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プロローグ 逆バニーで潜入捜査
誰にともなく愛想笑いを振りまく黒服男に連れられて、僕は薄暗い店内を歩いていた。
店内は所狭しとソファ席が設置され、それぞれに薄いカーテンで仕切られている。向こうが透けて見えるような薄さのカーテンだ。見ようと思わなくても、その中で行われている淫らな行為は、はっきりと見て取れる。
金を持っていそうな男たちが、希望通りのコスチュームに身を包んだ少年たちを金で買い、弄ぶ……表向きは会員制クラブという体をとっているこの店の実情をしっかりと確認できた。僕は敢えてあちこちへと視線を向け、ゆっくりと黒服男の後を歩いてゆく。
どことなく場末感の漂う退廃的な雰囲気の薄暗い店内のあちこちから、微かな嬌声が漏れ聞こえてくる。各テーブルごとに薄手のカーテンで仕切られているけれど、中で何が行われているかということはすぐにわかった。
さっき盗み見た客帳によると、ここの客の九割はベータ。だが、今から接客を命ぜられる相手はアルファらしい。敢えてこういうレベルの低い店に訪れては、金と権力をちらつかせて若い少年たちを好き勝手にするのが趣味……というのは、バックヤードのボーイに聞いた話。悪趣味すぎて反吐が出そうだ。
「六原様、いらっしゃいませ〜! ご希望通り、かわいい新人くんをお連れしましたよ」
「ほっほ……そうか、いい初物くんが入ったんだね」
「ええ、ピッチピチの初物ですよ。男子高校生のハルくんです。なんと、まだ十七歳♡」
「へぇ〜……おお、こりゃすごい美少年じゃないか! ベータにしてはかなりの上物だな!」
「ええ、どうぞ可愛がってやってください。……ほら、挨拶しなさい」
黒服男に促され、僕は世に言う「逆バニー」の格好で、ビシッと直角に腰を折った。バニーの黒い耳が勢いよくビヨンとしなる。
「新人のハルです! 不慣れなことゆえ勝手が全く分かりませんが、よろしくお願い致します!!」
「えっ……あ、うん。よろしくね……?」
再び頭を上げると、ついさっきまで助平な笑みを浮かべていた男客の顔が、そこはかとなく困惑気味な表情へと色を変えていた。すると、耳奥に仕込んだイヤホンマイクから、ギャンギャンと騒音が鼓膜を刺す。僕に潜入捜査を依頼してきた、馴染みの刑事の声だ。
『バカかお前! もっとこうあんだろーが!! 不慣れなら不慣れなりにウブっぽく可愛くやれ!!』
全方向から不愉快が迫ってくるが、僕は訓練で身についたポーカーフェイスを貫いて、スチャッと男客の隣に腰を下ろした。でっぷりとした身体を窮屈そうなスーツに押し込めた脂っこい中年男の手が、僕のむき出しの太ももにねちゃりと置かれる。ぞわっと全身の毛穴という毛穴が嫌悪感でさざめき立つが、僕は『ウブ可愛さ』を意識しながら目線を伏せ、恥じらうように太ももを擦り合わせた。
——だいたい、何なんだ逆バニーってのは……大事なところが全く隠せてないじゃないか。
ちなみに、僕はベータではなくオメガだ。首に装着したネックガードを隠すために、仕方なく逆バニーのコスチュームを選択した。
黒いウサ耳はまだ分かる。だが、その下がおかしい。白い襟はきっちり上までボタンが留まっているものの、胸元はガラ空きで乳首から下腹にかけて丸出しだ。黒いエナメルで作られた袖、カフスはパリッとした白い布。カフスボタンはシルバー製のウサギ型——まるで意向が分からない。
ズボンと呼べるようなものは与えられず、性器がギリギリ隠れるだけの黒い紐パンが渡されただけ。なのに、ツヤツヤした黒いニーハイソックスを穿かされて、しかもガーターベルトを装着させられ……僕としては、これの着衣としての機能性を疑うばかりだった。
