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第85話 【篠田視点】バレンタインも俺たちは通常運行(2)

先輩がリビングに戻ってくるまでに俺も着替えをし、おにぎりと一緒に自分が買ってきたチョコレートをダイニングテーブルに並べておいた。 すると手や顔についた汚れを落として戻って来た先輩がせっかく泣き止んだのにまた目に涙を浮かべて言う。 「佑成ごめん、まじで……」 「ああ!いいからいいから。一樹さん、ほら座って」 「俺なんにも用意出来なかった」 「いいから、飲み物は?コーヒー?紅茶?緑茶?」 すっかりしょげてしまった先輩に飲み物を勧めると、先輩はおにぎりとチョコレートの箱を見比べて答える。 「紅茶……」 チョコの方に合わせてくれたらしい。俺は沸かしておいたお湯で紅茶を淹れる。 「はい、どうぞ」 「ありがとう。なぁ佑成」 「ん?」 「玄関にいっぱいチョコ置いてあったな」 会社から紙袋一杯のチョコを持ち帰って廊下に置いてきたのだった。 「あー、気にしないでよ。一樹さん食べたいのあったら好きにどうぞ。いらない分は姉ちゃんに送る」 何気なく答えると先輩は赤くなった目でじっとこちらを見つめてくる。気に障ることでも言っただろうか。 「どうしたの?」 「佑成って本当に興味ない女の子には冷たいよね」 「え?そうかな」 「俺が女の子だったらチョコを姉ちゃんに横流しされたら悲しい」 そう言われてちょっと想像してみる。たしかに、もし俺が先輩にチョコをあげたのにそれを開封もせず妹の美月ちゃんにさっさと送られてしまったらショックだ。 「あー……そうか。まずいかな。俺が食べるべき?」 「ううん。それはそれで俺がムカつくからやめて」 「ははっ。ですよね」 話は終わったとばかりに先輩がチョコの箱を指さして言う。 「これ開けてもいい?」 「どうぞどうぞ」 結構几帳面な性格の先輩は包装紙を破かず丁寧に開いた。 「わ~、うまそう!食べていい?」 「もちろん」 「佑成はどれ食べる?」 「いいよ、俺は。一樹さんが全部食べて」 「えー、どれ食べよう……」 綺麗なチョコレートの粒を一つ一つ見比べて迷っている先輩が可愛くてたまらなかった。俺のために平日なのに頑張ってくれる最高の奥さんだ。 「いただきまーす!」 美味しそうに頬張るのを眺めてるだけで俺はお腹いっぱい。お腹が空いていた先輩はおにぎりもぺろっと平らげて、チョコも4つ食べて満足げに息をついた。 「はぁ、美味しかった~。ありがとう佑成。俺もう少し練習して土日にちゃんと作り直すから許してくれる?」 「何言ってるの。いいよもう気にしなくて」 「だけど……」 それでもまだ気にしている先輩に俺は今なら行けそうだと踏んでお願いを切り出す。 「ねぇ、もし先輩が俺にチョコ用意出来なくて気になるなら俺のお願い聞いてくれる?」 「え、そりゃ俺に出来ることならなんでもするけど?」 「ちょっと待って、今持ってくるから」 「うん?」 俺は玄関のチョコと一緒に置いてあったもう一つの袋を取ってきた。 先輩はそれを不思議そうに覗き込む。 「これ何?」 「チョコだよ。一樹さん、これを溶かして欲しいんだ」 俺が買ってきたのは製菓用のクーベルチュールチョコレートだった。すると先輩は焦って逃げ腰になる。 「へ……?何作る気か知らないけど、俺お菓子は失敗しちゃうんだってば!」 「あー違う違う。ただ溶かして舐めるだけだから安心して」 「はぁ?これ高いやつだろ結構。もったいなくね?」 「いいの。一回やってみたかったけど一樹さんが嫌がるからできなかったやつせっかくバレンタインだからやりたいなーって」 それを聞いた先輩の顔からスッと表情が消えて能面みたいな顔になった。どうやら俺の意図がわかったらしい。 「佑成、俺こういうのは嫌だって言ったよね?ベッド汚すの絶対嫌だからね!」 そう、俺は先輩の身体にチョコを塗って舐めてみたかったのだ。 しかし綺麗好きな先輩はこういうのを絶対だめだと許してくれず、酒を飲んでベロベロに酔った状態でも首を縦に振らなかったのだ。 「えー、でも今日一樹さんは俺にくれるチョコ無いんだよねぇ?」 「あっ、そ、それは……」 部屋を汚すのは嫌だけど、俺へのチョコが無いことも申し訳ないという先輩の葛藤が目に見えてわかる。そこで俺は助け舟を出した。 「ふふふ、一樹さん。実はいいものを手に入れたんだ~」 「え、なに?」 袋にはチョコレートだけではなく、ドラッグストアで買った物も入っていた。 「じゃーん、使い捨て防水シーツ!」 「は?何だよそれ……?」 「いやー、この前姉ちゃんの子育てトークに付き合わされたとき子供用のおねしょ対策に防水のシーツがあるって聞いてさ。それあったらチョコプレイできるじゃんって思いついたんだ」 俺が得意げに言うと先輩は心底嫌そうな顔でこっちを見た。 「お前、そこまでしてそんなことしたかったの?たまに見た目に似合わず残念なとこあるよな」 「いいだろ!男のロマンなんだよっ!」 「俺は女の子にそんなことしたいと思ったことねーよ」 「ぐっ、なんと言われようと今日はやるから!」 先輩はため息をつきつつも最後には俺の提案を受け入れてくれた。

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