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第18話

絵本を捲るように何度も何度も記憶を巻き返す。 桜の中に立つ姿、秋の夕暮れに染まる姿、冬の夜に振り返る姿。 マイセンのカップで紅茶を飲む彼を見ているだけで、幸せだったのに。 小さな唇が陶器に触れる瞬間を傍らで見つめていると、始めて彼と出会った時に嗅いだミルクの香りが蘇ったのは何時からだろう。 眩しさに眼を細めて見ていた筈の姿に、渇きを覚えたのは何処からだろう。 ミルクたっぷりのビスケットが象徴する無垢さ。 ベビーパウダーを漂わせる子供の清らかな香り。 百合の花のような勇ましさと潔さ。 犯しがたい硬質な聖性。 硬い陶器に触れてそっと潰れる唇に、ぐっと近寄らなければ香る筈の無い甘さを思い出し――手を伸ばしてみたいと思い始めるころ、透明なはずの自分の水は濁ってしまった。 至近距離でないと分からない程の微かな香りを思い返せば、狂おしいほどの熱量が沸き上がる。それはきっといけない事なのだと本能的に忌避していた類のものだ。 傍に居るだけで幸せだった。 錦のたった一人の信奉者だった自分は、何時からか腹の奥に厭らしい蛇を孕んだ。神聖視する事で自らの拠所としていた。彼を見つめる視線に、決して口に出すことはできない陰湿で冒涜的な思いを宿してしまったのだ。 艶々とした髪の毛に触れてみたい。まろい頬を撫でてみたい。 あの柔らかな首筋に指先を這わせたら、彼はどんな反応をするだろう。 ――許されないだろう。 彼が美しければ美しいほど、自分が酷く汚らわしい物のように思えてならない。優しい香りとこの胸に抱く生臭さは相いれない。 それでも、すでに腐った水はもとには戻せないし異臭は隠すことはできない。 記憶の果てに枯れたはずの白百合が強く薫った。

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