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encounter.Ⅰ-XⅡ

「何をイラついている?」 ラストがフラット社に付き合った日数は短くない。つまりこの雇用主と苦楽を共にした距離もそれなりで、言わずとも虫の居所の悪さを当てられる。 「…貴方は頭が悪い」 「今更何だ!」 「しかしそれは私も同じ、所詮思考がこの小さなロンドンの枠に収まり、大海を見られず死ぬ市民。法すら飛び越えられる柔軟な思考へ勝てない」 来客対応もせず、剥いたニンジンを刻み始める背中を見詰める。ラスト=ワンダーランドが卑屈になるとは珍しい。入社以来この青年に頼り切っていた大人は、一杯になるまな板から目を逸らして唸った。 「ラスト、まさか犯罪者と勝負しているのか」 「今持ち掛けられているのは勝負の審判です」 「ジャッジ?」 触りだけなら良いか。雇用主は何だかんだ保身だけは上手いので、深く首を突っ込む事もないだろう。 ラストはまな板を埋めた具材を鍋へ投下し、結局胸の内を漏らして話す。 「そうです…だから腹が立つ、勝負そのものなら私は愉しい。勝っても負けても、相手が賢いなら尚更愉しい。しかし審判?…私はフラッグを振るだけ、それでゲームセット、無いんですよ、一番大事なものが」 「大事なもの…?」 「勝利の喜悦です」 刻まれず残ったニンジンへ、忌々し気に包丁を突き立てた。雇用主が肩を跳ねさせたのも気に留めず、向き直った青年は眼鏡の位置を正して言い募った。 「フラット社はもっと大勝出来る、この英国の階級社会の枠を抜け、世界に共通する”金”というルールに基づいて…私はそれが愉しみで仕方ない」 「おいおい、お前未だ会社をデカくする気か!?」 「それに比べて審判などと…良くも審判など誰にでも出来る仕事を押し付けてくれた…がっかりです、私にとって塵芥に等しい金など寄越して」 言いたい事を吐き出し終えたのか、ホワイトカラーらしい華奢な背が再びこちらを向く。雇用主は理解し難いながら、何となく彼の面倒な状況と不平不満の原因を悟った。 悟った上でどうしようもないと判断したのか、「引継ぎの件は明日電話する」と言い残して踵を返す。 「…勝ちを決める、という愉しみはあるのでは?」 去り際慰めのつもりで余計な事を継ぎ足したが、ラストは振り向かなかった。”これは勝負を成した上へのパフォーマンスに近い”というナイトメアの揶揄を思い出し、何も愉しくなはいと口中へ吐き捨てた。 自分である必要など無かっただろう。 カニバルは「恋をした」等と冷やかしていたが、ラストが業腹な理由はこれだった。つまらない男たちめ、と呟いた声は監視に聞こえただろうか。視界の隅のローテーブルで数度、モバイルが点滅した様な気がした。

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