1 / 40
欲しがりな彼 1
広瀬は東城に以前連れて行かれた会員制倶楽部の宿泊施設にいた。東城に、今日はここで待ち合わせしようといわれたのだ。
何回かに1回は広瀬も東城の希望にあわせることにしている。
東城からは先に部屋に入っててもいい、と連絡されていた。
フロントに行くと、丁寧ににこやかに挨拶される。「お待ちしていました。東城様から伺っています。お部屋で待たれますか?」
名乗りもしないのにそういわれた。広瀬の顔を覚えているのだろうか。そう何回も来ているわけでもないのに。
「ロビーで待つことにします」と答えた。
フロントのホテルマンはうなずいた。「承知しました。なにか、お飲み物をお持ちしましょう」
「お水ください」と広瀬は言った。
「かしこまりました。そちらでお待ちください」と言われたので、ロビーのソファーで座っていた。
「広瀬さん」と突然呼びかけられた。知らない声だ。振り返って見るとにこにこと満面の笑顔の男が立っていて、会釈をしてきている。広瀬も思わず会釈をした。誰だっけ。この前会ったのは覚えている。事件関係者ではない。
もう一度顔をみていると自分から名乗ってきた。
「この前お目にかかりましたよ。弘一郎のはとこの藤花隆平です」
ああ、と思い出した。
この前といってもかなり前だ。
東城から大きくて美味いステーキを奢るからと誘惑されてうっかり郊外について行ったら、食事前にステーキハウスの近くのこじんまりとしたテーラーメイドの店に連れて行かれたのだ。
藤花隆平と名乗った男にはそのテーラーで会ったのだ。
どうやら、自分の服の試着というのが東城のその日の目的で、ステーキハウスはテーラーメイドの店主に聞いて後付でセットされただけだったようだった。
東城は、背が高く胸板が厚いので、既製服だとどうしても形があわないらしく、私的な会合用にはこのテーラーで作ってもらっているらしかった。多分、東城の家の御用達なのだろう。店に入ると名乗りもしないのに若い店員がすぐに彼のことをわかり、店主を呼んでいた。
店の椅子に座って出来上がったスーツを東城が試着しているのをぼんやりみている。たしかに普段仕事で着ているスーツとは全く違う。彼のたくましい身体の線が美しくみえる。手足も動きやすそうだった。動作がきれいで無駄がない東城には似合っている。
感心してみていたが、しばらくすると飽きてきた。
おなかがすいた、とこれから食べるステーキのことを思っていたら、後ろから「弘一郎」と東城の名前を呼んだ男がいた。
急な呼びかけに驚いて広瀬が振り返ると、同年輩の若い男が立っていた。背が高く、東城ほどではないが、がっしりした体格をしている。健康的に日に焼けている。着ている服装はラフだったが、全身ブランド物なのは明らかだった。腕時計から全てあわせると、多分、広瀬のクローゼットの服を全部どころか何倍か買えるくらいの金額だろう。
「すごい久しぶり」と男は言った。声がはずんでいた。「1年ぶりくらい?元気そうだね。美音子さんやご家族のみなさんどう?」にこやかだ。
ところが、東城は、広瀬の後ろに立つその若い男を見て、顔をしかめた。舌打ちしそうな勢いだ。
「なんでお前がここにいるんだよ」とまで言った。
「なんでって、僕もここで作ってるから。多分弘一郎と同じで、来月の記念会の服受け取りにきたんだよ」と男は言った。あからさまに嫌そうな顔をされているのに意に介していないようだった。「その黒色似合うね。今度僕もその色の作ろうっと」
東城はふいっと別なほうをむいた。こんなあからさまな態度を他人にとるのは珍しい、と広瀬は思った。東城は内心は別にして、誰に対しても基本は笑顔で礼儀正しいのだ。
若い男は、そんな東城の態度にクスっと笑った。そして、椅子に座って東城をみていた広瀬に気づく。
「わあ、きれいな人だなあ。弘一郎の新しい彼女?」と聞かれた。
東城は答えない。こめかみがピクッとしている。
若い男は広瀬にそこで名乗ってきた。「僕、藤花隆平といいます。弘一郎の親戚です。幼馴染でもあるんですよ」彼は広瀬に手を差し出してきた。「弘一郎はいいなあ。いつもこんな美人ばっかりつかまえられて。うらやましいや。それに、あなたは今まで僕がみた弘一郎の彼女のなかで一番きれいだ」
目が悪い人なんだろうか、と広瀬が思っていると、半ば強引に手を引き寄せられ、握手させられた。
「お名前は?」と聞かれる。
「広瀬です」と広瀬が思わず言ったと同時に、「答えなくていい」と東城が声をかぶせてきた。そして、先に広瀬が答えてしまったことに対して、本当に舌打ちしてきた。
隆平は、東城の態度にではなく広瀬に驚いた表情をした。「男の人?あ、すみません。男性だったんですね。あんまりきれいだったし、弘一郎のお連れだったから、てっきり新しい彼女だと思っちゃって。失礼しました」隆平は、広瀬に頭をさげた。「テーラーにお友達と一緒って珍しいね、弘一郎」と彼は東城に話しかけた。
東城は試着をさっさと終えて、店主に礼を言っていた。新しいスーツは送ってほしいと告げていた。
身支度をすませると、広瀬に、「お待たせ。行こう」と声をかけてきた。
広瀬は立ち上がる。隆平は会釈をしてきた。「では、また」と彼は言った。「弘一郎、来月の記念会で」
「お前が来るならいかないから」
「またそんなこと。できるわけないだろ。弘一郎が来なかったら、みんなうるさくて大変だよ。王様目当ての女性たちが大勢いるんだから」
東城は広瀬を押し出すようにして店をでた。後ろから隆平が「またね」と言う声が聞こえてきた。
ともだちにシェアしよう!