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第1話
ガラスのカーテンウォールを通して、夏のはじまりを告げる眩い光がシャワーのように降り注ぐ。爽やかな空気に目を細めながら三倉(みくら)歩(あゆむ)は足を止めた。
なんて清々しい一日のはじまりだろう。
こんな日は、なにかいいことが起こりそうな気がする。
「リクエストが全部通ったりして」
真っ先に現金なお願いが頭に浮かび、歩は思わず苦笑した。
寝ても覚めてもそのことばかり考えているせいだ。今朝なんて、願いが叶った夢を見て「やったー!」と両手を挙げたところで目が覚めた。まるで子供だ。
───でも、正夢になるといいな。
そんなことを思いながら広い館内をぐるりと見渡す。
ここは歩にとって職場であり、大好きな場所のひとつだ。歩が東京ナショナル美術館で学芸員(キュレーター)として働きはじめて三年が過ぎ、四度目の夏を迎えようとしていた。
小さな頃から絵を描くのが大好きで、それに没頭している間は母親に「ご飯よ」と声をかけられても気がつかないような子供だった。一度のめりこんでしまうと周りの音が聞こえなくなるのは今も同じだ。
そして、絵を描くのと同じくらい、絵を見るのも好きだった。絵画鑑賞が趣味の両親の影響もあったかもしれない。自宅の本棚にずらりと並んだ画集や図録を絵本代わりに眺めて育った歩は、ごく当たり前のようにこの道を選んだ。
大きくなるにつれて、作品を『作る側』から『見せる側』へと興味が移ったのも、今にして思えば自然なことだったのかもしれない。自分が美術館の一員になってみてはじめて展覧会を開催することの大変さと、それを上回るよろこびを日々実感している。ただ作品を見ていた頃には想像もしなかったことだ。それだけ『見せる』ことの舞台裏には公にはならない、けれどたくさんのドラマがある。
もう少しだけこの空間に浸っていたくて、歩は壁際の長椅子に腰を下ろした。
今はまだ静寂に包まれている館内も、あと一時間もすれば来場者たちで賑わうだろう。
そんな人々を最初に迎えるのが左手に見えるウォールバナーだ。インフォメーションを曲がってすぐ、真っ先に目に飛びこんでくるように天井から吊された大看板は、展覧会の案内であると同時に歩の憧れの象徴でもあった。
キュレーターたるもの、いつか自分が提案した企画展を開催したいという思いがある。企画力や集客力を問われるため決して簡単なものではないが、それが叶った暁にはあんなふうに大きなバナーを掲げ、多くの人に自分が推す作品の素晴らしさを伝えることができるのだ。研究者としてこれ以上誇らしいことはない。
そんな歩も、キュレーターを志した最初の頃は企画展がなにかもよくわからなかった。
実際、一口に『企画展』と言っても様々だ。
たとえば『ルーブル美術館展』のように、名だたる美術館の作品を並べる新聞社主催の大規模な巡回展や、『狩野派展』のように流派の変遷に焦点を当てたもの、画家の生誕百年などの節目に合わせた記念展など、それぞれ特定のテーマに基づいて行われる。
こうした企画展は、企画を通した本人がメイン担当、もうひとりがサブ担当としてふたり態勢で準備を行う。歩も今、とある展覧会のサブ担当として二年後の開催に向けて準備をしているところだ。
歩は鞄から一冊の文庫本を取り出し、ぱらぱらと捲った。今度の展覧会の主人公である作家の生きた時代を知る上で、参考になればと読み返しているものだ。
「華やかにして激動の帝政時代。貧しさに喘ぐ農民から時の権力者まで、ありとあらゆるものをキャンバスに描き留めた画家───」
稀代の逸材と呼ばれたイワン・グラツキーは、歩がサブ担当を務める企画展『イワン・グラツキー展』の主人公であり、子供の頃から画集で親しんできた画家のひとりだ。
身分が人の価値と呼ばれた時代。人間の内面を暴き出すような鋭い観察眼と高い写実性、巧みな表現力を武器に、腕一本でのし上がった人だ。そこには美醜を越えたなにかがあり、とりわけ皇帝の肖像画には魂が宿っているように見えるほどだった。
昔から、グラツキーの絵だけは他と少し違って見えた。自分を強く惹きつけて止まないなにかがあり、メイン担当の相羽(あいば)志郎(しろう)ともその話で意気投合したものだ。
「相羽さん、学生の頃からグラツキーが好きだったって言ってたもんなぁ」
今回の企画展の構想期間たるや、実に八年。やっと夢が叶うとくり返し語る相羽の顔を思い浮かべながら歩はそっと頬をゆるめた。
相羽は、歩の教育係をしてくれた先輩でもある。とても優秀な人なのに、好きなものの話になると止まらなくなるような一面もあり、歩もグラツキーの絵が好きだと知るや両手を握り締めながらよろこんでくれたものだった。
「あんなバナーなんて掲げたら、相羽さん感動で泣いちゃうかも」
涙もろい自分もきっとその隣で泣いているだろう。なんだか気恥ずかしいような、でもやっぱりうれしいような。初日が待ちきれない思いで歩は二年後に思いを馳せた。
展覧会は、グラツキーの没後二百年を記念して開催される。
彼の生まれ故郷であるルーシェは広大なユーラシア大陸の北側を大国ロシアと二分する西側の国で、かつては中欧のみならず、西欧、さらにはイスラム諸国にまで名を轟かせた一大帝国だったという。
本来であれば、記念展は本国で行われてもおかしくないものだったが、作品を収蔵しているルーシェ美術館の一部が改装工事に入ることや、別の大きな企画とバッティングした事情なども重なって、ありがたいことに先方から作品貸し出しの許可が出た。
今はこちらから借りたい作品のリクエストを出し、先方の回答を待っているところだ。すべてが認められるかはわからないけれど、日本ではじめてまとまった数の作品を迎えて開く、かつてない展覧会になるだろう。それをこの手で作り上げるのだ。
「楽しみだなぁ」
わくわくと胸を高鳴らせながら目を閉じた、その時だった。
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