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第63話

 薄暗い隠し通路を歩く三人分の足音は、空洞の中で反響し響き渡る。周囲が静かな分、その音がより大きく聞こえ、誰かに聞かれてはいないか都度不安になってしまう。地下道を歩いていた時のように、セイランはランタンを持ち、二人は魔法で生み出した炎で周囲を照らしていた。ここはあの地下道とは違い、道幅は狭く、天井も低かった。さらに日が沈むまでの間にルピナスに聞いた通り、通路は至るところで分かれており、とても複雑になっているようだ。  先導するルピナスと殿を務めるミハネに挟まれ、真ん中を歩いていたセイランの表情はどこか冴えないものだった。視線を伏せ、足元を見て歩くセイランの頭の中には、先ほど別れたあの白い生物の姿がまだ残っていた。最後まで別れを惜しんでいた寂しそうな表情が頭から離れない。自分の何がそんなにお気に召したのか分からないが、少なくともセイランを主人と認識していたことは、誰が見ても間違いはなかった。 「……セイラン、もしあの子がまだお前の側にいることを望んでいるのなら、きっとあの子はあそこでお前を待っているはずだよ」 「……そう、かな?」 「そうだよ。だからそんな顔してないで、無事に脱出して、今度こそあの子に名前をつけてあげよう?」 「名前……」  あれからセイランは結局あの生物に名前を与えることが出来なかった。あまり言葉を知らないセイランではあの美しい生物に見合う言葉を見繕うことが出来なかったということもあるが、次第に「自分が名づけるなんておこがましいんじゃないか」という思いが浮上しルピナスとミハネが戻ってくる頃には何も言葉が思い浮かばなくなっていた。  赤い水晶玉は、最後の瞬間までセイランを見送っていた。こんな自分を、あの子は待っていてくれるだろうか。セイランの中に込み上げるのは、期待よりも不安だった。記憶にあるこれまでの人生の中で、自分の帰りを待っていてくれる存在なんていなかった。セイランにとっても、それが当たり前だった。ギルドに帰ってきた時も、色々なことで意識を失って目を覚ました時も、側には誰もいなかった。「ただいま」も「おかえり」も、「おやすみ」も「おはよう」も知らない。それがセイランの生きてきたすべてだった。 「大丈夫だよ」 「……?」 「ボクがお前を、守るから」  ルピナスのこの言葉を聞くのは何度目だろう。本来なら、それを言うべきはセイランだったはずなのに。完全に立場が入れ替わってしまった。最初はルピナスの方が守られる対象だったはずだというのに。  セイランはルピナスの強い決意に、黙って微笑む。同じ「守る」という言葉なのに、ルピナスの声はセイランの何倍も頼りがいのある強さを持っていた。すべてを敵に回してでも守り抜くという決意。それはセイランの、自分が犠牲になってでも守るという決意とは違う。ルピナスの「守る」には、しっかり自分も含まれていた。 「……研究所はもうすぐだよ。理想はその場で調査することだけど、もし見つけるのに時間を食ったり誰かに見つかったりしたら問答無用で盗む。いい?」 「あぁ、了解」  ルピナスがこれだけ気を張ってくれているのに自分が足手まといになる訳にはいかない。セイランは頭の裏でひりついていた不安を振り払い、大きく息をつく。  入り組んだ通路の一つの終着点。石壁に取り囲まれた空間の突き当たりにあったのは、「LABO」という堀りが入った木製の扉だった。かなり古くからあるようで、扉はところどころ脆く腐敗している。ルピナスが戸を軽く押すと、扉は難なく開いた。キィと高い音を立てて扉は内側に開く。その先には研究所へと続く階段があった。少し上を見上げてみるがその先は暗く、どこまで続いているのかは分からない。  ルピナスは黙ってミハネと視線を交わすと、ぼんやりと高所を見上げていたセイランのフードの中に手を入れた。それからバンダナを少し下ろし、前髪をばらつかせて目元を隠す。マフラーも膨らみをもたせて鼻の頭まで隠れるようにすると、最後にフードを下にぐいっと引っ張った。そのセイランの背中から大剣が持ち上げられる。 「ミハネさん?」 「恐らく、研究所内でこれを振るう機会はありませんから。見つかったらセイランくんはここに逃げ込むことだけを考えてください。これは私がお預かりしておきますので」 「……、……わかり、ました」  振り返った先にいたミハネもまた、セイランと同じように顔の大部分を隠していた。誰かに見つかったときに、すぐさま逃げなければいけないのは、ミハネも同じなはずだ。セイランは体力や純粋な腕力だけは人並み以上だと自信を持っていた。この場にいる三人の中で、一番走れるのは恐らくセイランである。それなら、荷物になる大剣は使わないにしてもセイランが持っていた方がいいはずだ。そんなことはさほど賢くないセイランにでも分かること。自分よりも明らかに賢いミハネやルピナスがわからないはずはない。しかしセイランに向けて穏やかに微笑んだミハネを見て、それを口にすることは出来なかった。  ――きっと、何か作戦があるんだ。 「行こう、セイラン」  ルピナスが先頭に立ち、静かに階段の足をかける。セイランも頷き、その後に続いて研究所へと続く道を進み始める。  妙に胸騒ぎがするのは、きっと気のせい。鼓動が落ち着かないのは、自分が弱いから。  真っ暗な階段を仄かな焔が照らしている。その先にあるものは希望であると、セイランはただ信じるしかなかった。

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