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1、事前回避と流れ弾

 数日後、僕は羽田空港国際線ターミナルにいた。今日の任務は、モルディブでの撮影から帰国したアイドルグループ『ミラージュキス』の護衛である。  僕の担当はというと、出待ちしているファンたちから『ミラキス』のメンバーを庇いつつターミナル内の通路を歩き、玄関口で待機するマイクロバスまで安全に誘導すること。 『ミラキス』は誕生したばかりのアイドルグループなのでファンはそこまで多くはないらしいが、今現在、通路沿いに待機しているファンの数は百人程度。女性ファンもいるけれど、立派なカメラを胸に提げた小太りメガネの男たちのほうが目立っている。  ターミナル内は空調が効いているはずだが、推しを待つファンたちの熱気のせいか、僕の周りは妙に蒸し暑い。きちんと着込んだスーツを少し息苦しく感じつつ、僕は一通りの見回りを終え、持ち場へと戻ってきた。 「おっ、今日は普通のスーツなんだな」 『exec』は、基本的にバディシステムを取っている。この春から組んでいるバディは僕よりふたつ年上の先輩・甲田慎之介(27)。  ベータだが、体格はゴリゴリのゴリマッチョ。ムチムチに張り詰めたワイシャツや、ピンと張ったスラックスのラインなどが非常に理想的な先輩で、仕事に対してストイックなところが尊敬できる相手だ。  ちなみに、甲田さんの趣味は女装である。イベントのたびに写真を見せられるのだが、甲田さんが好むのは肌の露出が少ないメイド服。清楚で可愛らしいメイド服を着用しつつ、巨大な剣や物騒なマシンガンを持ってポーズを取る甲田さんの写真には、毎回数万という数のいいねがつけられている。  女装趣味というところに何ら文句はないのだが、ムキムキの筋肉に憧れる僕には疑問がある。どうしてその立派な筋肉を隠してしまうのか——ということだ。  せっかく女装をするのなら、見事に盛り上がった逞しい胸筋を寄せて上げて雄っぱいを強調すればいいのに、とか。どうせなら、その隆々とした太ももをミニスカートから覗かせて、颯爽とハイヒールを履けばいいのに……などと思うのだが、どうもそれは彼の理想とは異なるらしい。 「いやぁ、かわいかったよあの逆バニー。うん、すっごくエロくて最高だった」 「……殴りますよ甲田さん。警察庁のエリートが頭を下げて頼んできたから引き受けたけど、もうあんな格好絶対にしません」 「でもあれ自分で選んだんでしょ? ちょっと興味あったとか?」 「違いますよ。ネックガードがちゃんと隠せるの、あれしかなかったんですよ」 「なるほどね、オメガも大変だ」  アルファがオメガのうなじを噛むことで『番(つがい)』が成立し、生涯添い遂げるパートナーとなる。ネックガードは、望まぬ形で『番』となってしまうことを防ぐためのものだ。  首にしっかりとフィットするチョーカー型のものが多く、最近ではスマートウォッチとセットになっているものが主流である。  スマートウォッチでは、毎日のフェロモン値を計測することができる。肌から揮発する微かなフェロモンを感知し、数値としてモニターしている。発情期の予測機能や、服薬を促すメッセージの表示、ネックガードの暗証番号管理など、セットで持っていると大変便利で、僕も愛用しているアイテムだ。  あの店に置いてあったコスチュームは、基本的に露出の多いものばかりだった。体操服、スクール水着、猫耳とフェイクファーのショートパンツのセット……思い出すだけで気が遠くなる。    和服もあったしそれはマシに見えたけれど、あれは首元が隠せないので却下した。どんな時であっても、ネックガードを外すことだけは避けたかった。  この世界には、男女の性別の他に第二性というものが存在する。人口の約七を割占めるのがベータ、約二割を占めるのがアルファ、そして残りの一割は、最も希少なオメガである。  アルファ性をもつ者は、カリスマ性を身に備え、肉体的にも頭脳的にも秀でている者が多い。それゆえアルファには権力者が多く、この国の中枢を担う者はほとんどがアルファである。  そしてオメガは、そのアルファを産み出すことのできる唯一の存在だ。人口が少なく希少なオメガは、国家でも大切に扱われる存在である。  だがその裏で、数ヶ月に一度発情期を抱えるオメガのことを蔑む人々も多かった。発情期のオメガは無意識のうちにフェロモンを香らせて、周囲にいる人々を淫らな気分にさせてしまうからだ。 