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第8話
帰宅ラッシュの時間を過ぎた駅は、改札を通って先に進むほどに人が少なくなった。ホームへと下る階段で探していた姿を見つけた。
「佐野っ」
呼びかけた背中は一度振り返ったが、真翔の姿を認めると、そのまま歩みを進めてしまう。構わずに追いかけた。
「待って、佐野!」
ホームに出ると、電車が滑り込んでくるところだった。
「話したいことがあるんだ」
電車へと向かう佐野の前に回り込むと、硬い表情と対面した。こんな顔を見るのは初めてだ。
「……分かった。うちで話そう」
到着した電車の扉が開き、乗客を吐き出した。促されて乗った電車の中ではお互いに無言だった。扉の方を向いて立ち、次々に流れていく外の明かりを眺めるふりをして、隣の佐野を全身で意識した。これから話すことに集中しようとしても思考が空回り、その時やっと自分が緊張していることに気がついた。その途端、勢いで来ちゃったけど、大丈夫かなと、この後のことが急に不安になった。電車が佐野の家の最寄り駅に近づくごとに、真翔の勢いは熱を冷まされるみたいに挫けていく。
佐野の家に通された時にはもう完全に怖気づいていた。
「それで、話って?」
部屋のソファーに鞄を置いて、佐野がこちらを見る。
「その……連絡、しなくてごめん」
「うん」
会話が終わってしまった。
これじゃダメだ。ちゃんと気持ちを言わないと。そう思うのに、焦るほどに言葉は頭の中でつるつると滑り、霧散していく。
すると、佐野が「俺さ」と先に口を開いた。
「付き合った相手でも、自分のことをいろいろ聞かれると仕事でもないのに、なんでそんなに聞いてくるんだろうって思ってたんだよな」
自嘲的に笑う佐野に、真翔はじっと耳を傾ける。今、佐野は大事な、心の柔らかい部分を真翔に見せようとしてくれている。そう感じた。
「でもこの間、村瀬と話した時に気がついたんだ。それが過去形になってるって。俺は俺のことを村瀬に知ってもらいたいし、村瀬のことならなんでも知りたい。ああ、付き合ってきた相手の気持ちってこういうことだったのかなって初めて分かった。俺は自分が思ってた以上に村瀬のことが気になってたみたいだ」
言って、佐野は「いや、こんなのじゃダメだよな」と首を横に振った。
「村瀬。好きだ」
その言葉に、頭よりも先に胸の中の鼓動が反応する。本当に……?
「バーで会った日、次こそは本気で好きになりたいって言ってただろ? 俺にしとけよ」
距離を詰められたかと思うと、力強い腕に抱きしめられた。
「だから……小柳さんには悪いけど、断って」
腕の力とは反対に弱い声に、胸が締めつけられる。
「……断ったよ」
「え?」
急に身体が離れ、覗き込んでくる佐野の顔が驚きに彩られていた。
「俺も、佐野のことが好きだ」
言葉と一緒に、涙が零れた。泣くつもりなんてなかったのに。見られたくなくて乱暴に擦っていた手を掴まれた。
「本当に?」
「……小柳さんに言うくらい、自信があったんじゃないの」
「村瀬に好きな人がいるらしいって言ったこと? あれは俺の希望だよ。俺だったらいいなっていう」
「よく言うよ」
「ねえ。じゃあ俺はなんで避けられてたの?」
「……先週、佐野と小柳さんが一緒にいるところを見たんだ」
傘で隠れてよく見えなかったけど、キスしたように見えたことまで白状すると、佐野は天を仰いだ。
「俺、全然信用ないな。あんなに口説いてたのになんでそうなるんだよ」
「だって、佐野と俺は違うから」
止まりかけていた涙が、再び溢れてきて頬を伝う。
「また置いていかれるなんて、耐えられない」
「だから勝手に決めつけるなよ」
震える唇に佐野のそれが重ねられた。触れるだけの、優しいキスだった。
「村瀬の不器用なところも、それを補おうと努力しているところも、過去のことを気にし過ぎてるところも、全部好きだ」
「……なんだよそれ」
「少しでも安心してもらおうと思って」
冗談めかして笑う佐野の胸に、真翔は拳をとん、と当てた。
「佐野と会わなければ、俺はこれまで通りでいられたのに。責任取ってよ」
佐野は目を瞬かせたかと思うと、笑みを浮かべた。
「喜んで」
「居酒屋かよ」
言葉に被せるように、再び唇が重ねられた。
今度は深く、侵入してきた舌が口の中を丁寧に舐め、絡み合う。上顎をなぞり上げられて、背筋がぞくっとした。
キスが解けると、「もう無理、限界」と呟いた佐野に手を引かれて、寝室に入った。
朝起きたままらしいベッドに、なんだか生々しさを感じて戸惑っていると、そこへ優しく押し倒された。
「す、するの?」
妙に騒ぎ出す心臓に自分で驚く。初めてでもないのに、今さら。そう思うのに、鼓動は速まっていく。
「悪い、ちょっと余裕ないかも」
覆い被さった佐野にゆるく抱きしめられた。
「抱かせて」
耳元に囁かれた情欲の滲む掠れた声に、真翔は躊躇いながらも小さく頷いた。佐野に求められることが嬉しい。
