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第7話

連休明け、真翔のいる開発課はにわかに忙しくなった。  基本的に忙しい時期は、人の出入りが激しい春先と決まっている。だけど、この連休明けは契約の更新が重なっていたらしく、連日システムへの申請が飛び交い、それに応じてサーバー接続などの環境設定もしなければない。加えて、問い合わせがとにかく増えるのだ。  昼休憩に入り、会社近くの定食屋の窓際の席に座ると、向かいに諏訪と小柳が座った。 「最近、社長賞来ないな」 「そういえば、今日もいらっしゃいませんでしたね」 「営業も今忙しいらしいよ」  佐野は、ここしばらく情報システム開発課に顔を出さなくなっていた。忙しいとはいえ昼休憩は取れる真翔に比べて、社外へ出ているせいもあってか、それすらもままならないらしい。  家に行って以来、まともに佐野と会っていない。どんな顔で会えばいいのか分からないからほっとしているはずなのに、ふとした瞬間に佐野はなにをしているだろうと考えてしまう自分に、真翔は驚いていた。こんなの、歴代の彼女にはなかった。だけど、知っている感覚でもあって――。  だからこそ、余計に困る。この気持ちは今すぐに厳重に蓋を閉めて、捨ててしまわなければいけないと分かっている。 「へぇ、ちゃんと連絡取ってるんだな」  意外そうに言う諏訪に、真翔は無言で応える。すると、タイミングを見計らったように、スマホが鳴った。 「ほら、噂をすればだ」 「佐野だとは限らないだろ」  言いつつスマホを見れば、今日も来れないという旨のメッセージが佐野から届いていた。約束をしているわけでもないし、別にいいのに。そう思いながらもいそいそと返信する真翔を、にやついた顔で見てくる諏訪に気づきながらも無視を決め込んだ。  佐野のことが気になるのは、誰にも話したことのかなった高校の頃の話をうっかりしてしまったせいに違いない。その話を、馬鹿にすることもなく聞いてくれたのが正直嬉しかった。ただそれだけ。 だからと言って、佐野の気持ちには応えられない。そもそも、向こうは本気で好きだと言っているわけじゃない。こうやって堂々巡りをしてしまうのが嫌だ。  あの日以来、こうして考えていると喉になにかが詰まっているような感じがする。けれど、喉元に手を当ててみてもなんの異変も感じられない。 「……どうかした?」  ふと視線を感じて顔を上げると、それまで今月末にある部署飲みの話をしていたはずの諏訪と小柳が、じっと真翔のことを見ていた。そして、二人で顔を見合わせる。その表情はなんだか笑いを堪えてるみたいだった。 「いや、珍しいなと思って」 「なにが?」 「村瀬さんが、こうやって昼に付き合ってくれることが」  諏訪の言葉を継いだ小柳が、耐えきれずといったふうに小さく笑った。 「そんなこと……」 「なくはないだろ? なーんか壁を感じるっていうかさ」  別に、諏訪や小柳を意識して避けていたわけではない。ただ、特に同性の同僚や友人に対して諏訪の言う『壁』を作っていたかもしれない。  今日だって、いつもなら断っていた。その事実を人から指摘されるまで気づかなかったことに驚いた。 「ごめん」 「謝るなよ、本当っぽいじゃん。っつーか、もし本当に俺に悪いと思ってるなら今回は部署飲み、ちゃんと来いよ?」 「それとこれとは話が違うだろ」 「違くないですー。毎回部長に『村瀬は?』って聞かれる俺の身にもなってほしい。ねえ、小柳さん」  部署飲みとは、情報システム開発課の繁忙期を終えると定期的に開催される飲み会のことだ。自由参加ではあるが、ほぼ全員が出席しているらしい。というのも、毎回逃げ切っているおかげで真翔は入社して最初の一回しか参加したことがない。 「そうですね。今回は強制連行でいいんじゃないですか」  可笑しそうに笑う小柳に驚いた。いつも真面目に頷くだけの彼女が、軽く会話を打ち返すのなんて初めて見た。職場では仕事の話しかしないから当然ではあるのだけど。 「あの、村瀬さん……?」 「あ、ごめん」  珍しくてつい見てしまい、慌てて謝ると隣で諏訪がにやにやと笑っている。 「それだけ? 小柳さん、もうひと声!」 「す、諏訪さん! そういうのいいですからっ」 物足りなそうに言う諏訪に、なぜか今度は小柳が慌てる。なにがなんだか分からずにいると、小柳と目が合った。