「ふしだらでだらしがない」とか、「性欲をコントロールできないダメ人間」とか「発情期のせいで仕事が遅れる」などと言ってオメガを忌避しつつも、「そっちが誘ったんだろ」と言いがかりをつけ、発情期のオメガをレイプする——そういう理不尽な事件が後を立たなかった。  その手の事件を防ぐために作られたのが、オメガ保護法というものだった。「希少なオメガを保護する」という名目のもと設置された法律だが、その裏では相変わらず、アルファによる過剰な支配が横行していた。名家の多いアルファ一族は、より優秀なオメガを求めるからだ。  オメガに優劣をつけ、時に金を積んでオメガを買う——オメガの人権を無視した制度によって、多くのオメガが不当な扱いを受け続けてきた歴史があった。  だが、世界中に影響力を持つ大財閥・国城家が政界に働きかけ、これまでオメガを締め付けていたオメガ保護法は改正された。  同時に、発情期をほぼ100パーセント管理することのできるツールや、安価で効果の高い抑制剤が開発されるなど、オメガの社会進出を阻んでいた発情期の問題はほぼ解消され、オメガはようやく、人権と自由を手に入れたのである。  まだまだ壁はあるものの、職業も概ね自由に選択できるようになった。一昔前を生きていたら、僕はボディガードになることはできなかっただろう。  隣でウキウキとイベントの話をしている甲田さんと仕事をすることも、出会うことさえなかったかもしれない。 「ねぇ、今度イベント一緒に出ようよ。絶対ウケるから! 絶対すっごい人気出るから!!」 「ぶん殴りますよ」  ビシッとキマったブラックスーツに身を包み、厳しい目つきであたりを警戒しているくせに、甲田さんの声はとても楽しそうである。器用なものだ、と感心してしまう。 「突入してきた刑事たちの顔見た? いや〜むしゃぶりつきたそうな顔してたよねぇ」 「むしゃぶり……どこにですか?」 「そんなの、丸出しになってた君のおっぱいに決まってんじゃん」 「……ぞぞ……」 「あんな際どいパンツ穿かされて、ぬるぬるのローションぶっかけられてんのに、勇ましく大股開いて変態政治家床に押し付けてた僕ちゃんの姿、いやぁ〜ほんと萌えた。真山ちゃん最高。ラブ」  周囲を警戒しつつ、甲田さんはびしっと親指を立てた。サングラスのおかげで、さもクールに微笑んでいるように見えるけれど、ガラス面の下に透けて見える甲田さんの瞳は乙女顔負けにキラキラと輝いている。表情には出さないが、僕はげんなりしてしまった。  潜入捜査の後、通りすがりの刑事たちや同僚たちからからかわれまくった記憶が蘇り、僕は隠すこともなく派手に舌打ちをした。すると甲田さんが、「舌打ちやめなさい」と注意してくる。 「そんなことより、甲田さんこそ切り替えてくださいよ。もうすぐ『ミラキス』のメンバーが到着するんですから」 「分かってるって。いやぁ、アイドルの皆さんも大変だよね。キモいのがわんさとカメラ構えて並んでんだから」  ついこの間、男たちのスケベな眼差しに晒され不快な思いをしたばかりなので、アイドルたちには同情を禁じ得ない。僕は男だが、同性であろうがなかろうが、ああして剥き出しの欲望を向けられる感覚は、やはり不愉快極まりないものだ。  それが嫌なら、誰にも見られないような場所からこっそり空港を抜け出せばいいようなものだが、人気商売のアイドルたちにとっては難しいことであるらしい。   有名人が空港から出入国してゆく映像は、ワイドショーなどでも馴染みの深い絵面だろう。彼らにとって、それはメディアに対するPRの場でもあるのだ。『海外での撮影に参加』『〇〇映画祭へ出発』などなど、海外での活躍を盛大にお披露目するいい機会なのだ。 『ミラキスのメンバー、飛行機を降りてターミナルへ向かいます』  微かなノイズとともに耳にするりと入ってくる無線の声に、さすがの甲田さんの背筋も伸びる。同任務にあたっているA班からの連絡だ。搭乗口からミラキスメンバーに付き添う女性ボディガードたちの声である。  僕ら以外にも通路のそこここに『exec』のスタッフが配置されている。ミラキスメンバーが歩く予定の通路には1メートル弱の高さの柵が設けられているものの、乗り越えようと思えば誰だって乗り越えてしまえる高さだ。油断はできない。 「甲田了解」 「真山、了解」  小さくそう告げ、僕はスーツの襟をピシっと正す。甲田さんもサングラスを外し、設置された柵へずいと近づき、眼光鋭い切長の双眸でオタクたちを睨みつけ始めた。一部の過激なファンが妙な行動をしないよう、こうして牽制しておくのも大切な仕事だ。  