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第12話 明暗 4

 馬のひづめの音を聞いたのは、明け方だっただろうか。遠く、何騎もの馬たちの(いなな)きも聞こえる。  夢現(ゆめうつつ)に、ライエンたちだろうかと考えた。いや、そんなわけはない。彼らは着いたばかりだ。数日をここで過ごし、再び王都に戻る。それまでに出来れば快い返事が欲しいと言った。  快い返事⋯⋯。  不意に訪れる眠気と覚醒との狭間(はざま)で、微かに耳が音を捉えた。  部屋の扉が静かに開く。侍従が来るには、まだ早い時間のはずなのに。  どこからか湿った空気が流れてくる。ひそやかな足音は、敷き詰められた絨毯に吸い込まれていく。少しずつ、自分に近づいてくるのを感じた。  目の前に人の気配がして、ぴたりと止まった。  ひやりと冷たい手が頬をかすめた。びくりと体が震え、思わず目を開ける。  波打つ銀の糸が、真っ先に目に映った。 「⋯⋯え?」  目の前には、厚い外套に身を包んだ男がいた。深い湖の色を(たた)えた瞳が自分を一心に見つめている。 「ヴァンテル?」  それ以上言うことは出来なかった。男の腕が伸びて、胸の中に強く強く抱きしめられる。  息をするのも動くのも辛い。寝間着を身に着けただけの体には、外套から伝わる冷気は身を刺すようだった。服越しに厚い胸板を感じ、薄い体は強靭な腕の中で今にも砕かれるかと思えた。  肩口にうっすらと積もった雪が、ぽとりと鎖骨に落ちる。肌を伝う冷たさに身を震わせると、ヴァンテルは、はっとしたように体を離した。 「⋯⋯アルベルト殿下」  聞いたこともないほど優しく、名を呼ばれた。  まるで、ずっと大切に抱えていた言葉を口にするように。  瞳を見開いて、大きく瞬きをした。  無礼者、と叫ばなければいけなかった。  こんな時間に何をしに来た、と叱りつけなければいけなかった。  銀色に光る髪が、白薔薇と同じように(ほの)かに輝いたからなのか。  青い瞳が、夜明け前の空のように美しいと思ったからなのか。  明けきらぬ闇に沈む部屋の中で、吸い込まれるように見つめていた。  頬に手が触れ、髪を()かれ。  唇がゆっくりと重なっていく。  冷えた唇に体温が移り、ヴァンテルがわずかに震えていたのだと気づいた時。  自分の体から、強張った力がゆるりと抜けていくのがわかった。  どれほど抱きしめられていたのか、男の腕の中にあった体が離される。  ヴァンテルは私の頬を両手で包み、額に口づけを落とした。呟くように言葉がこぼれる。  貴方がここにいてくださってよかった、と。

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