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encounter.Ⅰ ディープデイの刺客

12月1日。欧州の偉大なる島国。 西岸海洋性気候の曇りがちな空の下、フロントガラスに水滴を浮かべたブラックキャブが列を連ねて視界を過ぎる。 最高気温は8℃。午後15時を越え、目と鼻の先の日没。 傘を差さないお国柄、通行人は防水の硬い上着を着こみ、冷めた珈琲を手にサブウェイの乗り場へ消える。シティー・オブ・フォグ。 「20ポンド紙幣を渡して、確かに君は受け取っていたよ」 「ノーサー、ノーサー、まさか」 営業許可も怪しい道路脇の露店、タブロイド紙を丸めた男と店員が何やら言い争いをしている。停めた車から一帯を眺めながら、運転手…ラスト=ワンダーランドは眼鏡の奥の瞳を細める。 喧騒を避けるブロンドの女性。ペキニーズと連れ立つ青年。白髪の紳士。 傍目には何の感慨もない雑踏の中、ラストはここ最近確かな違和感を拾っている。 2、3回。否、約5回。 人種の坩堝の様な退廃地区で、一週間以内に同じ造形の顔を見た。 髪型や服装を頻りに変えているが分かった。否変えているからこそ、より怪しく記憶には焼き付いていた。 逡巡し、早々と鞄からマルチディレクターを取り出す。針は触れない。眺めていると俄かに助手席のドアが開き、車内へ8℃の冷気と小雨が吹き込んだ。 「この送迎車はドアも開けられんのか」 現れた男が悪態づく。濡れた荷物を積み込むや、彼は結局自らドアを開けて後部席に乗り込み、益体な薄っぺらい絹のハンカチでコートを拭い始めた。 「社長」 「何だ?風邪を引きそうだ」 「携帯を私に」 雇用主は渋面をつくりながらも素直にものを差し出した。理由を問う間はない。この運転手は優秀なコンサルであり、今や会社のハンドルも握っている。 「愛人とのメールは見ないでくれ」 「ここ一週間ほど尾けられている様です、何か心当たりは?」 「知らん…パブのケツ持ちと揉めた、少し、ほんの少しだ」 不審なアプリの類いが無いのを確認し、後部座席へ早々と携帯を返す。 車内も検知器は引っ掛からなかった。雑踏のスパイは消えていた。勘付いたことに勘付かれたかもしれない。先ほど間抜けにも、自分は2秒ほど見詰めてしまった。 「後は少し決算を誤魔化した、少しだ」 「ATMへ行ったにしてはやけに時間が掛かっていましたが、何かありましたか」 「観光客に道を聞かれた」 確かに観光客がこの街に迷い込む例もある。しかし稀だ。大通りを歩いて鳩にぶつかる程度の確率だ。 この地区”ディープデイ”は必ず観光サイトの注意喚起リストに載っており、要は治安が悪い。警察は犯罪者に小遣いを貰い、犯罪者のパブで小遣いを使う。お互いで金も善悪も回し合い、確かなのは広場の鉄塔に表示されたグリニッジ平均時くらいだった。

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