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第110話

 何度も抱き合った後、泥のように眠り込んだ。ちょっとだけ先に起きた俺は腕を枕にしている先生の寝顔を見ていた。今度こそ本当に、本当の恋人同士になれたのだな、と感慨深い。ゆっくりと眺めることのできなかったあの時の分まで、ずっと見つめていた。薄日の差した部屋はモノトーンの冷たさも少し和らげてくれていた。  あの日。先生を初めて抱いたあの日。俺は眠っている先生をそのままに部屋を出た。  いや、先生が目覚めていたのは知っていた。彼の寝顔を見つめた時、涙が溜まって今にも零れそうだったことも知っていた。あの時はそれでも別れなければならなかった。しかし今では、それがすべて今日という日のためのものだったと思える。離れていた日々のひとつひとつが先生としっかりと繋がるための楔のようなものなのだろう。  唇が微かに揺れる。途切れ途切れだが、間違いない。あの曲、「薔薇の下で」だ。 ――「『秘密に』とか『内緒で』って意味」  込み上げるものがあって、俺は思わず先生の髪に口付けた。 「うん……」 「裕貴?」 「……何?」  先生が小首を傾げる。そんな仕草さえ、なにもかもが特別に愛おしい。 「もしかして、寝顔見てた?」 「見てたよ。綺麗だな、と思って」 「……もう三十五になった」 「変わらないと思ったけど、……変わったよね、少し」  先生は少し不安げに俺を見た。 「色っぽさが更に増した」 「からかうなよ」 「からかってなんかない」  胸に顔を寄せてくる先生をきつく抱き締める。 「解はこんなに簡単だったんだ」 「え?」  くぐもった声が聞こえてくる。俺はそれを聞こうとして覗き込んだところをキスされた。 「私は、君を愛してる」 「今更?」 「そう。……今更すぎて、……すまない」 「数学の先生なのに、こんなに時間がかかったの?」 「数学には、未解決問題もあるんだよ。……遼一」  二人で笑いながらついばむようなキスを繰り返す。俺は笑った。 「いいんだよ。裕貴はそのままで。いつでも、いつまでも。そんな裕貴を、俺は愛してるんだから」 「……うん」  俺は先生の髪を撫でた。 「一緒に住もう、裕貴」 「……遼一」 「返事は?」  一粒、涙がきらりと伝った。言葉が無くても、今、俺は最高の応えを手に入れた。 「薔薇の下」で育んだ愛は、今、成就する。俺は涙を指で掬うと、裕貴の綺麗な泣きボクロにキスをした。 了

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