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第48話

「今回はまだ、って……?」 「……セイラン」  静かな声が名前を呼ぶ。セイランは何も疑わずに、自分を呼んだルピナスに視線を向けた。ルピナスの桃色は、じっとセイランを見つめていた。その瞳と、視線が重なりあう。 「……あれ?」  次の瞬間、セイランは何を疑問に思っていたのか綺麗さっぱり忘れていた。ミハネに尋ねたいことがあったはずなのに、自分が直前まで何を話していたのか思い出せない。 「どうされました?」 「……あ、いや、……ミハネさんとルピナスって、研究分野近かったのか?」  ミハネに聞かれ、セイランは違和感を隠し適当なことを言って誤魔化す。どこに疑問を持ったのだろう。  ――ミハネさんの話には、何もおかしなところなんてなかったのに。 「近いも何も、ほとんど同じですね。私が少々専門的なくらいです」 「まぁ、天使について研究してる人間は少ないからね。ボクも知り合いはミハネくらいさ。良い議論相手にはなるよ」 「そっか、二人は知り合いだったんだ」  二人の言葉を聞いて、セイランの中で、それまで必死に考えていた天魔戦争だとか、悪魔とか天使だとかが急にどうでも良くなる。そんなことよりも、二人は以前からの知り合いで研究仲間だった。やたらと親しげなわけだ。それが分かった瞬間、セイランは不思議と安堵していた。心の中のモヤモヤが一つ、フッと消えていく。 「さ、お話はこれまでにして、件の書物を見つけましたよ」 「え、なぜ先に言わない?」 「……おれ、これ眺めてるから、二人はそれ見て来ていいぞ」  二人が信念を注いでいる研究に関する重要な史料。そんな大事なものを調査している二人の元に、字すら読めない自分がいるのは余りにも場違いすぎると、セイランは自ら身を引いた。調査に集中してもらいために、セイランは持っていた本を持って机に向かう。  ミハネとルピナスは目的の史料を見に行ったようで、少し遠くの机で本を開く音がした。セイランも持っていた本を傷つけないように机に置いて、ちらと二人を一瞥する。二人は真剣な顔つきで史料を眺めながら何か話していた。二人とも学者の顔をしている。セイランには踏み込めない、知識が必要な舞台。  机に置いた本に視線を戻し、セイランはその本を閉じる。どうせ見ても分からないから。セイランは足音を殺して、二人の邪魔をしないようにそっとその場を後にする。正直、こんなに本に囲まれているのなんて初めてで、セイランはすでにこの雰囲気に耐えかねていた。少し外の空気を吸ってこようと、セイランは入ってきた場所とは違う出入り口を探す。古い史料の背表紙を眺めながらセイランは本棚の隙間を抜けていく。  すると、本棚の間を縫った先に螺旋階段を見つけた。階段は二階へと繋がっているようで、真下から覗いて見るがその先に扉のようなものは見えない。セイランは興味本位で階段を上ってみることにした。螺旋階段をトントンと上ると、その先は開けた空間になっており、大きな机と椅子が並んでいる。正面に黒板もあり、ここは会議室であるとセイランは察する。図書館のこんな奥まった場所、それなりに地位や名誉のある学者が議論するための場所なのだろう。  辺りを見渡してみると、会議室の反対側、図書館の一般図書のエリア側は図書館内を見渡せる大きなバルコニーになっていた。一面ガラス張りだが、魔法による特殊な加工が施されているようで、向こう側からはこちらが見えないようになっている。表から見た時は、このガラスがある部分は確か鮮やかなステンドグラスに見えていた。このバルコニーからは両側に細長い廊下が伸びていて、図書館はすべてそのガラスで覆われているようだ。ここから図書館内の様子を人間の目によって監視できるようになっているらしい。  セイランはなんとなくその廊下を歩き出す。特に監視する対象なんてものはいないのだが、図書館を俯瞰するなんて経験は初めてで、単純にこの図書館の構造が面白かった。図書館を見下ろし、本を立ち読みしたり、手に取って机に向かう学生を見つつセイランはコツコツと廊下を進む。  不思議な感覚だ。こちらからは向こうが見えているのに、向こうからはこちらが見えていない。  ――まるで、おれだけ消えたみたいだ。  こうしていると、孤独を感じてしまう。自分だけ独りぼっちであるという錯覚。違うと分かっているのに。 「ままー、おうさまのかみしばい、みてきてもいい?」 「あら、紙芝居? いいよ、ママといっしょに行こっか」  無意識にただ足だけ動かしていたセイランに耳にそんな会話が届き、セイランは俯きがちだった視線を少しあげる。いつの間にか児童書のコーナーにまで来てしまっていたらしい。その一角、ちょうどセイランの斜め下にあたる場所。そこには、靴を脱いで座れる子ども用の小さな広間があった。どうやらそこで何やら読み聞かせがあるようで、子どもが集まり、周囲をその親たちが囲んでいる。  なんとなく、ほんの気まぐれで、セイランはそこで立ち止まった。正面に設置されている紙芝居スタンドの背後に一人の男性が立つ。 「さぁみんな、今日は我らの国の王、ストリキ・ラピュア様のお話をしよう。みんな、ストリキ様のことは知っているかな?」  ストリキ……、ラピュア。「知ってるー!」と元気に答える子どもの声を聞きながら、セイランはぽつりと一言、「しらない」と、吐き出す。 「そう、ストリキ様はこの国で一番の魔力を持つ最強の魔法使い様だ。我らの国は、最も強い魔法使いが王となる。今日はみんなに、ストリキ様がどうやって王様になったのかをお話しよう」  語り手の男性が、紙芝居の舞台をそっと開いていく。描かれているのは、一人の男の絵だった。それは当然、物語の主役である。現国王、ストリキ・ラピュアを描いている。 「……、……?」  なぜだろう、なぜ、こんなに。胸がざわつくのだろう。  セイランは、今この時まで王の名前を知らなかった。当然顔を知っているはずはない。それなのに、描かれた男の顔が、胸に引っかかった。

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