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第2話
「父親がいないなら、その子をおろせ」
その言葉が自分の口から出た瞬間、わかっていた。
最低で、取り返しのつかない発言だったってことは。
でも、止められなかった。
いや、止めたくなかった。
今、俺は人生で初めて――
本気で誰かを殺したいと思っている。
頭の中が真っ白になって、心臓が爆発しそうなほど脈打ってる。
全身の毛穴から、噴き出すような怒りが突き上げてくる。
こんなに、感情を制御できないのは初めてだった。
そして、本当に怒りをぶつけたい相手は……この部屋にはいない。
けれど、俺の目の前でベッドにもたれて、ただ黙っている義弟――敬の無言が、
それ以上に俺の怒りを煽った。
何も言わない。目も合わせない。
ただ俯いて、何も語ろうとしない。
それが、俺を壊していく。
「涼、あなたの気持ちはわかるわ」
すぐ横から、母の鋭い声が飛んだ。
「でも、だからってそんな酷いことを言っていいわけがないでしょう。……頭を冷やしてきなさい」
瞬間、母の目が怒りに染まり、俺をまっすぐ睨みつけてきた。
だけど、俺も引かなかった。
「言われなくても、こんなとこ居られるかよ」
ベッドに座る敬を一瞥する。
敬は目を伏せたまま、まるで感情を持たない人形みたいに微動だにしない。
それが余計にムカついた。
俺はドアノブを乱暴に握りしめ、
思いきり引いて、病室のドアを叩きつけるように閉めた。
隣の応接室にいた父は、俺の様子を一瞥しただけだった。
冷たい視線。それだけ。
そして、また病室の方へと視線を戻し、
深く、重いため息を吐いた。
怒るでもなく、驚くでもない。
まるで最初から、こうなることがわかっていたかのような態度だった。
(……ふざけんなよ)
父のその無関心とも取れる反応が、胸の奥でまた炎を上げた。
俺は何も言わず、今度は廊下に出るドアを開け、
また大きな音を立てて、閉めた。
ここが病院だってことくらい、わかってる。
でも、だからってこの怒りをどこへやればいい?
エレベーターホールへと進み、
無駄に光沢のあるステンレスのボタンを、力任せに押す。
ピン――という音とともに、扉が開いた。
中へ入り、1階のボタンを押す。
扉が閉まりかけた瞬間、抑えていた怒りが溢れ出した。
拳を振り上げ、そのまま壁に叩きつけた。
「くそっ……ふざけんな……!」
鋭い音が密室に響く。
殴った右手に、痛みが広がっていく。
でも、それで少しだけ落ち着いた。
痛みだけが、今の俺を地に繋ぎとめてくれている。
1階に着いた合図のピンという音が鳴る。
扉が開き、光が差し込んだ。
目の前には、シャンデリアが照らす広くて白いホール。
病院というより、どこかの高級ホテルだ。
(……ここ、ほんとに病院なのかよ)
思わず鼻で笑ってしまう。
自動ドアを抜けた先には、広すぎる車寄せ。
そこに、黒いアヴェンタドールSが待っていた。
限定7台の特別モデル。すでにエンジンはかかっている。
助手席のドアを開け、体を滑り込ませる。
運転席には、幼馴染で親友の佳壱が座っていた。
「……すげぇ顔してんな、お前」
「……うるせぇ」
佳壱は何も言わずに車を出す。
その気遣いが、ありがたいとも思わなかった。
それくらい、今の俺はぐちゃぐちゃだった。
「……あいつ、最後まで何も言わなかった」
「……そうか」
「名前も、何も。
ずっと黙ってた」
「マジかよ……」
佳壱も息を呑んだ。
「裕も動いてたよ。
あいつ、婚約者だろ? 一番つらいのは――」
「はっ、婚約者? 最上級アルファ?
守れなかったくせに、何が番だよ。笑わせんな」
吐き捨てた声が、車内に重く落ちた。
「敬が……誰にも何も言わなかったのは、
あいつなりに、守りたかったからだと思う」
「それでも……」
それでも、俺には許せなかった。
黙ってるあいつも。
何も知らないままのあいつも。
そして――
その沈黙で俺を壊した、あいつ自身も。
(……敬、お前だけが何も言わないのは、ずるいよ)
その一言だけが、ずっと胸に引っかかっていた。
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