白い肌の上をネチョリネチョリと這い回っている指にはごつごつした黄金の指輪、手首にはこれ見よがしに高そうな金時計。むっちりした指一本一本に生えた指毛の数を数えながら、同僚たちから『顔だけは可愛い』だとか『黙っていればオメガに見える』と評されがちな顔に営業スマイルを浮かべてみた。
「うふふ、威勢がいいね。緊張してるのかな?」
「はい、とても緊張しております」
「礼儀正しい子だねぇ……顔もすごく綺麗だし、ベータにしとくのはもったいないなぁ」
「恐れ入ります」
「まあまあそう畏まらないで。さてと……とりあえずしゃぶってもらおっかな? グフフ、できる?」
「……」
——理想は気高く、清く、逞しく。……だが、現実はクソだ。
僕はスッと立ち上がり、男客の前に立った。
「恥じらい」を意識してはいるものの、未成年者を金で買うようなゲス男を前にしてしまえば、ついつい目つきが鋭くなってしまう。すると「ピッチピチのベータ男子高校生ハルくん」が仁王立ちで睥睨してくることに腹を立てたらしい客が「な、何だねその目は……!? ベータのガキが生意気だぞッ!!」と憤然とし始める。
僕は慌ててしおらしい表情を心がけ、もじもじと股間の前で手を揉んだ。
「あのぅ……すみません。まだ緊張してて……」
「そうかそうか……まぁ、そうだろうね。ふふふ……それにしても美少年だねぇ君。たまらんな」
男客は舐めるような目つきで僕の全身を眺め回しては、はぁはぁと下品極まりない吐息を漏らしつつ股間を膨らませている。
思わず眉をしかめた僕の剥き出しの腹まわりに、男の手が伸びてくる。さわ……さわ……と腹筋をなぞられる不愉快でおぞましい感覚に、眉間のシワがさらに深まってしまった。
「ほうほう、締まってるなぁ……アッチの締まりもよさそうだ……何かスポーツでもやってるのかね?」
「はい。剣道、合気道、空手、柔道は一通り習得しています」
「えっ……? ま、まぁいいや、ほら早く跪いて。舐めなさい」
「……」
——突入はまだなのか? クソっ……なんで僕がこんな仕事をしなきゃいけないんだ。
渋々といった態度を隠そうともせずに跪き、僕はジロリと男を睨め上げた。その鋭すぎる目つきに一瞬怯えた顔をした男だが、どういうわけかポポっと頬を赤く染め、自らの股間を撫でまわし始めている。
「はぁ、はぁ……なんなんだその目は……ッ。私は、これからたんまりお小遣いをくれるやさしいオジサンなんだぞっ!?」
「お小遣い、ですか。いくらくれるんですか?」
「それは君の頑張り次第だがね……。ほうら、お食べ」
と言いつつ、男は自らスラックスのファスナーを下げ、ブルンとした赤黒いペニスを自分の手で扱き始めた。目の前で突然始まった痴態に不快感を禁じえず、どう頑張っても不愉快な表情になってしまう。
「おい、なんだそのゴミを見るような目は。欲しがり屋の浅ましいベータのガキのくせに、無礼だろうがッ……!」
「チッ……汚らわしいモノを見せつけやがる。ゴミ以下の粗末さだな」
「なんっ……!? なんだって!? 何なんだその言い草はっ……!?」
「あ……っ、すみません」
いかん、つい本音が漏れてしまった。
これじゃ潜入失敗だな……と思いきや、男はハァハァと鼻の穴を膨らませ、赤ら顔をツヤツヤさせながら僕を見上げていた。
「私を煽っているのかッ……!? も……もっと言ってみなさい……っ!」
「……」
ちなみに今、僕は潜入捜査の真っ最中である。
僕は真山 春記 、二十五歳。
警備会社『エグゼクティブ・ガーディアン』、略して『exec』に所属している。
『exec』は、警察庁から公認を受けた警備会社。アルバイトから正社員まで多くの人材を抱え、軽微な仕事から外国人VIPのボディガードまで、幅広い仕事を請け負っている。
