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第78話

 城での一件から一週間が経過した。セイランはあの日以来、ミュゲと共に天法の鍛錬を始めた。ミュゲ、というのはセイランに妙に懐いていたあの白い獣に付けられた名前である。セイランは自分やルピナスと同じ花の名前を付けたい、とルピナスの母の遺品である古代の花の図鑑を読み漁り、一つの花を見つけた。それが「スズラン」。当初は、「これで!」とセイランは言い張ったが、セイラン自身の名前の響きとあまりにも似すぎているためルピナスに強く却下され、仕方なく異国でのスズランの別称であるミュゲが採用された。といってもセイランはミュウ、ミュウと呼んでおり、もはや七日にして別の名前となっている。  一週間のうちに、セイランの天法はみるみるうちに成長していった。これまで魔法が使えない存在だったとは思えないほど、セイランは独自に術を次々と身に着けた。最初の時点で、ストリキという強い魔法使いの、これまた強い術を跳ね返していたのである。セイランに力があるのは当然と言えば当然だった。  ストリキは戦いのあった次の日には意識を取り戻していた。だがセイランに先天術が通らなくなったとしると、昨日までの威厳ある振る舞いが嘘のように失せ、抜け殻のようになっていた。セイランが使えなければ、ストリキが企てていた策は実現不可能である。それはつまり、ストリキの世界を征服する王になるという計画の終わりを示していた。  ストリキを負かしたセイランとルピナスがストリキのこれまでの悪事を世界に広めるのは容易いことだった。ストリキに王たる資格はない。そう告発して、ストリキと、それに加担したラピュア家の人間を国から追放するのは、言葉では容易いことである。だが、それには大きな代償が伴う。  腐ってもこの男は今、国を治める王なのである。何も知らない国民たちにとっては、反乱を治めた英雄だ。その裏で二人の子どもが利用されていたことを知るのは、ほんの一部の魔法使いたちのみ。国民に真実を知らせれば、間違いなくストリキは王位を失うだろう。良くて国外追放、悪くて処刑。そうなれば、国には大きな混乱が起こる。国の中枢にいたラピュア家は失脚し、空白の玉座が聳えることになる。国の基盤が揺らげば、他国から目を付けられる。セイランに擦り付けようとしていた戦争の扇動という大罪。あれもまた実際はストリキが行っていたものだが、諸外国と現在一触即発状態にあるのは事実だ。  今国が瓦解すれば、最悪この国が失われる。セイランもルピナスも、そんなことを望んではいなかった。いっそセイランは誰に対する罰も望まなかった。ルピナスがストリキと、研究所やロベリアでセイランを虐げたものたちへの何らかの処罰を望む中、セイランはそんなルピナスを窘めて、寂し気に微笑み、ルピナスに告げたのだった。 「この男を殴っても、おれの時間は返らない。父さんと母さんは、還らない」 「ルピナスの手が、汚れるだけ」 「おれなんかのためにルピナスの綺麗な手を汚さないで」  本当は誰よりも憎んでいるはずなのに。誰よりも殴りたいはずなのに。セイランはルピナスの手を汚すことを嫌がった。セイランにそう言われては、ルピナスも殴れない。上げた拳を下ろすしかなかった。  しかし、かと言ってルピナスはセイランにこれだけのことをした国に残ることは受け入れられなかった。そして、ルピナスは代わりに国に対してこう提言した。「この国の真実は、忘れる。その代わり、二度とボクとセイランに関わるな」と。  そして、七日目のこの日。早朝の空気は澄んでおり、昇る朝日が町を照らし始めていた。王都の北門前。そこには旅装束を纏ったセイランとルピナスの姿があった。二人が見つめる先には、ミハネが立っていた。 「……ミハネ」 「何度誘われても私は行きませんよ」 「ミハネさん……」  門を境に王都の内部に残っているミハネは一人だけ学者服のままだった。旅をするための荷物というのも何も持っておらず、ただ寂しそうに眉を下げる二人に対して胸を張って鼻を鳴らす。 「お二人は若いから分からないでしょうけど、もうこの歳で旅なんてコリゴリなんです」 「でも……」 「でもじゃありません。というか夜ごとイチャイチャされる側の身になってください。私の先天術はお二人の消音用じゃないんですよ!」 「あれはセイランのせいだよ」 「えぇ……おれちゃんとだめだって言ったよな……?」  いつも通りのペースを見せるルピナスを、ミハネは黙って見据える。ミハネはルピナスが産まれてくる前からルピナスの世話役だった。産まれたその瞬間からずっと、その成長を見守ってきた。ルピナスにとっても、ミハネは父親よりも父だった。別れが名残惜しそうなルピナスに向けて、ミハネは口を開く。

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