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第1話

「この途中式ですが……」  声は少し掠れてる。硬くて、けれど透き通った鉱石のよう。 「ここが、重要です」  黒板に書かれた数式を差す、その白い細長い指先。 「では、ここを読んでもらいましょう」  教科書を見る野村先生の顔。気になるのは、左目下の泣きボクロ。  昼食後の授業はいつも眠くて仕方がない。けれど数学は違う。俺は先生の一挙一動を真剣に見つめる。  そんな不躾な視線に気付いたのか不意にこちらを向いた先生がその薄い綺麗な唇を開いた。 「……藤田、読んで」  なんでこんなにこの人が気になるのだろう。 「藤田、遼一」  魅力的な同性への憧れ、そういうものとは違う。俺はもっと背が高くて体格のよい男になりたいと……。 「フジタ、リョウイチ。聞いてるのか?」 「……あ、はい。なんでしょうか」  みんなの笑い声。俺、何か変なことでもしたか?  野村先生が肩を落として、少し呆れたような表情になった。 「七十五頁。上から読んで、と言っていたんだ」 「……はい」  俺は立ち上がり、指示された箇所を読み始めた。  高校二年になって、数学の担当教師が変わった。女子生徒たちが初顔合わせ前より騒いでいたので、イケメンの優男なんだろうと思っていた。 野村裕貴、と黒板に書かれた几帳面な文字は先生の内面の表れのようだった。 「ノムラ、ユウキ、と言います。よろしくお願いします」  美形で、少し冷たく見えて、男性にしては華奢なその身体。なるほど別の意味でこの先生は女子生徒の憧れの的になるな、と素直に思った。ただ、それだけのはずだった。  俺は数学が好きだ。だが教える教師に興味はない。けれど授業を受ける内に、少しずつ先生が気になっていった。  芯がしっかりしていてブレない、几帳面で程よく神経質で、生徒に分け隔てないその態度。物静かで穏やかなその性格。そして時折見せる優しい笑顔に、俺は少しずつ惹かれていった。

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