と思ったらすぐに逸らされ、手でパタパタと仰ぐその顔は少し赤くなって見えた気がした。 昼食を終えて席へ戻り、なんとなしに真翔はスマートフォンを取り出した。 『今日の夜、飲みに行かない?』  佐野から届いていたメッセージに、操作をする指が止まる。文面を読んで、嬉しいと思ってしまったことに戸惑った。だって、会いたいと思うのと同じくらい、もう会わない方がいいと警鐘を鳴らす自分がいる。なんて返せばいいんだろう。画面の上を意味もなく指が滑っていると、再びスマートフォンが震えた。 『ごめん、クライアントとのアポが入った。また今度埋め合わせする』  膨らんだばかりの気持ちが、一気に萎んだのが分かる。その萎んだ残骸が発酵してしまわないうちに指を動かし、「了解」とだけ返した。  そして、椅子に深く座って細く長く息を吐く。これでよかった、ちょうどよかったんだと自分に言い聞かせる。パソコンの時計を見れば、もう業務再開の時間だ。いつもならすぐに頭が仕事モードに切り替わるのに、今日は少しだけ時間がかかった。  仕事を終えて会社から出ると、空は闇と同化した重たい雲が広がり、雨が降っていた。  結局、昼過ぎから問い合わせが増えて残業になってしまい、就業時間をすっかり過ぎてしまっていた。これでは、どちらにしろ佐野とは食事へ行けなかったなと思いながら折りたたみ傘を開く。  だけど、少しでもいいから会いたかった。  傘の上で弾ける雨音を聞きながらはっとする。違う、これは友達としてってことだろう。そうじゃなければいけない。だって俺は、男が好きなわけじゃないから……。心の中のいい訳ですら我ながら弱々しい。  今日は家に帰ったら熱いシャワーを浴びてさっさと寝てしまおう。また堂々巡りになりそうな思考を強引にシャットアウトして、横断歩道を渡ろうとした時だった。視界の端に見知った顔を捉えた。 「佐野……?」  真翔のいる通りの反対側に、傘を差した佐野がいた。けれど、一人ではない。その傘の中には、なぜか小柳が一緒にいた。  離れていて会話は聞こえないが、二人とも真剣な顔で話している。そして―― 「え」  傘が傾いてよく見えなかったけれど二人の顔が重なり、キスをしていた、ように見えた。  青色だった信号が点滅して赤色へと変わる。  二人は真翔に気づくことなく、肩を寄せ合ったまま地下鉄の入り口を下っていった。  喉にまたなにか詰まるのを感じる。  その姿が見えなくなり、再び信号が青に変わっても、真翔はその場から動けずにいた。  パソコンに表示されるランチタイムの時間を見て、真翔はそろそろだ、と席を立ち上がった。  雨の日、佐野と小柳を見てからちょうど一週間が経った。その間、真翔はといえば、佐野からの連絡になにも返信ができないままでいた。  どうしても小柳と一緒にいた佐野のことを思い出してしまう。そのくせ、佐野の口から直接そのことを聞きたくないと思う自分がいる。高校の時の彼と同じ。やっぱり全部勘違いと思い上がりだったんだ。本気にしなくてよかった、と心から思う。それなのに、今まで通りにできずにこうして逃げ回っているのはなんなのか。正しくないと分かっていても、自分ではどうすることもできずにいた。  適当な店で時間を潰して戻ると、諏訪が真翔の席で待ち構えていた。 「社長賞、さっきまでいたよ」 「……そう」 「なんかあったの、お前ら。あんなに仲良くランチしてたのに」  明るく聞いてくる諏訪に、真翔はにっこりと笑みを浮かべた。 「別に、なにも」  すると、諏訪は不満そうに口をへの字にした。 「なんだよ。最近ちょっとは変わったと思ったのに、気のせいだったみたいだな」 「なにが?」 「それ。笑顔の威嚇、戻ってんぞ」 「そんなこと――」  してない。そう言おうとしたのに、言葉が続かなかった。言われてみれば最近、無理に笑うことが少なくなっていた。張っていた気が緩んだというか。 「違うって言うなら、今日は遅れずに来いよ?」 「今日?」  定時後、真翔は前に佐野と飲んだ居酒屋と同じビルに入っている店に来ていた。その座敷は、真翔達の部署の人間で埋まっている。  忘れていた……。  グラスに残ったビールを飲み切って、真翔は肩を落とした。先日、参加すると言ってしまった手前断れずに出た部署飲みは、やっぱりと言うべきか、居心地のいいものではなかった。これまで何かと理由をつけて避けてきた行事だ。それに加えて――。 「飲み物頼みますか?」 