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2、謝罪に向かえば
「なんてことをしてくれたんだ……」
目の前で、社長が項垂れている。
そして、僕も向かいのソファで項垂れている。その隣で、甲田さんも……。
予想通り、僕を襲ったスタンガンは違法改造されているものだった。
軽く触れただけだったので気絶で済んだが、まともに喰らっていたらひょっとすると……と医師に脅され、肝を冷やしたものである。
空港での一悶着から五時間後、僕は無事に目を覚ました。
だが、そのあとに襲ってきた現実に、僕はスタンガン以上のショックを受けている。
「と……とにかく謝罪に行かせてください。謝れば……許してくれるかも……」
「謝って済む問題じゃないかもしれないぞ、真山くん。相手が相手だからな……」
僕と同じくらい白い顔をして震え声を出している社長の顔を見ていると、絶望感がさらに増す。テーブルの上に置かれたタブレットに表示された画面を改めて見下ろした。
『伊月 由季央 23歳』それが、僕が飛び蹴りで吹っ飛ばした暴漢に激突され、怪我を負った人物の名だ。
職業はヴァイオリニスト。
しかも、世界に名を馳せる音楽家の一族、伊月家の長男だ。
そして、紛うことなきアルファである。
「名門アルファのヴァイオリニストに怪我を負わせるなんて……どうしよう、会社潰されたらどうしよう」
「でもでもっ! 真山ちゃんは依頼人のアイドルたちをちゃんと守ったんですし……! それに、僕があの時もっと早く加勢していればこんなことには……!」
と、甲田さんが僕を庇ってくれるが、それはあまり慰めにならない。僕はゆるゆると首を振った。
「パニックを起こした女性たちに二次被害が広がらないようにすることも、大事な仕事ですから」
「そうだけどさぁ……」
「と……とにかく。僕、謝ってきます。まだ病院にいるんでしょ? その人……」
「そうだな。君が謝罪して済む話か分からないが……。ここはひとつ、誠意を見せておかないとな」
ゾンビのほうがよほど顔色が良いのではないかと思えてしまうほどの土気色な顔で、社長はノロノロと立ち上がり、デスクから一枚の書類を取った。そして、僕に手渡す。
「……む、無期限、謹慎処分……? 僕がですか……!?」
そこに書かれた文字を三度見した。一度だけでは理解が追いつかなかったので三度見した。……が、確かにそこには、『真山春記を無期限の謹慎処分とする』と書かれている。
「相手が相手だし、こちらとしても、厳しい処分を下してますっていう姿勢を見せなきゃ。訴訟にでもなったらそれこそ大変だし……」
「そ、訴訟」
「とにかく、これ持って病院行きなさい。手土産も忘れずに買っていくんだよ」
と、社長と甲田さんに見送られたのが小一時間前。
僕は身なりを整えた上で、手土産の高級フルーツ盛り合わせ籠を購入し、伊月由季央というヴァイオリニストが入院している病院を訪れていた。
目の前に聳える白亜の建物は、一見するところまるでリゾートホテルのよう。だがここはれっきとした病院である。金持ちアルファ御用達の大病院だ。
「……でか……」
まるで権力の象徴だな、と僕は思った。スタンガンでやられた僕が運び込まれたのは古びた警察病院だったのに、さすが、アルファの御曹司は待遇が違う。
力の差をありありと見せつけられ、さすがの僕も少し怯んでしまう。だが怪我をさせてしまったことに関しては、きちんと顔を見て謝罪したい。怪我の具合も心配だ。
しかも相手はヴァイオリニストだという。もし、演奏に使う部位に怪我を負わせていたら? 演奏者生命を奪うような重傷を負わせていたら……? と想像すると、足元から戦慄が這い上がる。
「っし……!! 行くぞ!!」
空いた片手でバシバシと頬を引っ叩いて気合いを入れる。
一応社長から事前に連絡を入れてもらっているため、受付はスムーズに通過することができた。緊張するあまり関節が妙な音を立てているがなんとか踏ん張って、僕はとうとう、伊月由季央が入院している特別室へとたどり着く。
高層階はさすがに眺めがいい。窓からは青々とした海が見え、カラフルなパラソルがちらほらと白い砂浜を飾っているのが遠くに見えた。
僕は気持ちを落ち着かせるため、窓に近寄って深呼吸をした。窓にうっすら写った自分と、視線が重なる。
僕の父親は警察官だった。
ベータだった父は、それこそ華々しい出世街道からは縁遠い交番勤務のお巡りさんだったけれど、地域の人々をとても愛していたし、愛されていた。逞しくて、優しくて、かっこいい……そんな父を心から誇らしく思っていた。
だが、僕が高校一年生の頃、オメガと判明する少し前。父は横断歩道で転倒していた妊婦を庇い、トラックに轢かれて亡くなった。父親らしい最期だった。
父の遺志を継ぎ、僕は自分も警察官になる気満々だった。しかし、第二性が発覚した直後、僕はその夢を諦めざるを得なくなった。
『警察組織はオメガを受け入れる態勢ができていない』、という制限が立ちはだかったからである。
ベータの夫婦の元に生まれる子どもは、95パーセントがベータだ。だが稀に、僕のようなオメガの子どもが生まれることがある。
唯一、アルファを産むことのできるオメガは貴重な存在だ。オメガの人権が現在よりも軽んじられていた数十年前までは、ベータ家庭から出生したオメガは親元から引き離され、特別な施設で教育を施されたのち、アルファのもとへ嫁がされる——といったことも珍しくはなかったらしい。