ボディガードというと『襲ってきた暴漢と格闘するのが仕事』といったイメージを持たれがちだが、実際のところは、危害からの事前回避が最優先とされる。危害を未然に防ぎ、依頼人が危険な目に遭わないようにすることこそが、もっとも大切なことだ。  僕もスッとサングラスを外そうとしたが……それは甲田さんに止められた。しばしば釘を刺されることだが、「真山ちゃんがそのかわいい顔を出しちゃったら、余計にめんどくさいことになるから」ということらしい。  逆バニー事件からこっち、これまでよりは人目を気にするようになった僕である。サングラスを外そうとしていた手をスッと下ろした。  するとにわかに、ギャラリーたちのざわめきが興奮に染まる。ミラキスのメンバーが颯爽と通路に登場したのだ。  悲鳴に近い歓声がターミナルビル中に響き渡り、一般利用客らの視線も一瞬で集まる。僕は甲田さんとともにミラキスと柵の間に立ち、にこやかに手を振る女性アイドルたちを庇いながら出口へと進んでゆく。  柵を乗り越えて伸びてくる数多の腕にぶつかられ、引っ叩かれ、シャツを引っ張られ、もみくちゃになりながら歩を進めてゆく僕の傍らで、ミラキスのメンバーたちはアイドル然とした可愛らしい笑顔を振りまきながら早足に歩く。     さすがアイドルというべきか、小柄な彼女らから放たれる華やかなオーラには感心する。足元のほうから焚かれるフラッシュにも気付いているのだろうが、彼女らは笑顔を崩さず、「ただいまー♡」「お迎えありがとねー♡」と口々に愛想を振りまいている。  あと少しでターミナルので出口。そこで待つマイクロバスに彼女らを無事送り届けたら、今回の任務は完了だ。  もう少しだけ、ミラキスメンバーに追い縋ろうとする無遠慮な手から彼女らを守ればいい……そう思った矢先だった。 「みゆみゆッ! 迎えにきたよ!!」  出口の脇で出待ちをしていた若い女性たちを強引に押しのけて、小太りな男が飛び出してきた。   「さあ!! ボクと一緒に愛の巣へ帰ろう……!!」  夢見心地のような表情でそう叫びながら躍り出てきた男の手には、ギラリと光る果物ナイフが握られている。  みゆみゆと呼ばれた女性の引き攣った表情、他のメンバーの顔が驚愕に歪んでゆく様子が、僕の目にははっきりと見えていた。  頭で考えるよりも先に、身体が動く。  一直線に男に向かって飛びかかり、果物ナイフをもった手首を掴んでそのまま上へと捩じり上げた。  おかしな方向へ曲がった腕の痛みで男がナイフを取り落とすと、足で素早くそれを蹴って遠ざける。カラカラと音を立ててアスファルトの上を滑ってゆくナイフの音を耳にしつつ、僕は滑らかな動きで男の自由を奪い、一瞬で地面にねじ伏せた。  通常ならそこで制圧完了となるところだが、地面に押し付けた男は、真っ赤に充血した目でギロリと僕を睨め上げた。  口角に溢れた唾液の泡と異常な発汗、焦点を結んでいない虚ろな瞳に興奮状態……どうやらこの男は、薬物をキメているらしい。 「なんだてめぇぇ!! ボクとみゆみゆの仲を邪魔するなァぁぁ!!」  尋常ならざる馬鹿力で抵抗しながら、男が吠えた。A班が怯えるミラキスメンバーとギャラリーを庇い、駆け寄ってくる甲田さんの姿を目の端に捉えながら、あらんかぎりの力で男を抑え込む。  だが、突如バチバチッ!! と弾ける音と共に足首に刺すような激痛が走り、息が止まる。  男はもう片方の袖口に、スタンガンを忍ばせていたのだ。 「っ……クソ……っ!!」  脚を鋭い剣山で突き刺されるような激痛に目が眩む。痛みのあまり意識が遠のきそうになる。この電圧の高さ、違法に改造されたスタンガンに違いない。  一瞬封じられた動きのもと、僕の腕から抜け出す男の後ろ姿と、恐怖に慄く女性たちの顔が見え——……僕は、カッと目を見開いた。  ——逃すか……っ!!  そこからどう動いたのか、自分でも分からなかった。  視界はぐらついているのに、身体は意に反して素早く動く。僕はそのまま男に向かって走り、その勢いのまま飛び蹴りを食らわせた。  ただ、コントロールがまずかった。  吹っ飛んでゆく男の身体のその先には、あろうことかスマートフォンで電話をしながらトランクを引く一般男性旅行客の姿が——……  ——あーーーーっ、や、やばい……っ!!!  小太り暴漢男という流れ弾を喰らって倒れ込む旅行客に心の中で土下座しながら僕はばたりと倒れ伏し、そのまま気絶してしまった。

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