの素性ははっきりとしない。彼らが消えた事で強請は無くなるかもしれないが、強請られた貴族達にはもう金は戻らず泣き寝入りして終わりだろう。 一通り話すと大隊長は大きくため息を吐いた。 「ノルマンド騎士団長に今まで謝罪を受けていた。一部の団員が逸ったせいでお前らの努力を無駄にしてしまい済まないと頭を下げてきた」 腹立たしさからか大隊長はチッと舌打ちをした。 「他にも何かありましたか」 騎士団長に受けたのが謝罪だけならこれ程憤慨もしないだろう。ノルマンド騎士団長は大隊長が昔騎士団に所属していた時に部下だった方だ。きっと性格も、騎士団の内情にも詳しい大隊長はそれだけの事で怒る事はないと思った。 「お前達に助力の要請を受けた」 「助力……ですか?」 騎士団が警備隊に何かを頼むなど、今まで一度もなかった事だ。ただでさえ余り交流もなく、一方的に見下されている相手だ。騎士団がその態度を覆すなどプライドが許さないのでは。 俺が訝しんでいると隣に座っていたサーキスは堪えきれなかったのか思い切り吹き出した。 「ふはっ!大隊長、普段俺達を見下しているキシサマの助力を俺達がするんですか?本気で言ってます?」 呆れて笑うしか出来ないのだろう。サーキスからは嫌みを含んだ言葉が嘲笑とともにこぼれた。 大隊長もそれに苦々しい表情になる。 「だから腹立たしい。こんな時ばかり頭を下げやがって!俺はノルマンドをもう少し使える様に育てたはずだったんだがなぁ」 「まあまあ大隊長、ノルマンド騎士団長はしっかりしてますよ。ただその部下の、名前だけで英雄気取りの腐った貴族連中の横暴が過ぎるだけで」 「それな。例えノルマンドがこちらに助力を乞うたところで奴等は納得しねぇ。あいつが素直にこっちに助けて欲しいと思ってたところで団員がまた爵位云々を持ち出して難癖つけるのがわかりきってるんだ。だから面倒臭い話なんだよ」 ノルマンド家は侯爵家の中でもそれ程地位が高くは無い。それ故部下に格上の者がいると序列云々でまとまらないのだろう。 騎士団の一部、爵位の高い者程警備隊を見下しているのは周知の事実。関わらない方がよさそうな話なのだが。 結局助ける事になるだろう。大隊長は身内には何だかんだと優しいのだから。 「それで何を助力しろと」 「助力はほんの少しで良い。グレイン、対峙したのはお前とトーリィだ。お前達にライカの関係者を探し出して欲しい」 「関係者……」 ライカの関係者……。 酒場で会ったあの男は紛れもなくあの店の関係者だ。 だがミノルだってあそこで働いていたのだからライカの関係者になる。例えミノルが店の実情を知らなくてもあの店にいたのは事実だ。ミノルを引き合わせれば済む話なのかもしれない。 しかし今ミノルの事を話すのは躊躇われた。 やっと俺とあの二人に慣れてきて落ち着いてきた所なのに、他人に会わせてまたあの様に拒絶反応が出たら……。また全てを拒絶されてしまったら……。 「お前とトーリィ、それとサーキスがいればそんなに時間もかからないだろう」 「俺もですか?」 はぁ?とサーキスは嫌そうに顔を上げた。 「あの顧客リストはどうせサーキスが用意したんだろう?流石にあれは騎士団には渡していない。あの中には現在あそこに所属している奴等の名前もちらほらとあっていたからな。まぁそいつらがライカに情報を先流ししたからこんな事になってんだろうがな」 「うえぇ、やるんじゃなかった……」 あからさまに落胆の色を見せるサーキスに大隊長は諦めろと視線を投げた。 「ノルマンドに話したのはライカが六番街で娼館紛いの商売をしているという事実だけだ。それだけでも団の中にいる顧客の奴等は自分の事がいつ明るみに出るかと全線恐々だわな。ライカを逃がす事で自分達も助かろうという魂胆が見え見えだ」 「騎士団は……全てとは言いませんが貴族の爵位に忠実すぎるんすよ。だからあそこじゃ真面目な奴等がバカを見る。騎士団長も災難だ」 サーキスは呆れながらため息をついた。 「団長も彼らを纏めるのは並の苦労じゃないでしょうね」 「だから俺はあそこにさっさと見切りをつけたのさ」 成る程。大隊長には騎士団のしがらみなどは本当に面倒臭いのだなと改めて思った。 この人は名より実を取ったのだ。だから子供の頃、それが格好いいと思ったし憧れたのだ。いつだって彼の根底にはそれがあるからついていこうと思うのだ。 「俺はそこの店主と用心棒が強請の一連の元締めだと思っている」 「でしょうね。共犯者が多ければ多い程分け前は減るし、揉め事も増えるのは道理ですから」 平民の下働きの男達を解雇してまで、給金も払わなくてもいいと扱われるミノルが雇われた位だ。金への執着を考えたら大隊長の見解は間違っていないだろう。 「二人で協力してあの店の関係者を当たれ。難しければ何かしらの手がかりだけでいい。本来はあいつらの仕事だ」 「承知しました」 「はいはい、りょーかいです」

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