シャツのボタンを外していき、露になった肌にちゅ、ちゅ、とキスを落とされていく。たったその刺激だけで身体が反応してしまい、戸惑った。今までこんなことなかったのに。
「あっ」
佐野の口が胸の尖りを含んだ。
柔らかく噛んで舌先で転がされ、吸い上げられると、じんとした疼きの下に明確な官能が甘く広がる。
「待ってっ」
スラックスへ伸びた佐野の手を慌てて止めた。
「今日はやめておく?」
「そうじゃなくて……俺、なんか変なんだ。すっごい心臓がばくばくしてて」
まるで自分の身体じゃないみたいだ。すると、止めていた手を掴まれて佐野の胸へと持っていかれた。
「俺も緊張してるよ」
その言葉の通り、胸の下の鼓動は真翔に負けずせわしなく、確かに鳴っていた。
「緊張……?」
「なんだ、気づいてなかったの?」
ふっと佐野が笑う。そうか。俺、緊張してたんだ。分かった途端に、今度は恥ずかしくなってきた。
「ちょっと、佐野……!」
「あんま可愛い反応しないでくれる? 本気で持たなくなってきた」
「あっ……!」
ぐいっと大胆に下着ごと押し下げられ、中心は佐野の節張った手で強弱をつけて擦られる。ダイレクトな刺激に反応して、張りつめていくのが分かる。けれど、達してしまいそうになる寸前で、真翔は再び佐野の手を止めた。
「どうした?」
「俺だけじゃ嫌だ。佐野も……」
って、これじゃねだってるみたい? そう気づいた時には、どんどん尻すぼみになっていく言葉とは対照的に、佐野の笑みが深くなった。
「じゃあ、こっちをほぐさないと」
「んぁっ」
真翔の先走りをたっぷりと纏った佐野の指が後孔にぬち、と音を立てて入ってくる。その感触に耐えると、佐野の指はすぐに発火点を見つけ出した。
「あっ」
紛れもない快楽を指でさすられて、押されて、腰がびくびくと跳ねる。その合間に二本目の指が忍び込み、中を広げられてくぷ、と音が鳴った。粘膜の痙攣するような動きは自分ではどうしようもなくて、指をぎゅっと締めつけてしまう。だけど、これじゃ足りない。
「佐野、挿れて」
「でもまだ……」
「早く」
恥ずかし過ぎて消え入りそうな声になってしまったけれど、ちゃんと届いたらしい。佐野が息を詰め、吐き出した。
「お前な、煽るなよ」
「んっ」
ずるりと引き抜かれた指の代わりに、後孔に熱く張りつめた屹立があてがわれる。初めての時以上に熱を感じ、それだけでほぐされたそこはひくついてその瞬間を待ち望んでいる。
「きつかったら言えよ」
「言ったらやめてくれるの?」
「善処はする」
「あっ……」
軽口に小さく笑うと、佐野が中に入ってきた。疼いていた粘膜はそれを招くかのように呑み込んでいき、そのまま一気に貫かれた。自然と速くなる呼吸を落ち着けようと深呼吸をすると、連動して脈打つかのように中のものの形を意識させられる。
「大丈夫か?」
「んっ、佐野……」
手を伸ばすと、佐野は指を絡めて真翔を抱きしめた。その腕の中がとても温かくて、目尻に溜まっていた涙が知らず零れた。
「動くな?」
頷くと、根本まで収められた屹立がゆっくりと引き抜かれていく。粘膜がざわざわと絡みつくと、それを振り切るみたいにまた穿たれた。
「ああっ」
ぶわっと快感が全身を駆け巡り、目がちかちかした。
「あっ、佐野、佐野っ、どうしよう、気持ちいい……っ」
「うん、俺も」
だんだんと律動は速度を上げていく。
これまで、セックスなんて恋人との必要事項くらいにしか思っていなかった。だけど、そうじゃなかった。好きな人とするのって、こんなに気持ちいいんだ。
「くっ、出る……っ」
「あっ、ああぁっ……!」
中が残さずに呑み込もうとするみたいにきゅう、と収縮する。最奥に放たれるのにすら感じて、真翔も達した。
暗い部屋の中、隣から光を感じて薄く目を開いた。
光源は佐野の手にあるスマートフォンだった。
「ちょっと。それいつの間に撮ったんだよ」
「あ、悪い。起こした?」
覗くつもりはなかったのだけど、見えてしまったそこには、眠っている真翔の写真が収まっていた。
「言っただろ? 写真持ってるって」
「消してよ」
「えー、嫌だ。これ、記念だから」
「なんの」
「あの日初めてした時、気がついたら撮ってたんだよ。自分でもなんでこんなことしてたんだろって思ってたけど、今なら分かる。もうあの時には村瀬のこと、好きだったんだな」
「なっ、なに言ってるんだよ」
そんな言葉に騙されるかっ。そう思うのに、不覚にもどきっとしてしまって、なんだか悔しい。でも、そんなことすらも嬉しいのも本当で。
知ってか知らずか、佐野に抱き枕みたいに抱き寄せられた。その胸の中に顔をうずめて、目を閉じる。
確かにある幸せの存在を感じながら、満たされる感覚に戸惑いながら、真翔は佐野の腕の中で眠りについた。
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