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幽霊棟の消失(1)

 スコップの先端が地面に沈む感触が、とつぜんやわらかいものへと変わった。そのあとに、自分の髪の毛が濡れていることに気がついた。雨が降ってきたのだ。  手入れの施されていない土は、上に生えた木々にただただ養分を送り、今日まで生かし続けた。ぬかるみ始めた土を掘っていると、時折硬い石にぶつかった。なにやら大切な臓器に触れているような気分にさせられる。  雨が降ったことで、常緑樹の合間から零れていた月光が姿を消した。  ……よわった。  周囲に目立ったあかりはなかった。目立つのを極力避けるため、アウトドア用のランプなども用意していなかったのだ。  これではなにも見えないじゃないか。  でもそんな心配はけっきょく杞憂に終わった。なぜなら数分ほどで、雨の深夜という特殊な環境に対して、目が慣れてくれたからだ。  ともなれば、雨の来訪は喜ばしいばかりだ。  額や首筋、そして酷使し続けた腕に浮かんだ汗を、天の恵みはすべて洗い流してくれた。顔のまわりに飛んでいた、うっとうしい羽虫もいなくなっている。湿った空気は、スコップの金属から漏れる余計な音を隠した。  作業がしやすい内に……。  そう思ってさらに地面へ、穴を掘り進めた。  どのくらい時間が経ったのだろうか。やがて、最初はバケツほどの大きさだった穴が、直径3メートルほどの大きさの穴へと変わった。  ひとつ残念なところがあるとすれば、深さはそこまで出せなかったことだ。腕の筋肉がじわじわと悲鳴をあげていた。  スコップを傍らに投げ捨てる。  たったいま完成したばかりの穴を、しげしげと観察してみる。底の部分までしっかりと覗いた。  灰色の石が、穴の壁の部分から飛び出している。それに、あれはなんの植物だろうか。茶色のなかに濃い緑が少し混じっていた。  こんな風に、夜目はしっかりと穴の全貌を捉えた。  なのに土が掘り起こされた跡は、なぜか巨大な人間の目のように見えた。白目の部分はない。自分の背より大きい黒目が「こんなおそろしいことはやめろ」と訴えかけるようにじいっと睨んでくる。  生ぬるい雨が首筋を伝って、我に返った。  繁みに隠していた、それを引きずる。あまりに重たくて、疲労した指のあいだから、何度かビニールの持ち手が逃げた。だけどなんとかして、穴の淵まで持ってきた。それを掴んでいた指をパッと離し、黒目の底へ向け、足の裏で蹴り飛ばした。  軽くバウンドしながら落ちていく塊に、 「全部、名雪(なゆき)のせいだから」  はたして同情なのか憎悪なのか。よくわからない思いで、つぶやいていた。  自分の喉から漏れたとは到底考えられないほど、その声は冷めきっていた。けれどその冷酷さが己に刻まれるまえに、声は雨の粒へと吸収された。  ――そうだ。名雪が悪い。  今度はあたまのなかだけで、そう確信した。  ひと呼吸置いてから、スコップを再び掴む。  そして穴のなかへと、土を還しはじめた。   

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