僕はオメガだが『exec』の正社員だ。二十歳で就職して、はや五年。ありとあらゆる依頼をこなしつつ勉強と訓練を重ね、さまざまな場数を踏んできた。
そして今回は警察から捜査協力要請を請け、摘発の難しい店に潜入している。二十五歳らしからぬみずみずしい容姿を生かしての潜入捜査を依頼されたのだ。
身長は170センチ、平均身長。武道で鍛え上げた僕の全身はしなやかな筋肉で覆われているものの、どう足掻いても細身な身体つきだ。ほっそりした手脚やモデル顔負けの小顔とあって、どこからどう見ても強そうには見えないけれど腕力はある。そして、この容姿はなかなか使い勝手がいい。
女性に扮して囮になったり、少年役を演じて潜入捜査に協力できたりと汎用性が高く、僕の容姿は重宝されている。だが、ゴリゴリのガチムチマッチョに憧れる僕にとっては、決して喜ばしいことではない。
さて、この店には高校生アルバイトとして応募し、僕は無事採用された。
業務内容は『簡単な接客、バックヤードでの雑用』とだけ書かれたあやしいものだったが、時給が良いせいか、僕を含め他にも二人の高校生が応募してきていたので驚いたものである。もっと社会というものを疑うべきだと、その場で説教してやりたかった。
だが、若者が金を欲しがる気持ちはよく分かる。都会にいると、何をするにもひどく金がかかるからだ。仲間相手に見栄を張りたい時もあるだろうし、女にもモテたい。さまざまな欲望を叶えるには、やはり金が必要だ。
だからといって、こんな怪しい店に引っかかって、搾取の対象になるなどあってはならない。そもそも、十八歳未満の青少年は守られるべき存在だ。いかがわしい店で接客させようとすれば、店側は風営法と児童福祉法に基づき処罰の対象となる。もし、本番未満とはいえ彼らの肉体を汚そうとすれば、児童買春・児童ポルノ禁止法により、その店は罰せられることになる。
だが、摘発が入る前にコロコロ店の場所替えを行うなどして、うまく行政の手を逃れてしまう店も多い。この店もそのくちだ。ぬるりぬるりとウナギのように警察の手からすり抜けて、なかなか尻尾を掴ませなかった。
こういったケースの場合、警察から『exec』に出動要請がかかる。警察と連携しつつ潜入捜査にあたり、内側から摘発に足る証拠を集めたり、または現場を押さえさせるのが目的だ。……そう、これは立派な潜入捜査なのだ。
——おい、もういいだろ、早く突入してこい。こんな不愉快な任務は生まれて初めてだ。
赤ら顔で息をフゥフゥ言わせているオッサンはすっかり興奮しているようだが、こんなスケベ親父の性器を握るハメに陥るのは心底避けたい。ついうっかり、この短小な肉棒をへし折ってしまいかねない。
だがそうこうしているうちに、小さな布と紐状のものでしか隠せていない僕のペニスに、男の太い指が這い回り始めたではないか。僕はその手を邪険に払い除けながら、耳に挿入したインカムマイクに向けこう言った。
「もういい、とっとと突入しろ」
「……と、突入していいんだね……!?」
「は?」
冷ややかな僕の声に、男が俄然興奮し始めた。ずるんと僕の下着を下げにかかったかと思うと、男はテーブルの上に置かれていたクリスタルガラスの瓶をその手に引っ掴み、トロンとした謎の液体を、僕の下半身にぶっかけてきた。
「ハァ……ハァ……オジサンのチンポ欲しくなっちゃったんだね……!! いいよ、すぐさま突入してあげる……!!」
思わぬ力でソファに引き倒され、脚を開かされたその瞬間——
「警察だ!! 全員動くな!!」と、野太い男たちの怒号が店内に響き渡る。
……ようやく、クソみたいな時間に終わりが来たようだ。
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