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第15話 追憶 2
兄が隣国から取り寄せたと言う貴重な本を、前日にもらったばかりだった。頁 を繰る手が止まらず、夢中で読み進めた。
かさり、と茂みを擦る小さな音がする。栗鼠 でも訪れたのかと目を上げれば、まさに本から抜け出た人物がそこにいた。
肩で切り揃えた銀の髪、凛々しい眉に通った鼻筋。青く深い瞳は、どこまでも輝いている。
冒険譚の中で、最後に姫君を救うのは、若く美しい王子だ。本の中の残像が、現実との境を曖昧にする。
彼が目を見開いたまま黙り込んでいたので、私は尋ねた。
「だあれ? 王子?」
「⋯⋯王子? 私は、クリストフ・ヴァンテル」
ヴァンテル、と言う名は知っていた。この小宮殿に住んでいた王太后の生家だったからだ。
「おばあ様のお家の人?」
「おばあ様? ⋯⋯もしや、貴方 は」
「アルだよ。アルベルト・グナイゼン。あっ!」
ぼくは、飛び起きて両手で口を覆った。
「むやみに名を教えてはいけないって、言われてたのに」
「どなたにですか?」
「みんな、だよ。乳母も侍従も、兄様にも!!」
名を明かすことなどほぼなかったから、気にかけることがなかった。
「⋯⋯私も、貴方に名を教えてしまいました」
「え! あ! ⋯⋯ほんとだ」
ぼくが叫ぶと、美しい人は、ふふ、と優しく微笑んだ。
迷い込んだのです、と彼は言った。
「殿下のおばあ様、亡き王太后様は、私の伯母にあたります」
先王に嫁いだのは、ヴァンテルの父の長姉だった。
「もっとも、父は女子が8人続いた末に生まれた男子で、父が生まれた時には伯母は嫁いだ後だったそうですが」
久々に王宮に来て、伯母が住んでいたという小宮殿を見たくなった。
「好奇心で庭だけでもと思って散策していたら、小道を見つけました。まさか、こんな奥に繋がっているとは思いませんでした」
「夢中になって読んでいたから、ぼくはてっきり、本の中の王子が出てきたと思ったんだ⋯⋯」
恥ずかしくなって、本を抱えたまま小さな声で告げた。
ヴァンテルが笑いながら言った。
「私こそ、幼い頃に読んだ本を思い出しました」
森の奥にある泉の脇に小さな種が芽吹き、泉は花が咲くまで、ずっと見守っていく。ここはまるで、挿絵にある風景のようです、と彼は言った。
「とても美しい本ですよ。よかったら今度、お持ちしましょう」
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