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第14話 追憶 1

   誰の顔も見たくない。  誰の声も聞きたくない。  自分の中で、幼い子どもが悲鳴を上げている。  窓が(きし)んだ音を立て、風が不気味な唸り声をあげる。  外は吹雪だろうに、凍宮の中は不思議なほどの静けさを保っていた。  レーフェルト凍宮は造営から長い時が経っていた。私が到着する前に、莫大な金をかけて修繕したのだと聞く。偶然なのか、それとも廃嫡を見越しての準備だったのか。そう考えるだけで、心がどこまでも冷えていく。  廃嫡を告げた日に、ヴァンテルは言った。 「御身の今後の生活は、今までと変わりないことをお約束致します」と。  お前の言う『今まで』とは、いつのことだった?曲がりなりにも王太子として過ごした日々をさしていたのだろうか。  変わりない生活。そうだ、何も変わらない。幼い日々を暮らした小宮殿。そこから、この凍宮への生活は何も変わらないのだ。  私が尽力した日々は、ものの数にも入らず、籠の鳥はただ別の籠に移っただけだった。  自分のことを『私』ではなく、まだ『ぼく』と呼んでいた頃。  王宮の外れにあった小宮殿は、小さな楽園だった。  病を理由に自由に動き回ることはできなかったが、無理を通されもしなかった。  誰からの期待も向けられない代わりに、時間を己の好きなままに使うことが許された。  木々が張り出して木陰を作り、花々が咲き誇る庭の片隅を、自分だけの隠れ家にしていた。  小さな噴水の周りに柔らかな芝生が生え、丈の低い茂みがぐるりと囲んでいる。芝生の上に腰を下ろせば、幼い子どもの姿は、たちまち見えなくなった。  誰も来ないのだから隠れる必要もないのだが、ひっそりと囲まれた場所が好きだった。  陽射しのまだ強くない季節には、決まってそこに寝転がって本を読む。  芝生の上を渡る風、光に反射してきらめく水。花々の蜜をついばむ小鳥や蝶。時には、木々を渡る小さな動物たちの訪れもあった。  文字に飽きれば、それらが相手をしてくれる。  代り映えのない、どこまでも平穏な日々。  だから、その日に彼がやってきたことは。  自分の中で何かがはっきりと変わるほど、特別な事だったのだ。

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