「あ、ああ、ありがとう」  隣に座った小柳にメニューを差し出され、慌てて受け取った。  メニューを横目に、小柳をそっと窺う。胸の上に落ちるゆるく巻かれた髪が目に入ると、嫌でも先日見た光景を思い出してしまう。すると、ふと顔を上げた彼女と目が合った。 「そ、そういえば、村瀬さんが飲み会に来るのって初めてですよね」 「初めてってわけじゃないんだけど……って、小柳さんが入社する前の話だから、似たようなものか」 「そうですよ。これからは、お酌くらいさせてくださいね?」  言いながらはにかむ笑顔を可愛らしいと思う。そう思うほどにどうしてか胸が苦しい。  そこから逃れたくなり、外れの席に移動した。周りに人がいないから座敷全体が見渡せて、人の輪を転々とする諏訪の姿を見つける。それ以外にも、同じ部署だから知った顔はあるのだけど、わざわざ話したいという気持ちにもなれない。グラスを空にすると、真翔はそっと席を立った。  幹事に帰る旨を伝え、先に金を払って店の外に出た。 「村瀬さん!」  背後から呼び止められて振り返ると、小柳が追ってくるところだった。見れば、小柳も鞄を持って帰り支度を済ませている。 「どうしたの?」 「村瀬さんに言いたいことがあって」  声は震えているのに、小柳の目は真っ直ぐに真翔へと向けられていた。 「私、村瀬さんのことが好きです」 「え……」  一瞬、なんて言われたのか分からなかった。だって、小柳さんが好きな人は佐野のはずで……。 「村瀬さんのいつも優しいところ、素敵だなってずっと思っていたんです。私だけに特別そうしていたわけじゃないって分かってはいるんですけど、すごく嬉しかったんです」  小柳は言葉を切ると、決心したように背筋を正した。 「好きな人がいるのは知ってます。佐野さんから聞いたので……」 「いや、ちょっと待って。小柳さんは佐野のことが好きなんじゃないの?」 「……迷惑だったのならそうはっきり言ってもらえた方が嬉しいです」 「ごめん、ちょっと混乱してて……。偶然見かけたんだけど先週の雨の日、小柳さん佐野と一緒にいたよね?」 「あ、はい。傘を失くしてしまって困っていたら、ちょうど訪問先へ向かう佐野さんに会って、入れてもらいました」 「それだけ?」 「そうですけど……?」  不思議そうにする小柳は嘘をついているようには見えない。ということは、勘違いをしていた……? 「あの、村瀬さん。お返事なんですけど」 考え込む真翔の様子を見て、小柳が真剣な表情で切り出した。  そこで初めて、告白への返事をしなければいけないと気がついた。いつもなら、笑顔で応えていた。今日もそうすればいいだけのことだ。小柳と付き合えば、もう佐野のことを考えて振り回されなくてよくなるかもしれない。なによりも、女性を好きになるのだと決めた。だけど――。 「私、急ぎませんから。お返事、待ってま――きゃっ」 「小柳さん……!」  駆けだそうとして躓いた彼女を抱きとめた時だった。  すっと線が結ばれるように、小柳越しに視線が絡んだ先には、佐野がいた。  真翔たちと同じビルから同僚達と出てきたらしい佐野は、真翔と小柳を見て一瞬だけ固まった。 「あ……」  支えたまま小柳と抱き合っていることに気づいた時にはもう遅かった。真翔達から視線を外して、佐野はなにもなかったかのように行ってしまった。誤解された。そう思った瞬間、身体が動いた。 「ごめん、小柳さん。気持ちは嬉しいんだけど、付き合えない」 「そう、ですか。やっぱり、好きな人がいるんですね」 「……うん」  答えて、ああやっぱり、と思う。もう逃げられない。 「村瀬さん。先に行ってもらえますか?」 「え、でも」 「タクシーを捕まえて帰るので、大丈夫です。ちょっとひとりになりたくて」 「分かった。小柳さん、ありがとう。本当に嬉しかったよ」  別れ際に見た彼女の顔は、涙を堪えながらも笑みを浮かべていた。 なにをしているんだろう、俺。  そう思いながらも気づけば足は走り出していた。  今までみたいに、告白されたまま流されて小柳と付き合うのが正しいのだと思う。それが求めていた姿だ。  だけど、もうダメだ。佐野のことが好きだ。 気づいていたけれど見ないふりをしてきた気持ちは、閉じ切れなかった蓋を押し上げて溢れ出す。  ずっと喉に引っかかっていたものが、胸の中にすとんと落ちた。

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