だが、年々オメガへの理解は深まりつつある。発情期などに対するハラスメントについても世間は敏感だ。過去を思えば、随分と生きる上での自由度は上がっているけれど、巨大な組織ほど変化が難しいようだ。
誰かを守れる人間になりたくて、ボディガードを夢に見た。うまくいかない現実に挫けかけたこともあったけれど、時代の後押しもあって『exec』に就職でき、厳しい訓練をこなしてきた。
僕は最近になってようやく、要人警護任務のメンバーに入れてもらえるようになったばかりだった。
大物俳優、経済界の重要人物、海外からやってきた王位継承者……それらの任務は全て順調にこなすことができたのに。
このまま行けば、僕の信頼度も右肩上がりになるはずだった。だというのに、このタイミングでこの大失態。
しかも……仕事に優劣はつけたくはないけれど、ごく軽い任務で失敗してしまった。
認めたくはないが、あの時、僕には油断があった。隙を見せてはいないつもりだったけれど、暴漢を一人で相手を制圧できたという喜びと快感に酔っていた。
——せっかく、ここまで頑張ってきたのに……。
『exec』のメンバーは皆ベータで、気のいい人々ばかりである。だが、一部の社員は口にこそ出さないが、僕が遮二無二努力している姿を見て、「オメガのくせに頑張るよな」と密かに笑っているのを知っている。
最初に気づいた時にははらわたが煮え繰り返りそうになり、同僚たちに殴りかかりそうになったものだった。しかし、必死に宥めにかかってくる甲田さんに免じて、何とか拳を納めたのだ。
個人差はあれど、肉体の基本的なスペックは、ベータとオメガはさほど変わらないという研究データが出ている。
そこからどういう気概で肉体を鍛えてゆくかによって、腕っぷしは変わってくる。そう、とにかく筋肉をつければいいのだ。筋肉は裏切らない。
あとは知識だ。武道を習得してゆくにつれ、肉体をどのように動かせば良いのかが分かってくるし、相手の動きも読めるようになってくる。そうなれば、あとは場数をこなすだけ。仲間内での訓練であっても、常にストイックに身体を使っていれば、自ずと能力は上がってゆく。……たとえ、周りよりスローペースだとしても。
「……大丈夫、ここで終わるとは限らない。しゃんとしろ真山春記。僕はやれる、僕はやれるぞ……!!」
とうとうドアの前に立つ。銀色のプレートに刻印された数字を確認し、僕は震える拳を持ち上げた。
ダン! ダン!! と思いの外大きな音が出てしまい、僕は仰天して手を引っ込めた。すぐさま失態をカバーしようと、「し、失礼致します!!」と、うわずった声で訪(おとな)いを告げる。
「……どうぞ」
低く、どこか無気力そうな声が、ドアの向こうから返ってくる。僕は意を決してスライドドアを開き、病室の中へと一歩踏み込んだ。
広く明るい部屋だった。ちょうど雲を割いて差し込んできた昼下がりの太陽が眩しく、僕はやや目を細める。
甘くいい香りがほのかに漂う病室。その中央に置かれた大きなベッドに、一人の青年が座っていた。
「どちら様ですか?」
見惚れるほどに美しい顔立ちをした青年だ。怜悧な光を湛えた切れ長の瞳が、訝しげに僕の全身を見据えている。
きらきらと繊細な光を纏うこの髪色は、アッシュブロンドと言えばいいのだろうか。少し青みがかった光沢の美しい、透明感のある色だった。
陽光を孕んできらめく髪はバッサリと短く、毛先が無造作にあちこちが跳ねているが、それがとてもしゃれている。
名門アルファのヴァイオリニストというから、おっとり穏やかそうな相手を想像していた。だが目の前にいるのは、どちらかというとロックなどを好みそうな雰囲気の尖った美形だった。
——けど、さすが名門アルファだな……。オーラがすごい……。
伊月由季央の年齢は23歳と書類で確認しているが、上背があるせいか、25歳の僕よりもよほど大人びた雰囲気を醸し出している。
背が高いだけではない。白い病院着から覗くしなやかな首筋や広い肩幅から、この青年が引き締まった体つきをしていることが窺われた。
同僚のムチムチマッチョどもとは違う、無駄のない美しさと、凛々しさ。
青年のあまりの見目麗しさに、僕はついぽうっとなって見惚れてしまっていたらしく——
「で、なに?」
「あっ……! ええと、僕……あ、自分は……」
訝しげな声にはっと我に返った僕は、つかつかとベッドに歩み寄った。
そして、がばりと直角に腰を折って頭を下げる。
「自分は、株式会社『エグゼクティブ・ガーディアン』の真山と申します!! この度は暴漢の制圧に巻き込んだ挙句お怪我を負わせてしまい、大変申し訳ありませんでした!!」
「ああ、そう。あんたが例の警備員か」
「はい……! 自分が例の警備員です……」
しばしの沈黙に不安を感じた僕は、そろそろと顔を上げてみた。
すると、ベッドの上にいたはずの青年がすぐ目の前でヤンキー座り……もとい、しゃがみこんでいるものだから、仰天して思わず半歩後ずさる。
伊月由季央はじーっと下から僕の顔を覗き込み、「こんな細っこい身体で、あのストーカー男を吹っ飛ばしたのか?」と尋ねてくる。
「はい。普段はもうちょっとマシなところに蹴り飛ばたはずなのですが、スタンガンを喰らってしまい、足元が狂ってしまいまして……」
「スタンガン」
「その……君は動いて平気なんですか? 怪我の具合は? ヴァイオリニストだと聞いたけど……」
「ああ……これね」
由季央は立ち上がり、ベッドサイドに腰を下ろして脚を組んだ。
そして、すっと持ち上げられた右手首を見て、僕は真っ青になった。
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