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第96話 襲来 4

「殿下!」  ホーデンだけが、はっとしたように後をついてくる。  私の動きに合わせて、頭上高くに飛ぶ蜂たちも動き出す。  騎士たちは、目を見開いてその様子を見ていた。恐怖のあまりに動けなくなっている者もいる。  宿屋の周りは騎士と馬たちで溢れ返っていた。  馬を宥めるのに必死な者、傷を負って倒れる者。トベルクの騎士も北領騎士団の騎士たちも混乱していた。  ヴァンテルとトベルクは双方とも傷を負いながら、剣を交えて睨み合っている。   「争いをやめよ」  まるで、自分の声が自分のものではないかのようだった。  いつもよりもずっと静かなのに、辺り一面に響き渡る。 「これ以上、血で血を洗うことは望まぬ。誰もが剣を収めて己の領地へ戻れ」 「殿下⋯⋯」  ヴァンテルとトベルクが驚愕を瞳に映して私を見た。  目の端で、大柄な騎士が私を捕えようと動いたのが見えた。ロフに剣を向けた騎士だ。  私は騎士に向かって言った。 「下がれ。報いを受けたくないのなら」  血走った目をした騎士の耳に、私の言葉は届いていない。  右手を上げると、遥か頭上から一筋の煙のように蜂たちが降りてくる。  飛びかかってきた騎士の肩を一匹の蜂が刺す。  騎士はもんどりうって倒れ、地面を転げ回った。  その体の上を蜂たちは飛びまわり、周囲の者たちは一斉に逃げた。 「一匹ならまだしも、多くの蜂毒を受けたら命はない。退()くがいい、騎士たちよ」  指の先に蜂を纏わせる私を、騎士たちは固唾(かたず)()んで見つめている。  宮中伯たちは剣を下ろした。  二人の目の中に驚愕と互いへの収まらぬ怒りを見て、私は告げた。 「ヴァンテルにトベルク。⋯⋯其方たちこそが退くのだ」  宮中伯たちは、小さく言葉を交わした。  ヴァンテルが叫ぶ。 「王子のご下命ぞ! みな、これより先は北領騎士団の指揮下に入れ!!」  暁に染まる空の中を、黒い煙となった蜂たちが帰っていく。  一匹だけが、まるで挨拶するかのように指先に止まった。 「お前もお行き。一匹だけでは寂しいだろう」  その言葉を聞いて、小さく羽音をたてて舞い上がった。すぐに姿が見えなくなる。  どこから来たのか。  そして、どこへ行くのか。  ホーデンに連れられて、ロフとブレンがやってきた。疲れ切ってはいるが、大きな傷はないようだった。 「二人とも、無事でよかった。けがはないか?」 「⋯⋯殿下、ありがとうございました」  二人は揃って礼を言った。ロフが頭を下げ、ブレンが跪く。  ブレンは、真っ赤な目をして私を見た。  守り木の村で別れた日から、顔をまっすぐに見たことがあっただろうか。 「其方に、また会えるとは思わなかった」 「⋯⋯あの日、殿下を殺そうとした私を、どうしてお助けくださったのですか」 「私は殺されても仕方がなかった。其方が言った通り、守り木の村が滅びたのは私のせいなのだから」 「殿下を雪の中に置いて行ったのに、ずっとどこかで後悔していました。とどめを刺すことも出来ず、雪の中に食べ物まで放り投げて⋯⋯。そして、裁きを受けた」   「裁き?」  それは、蜂の名のはずだ。  ブレンの話は不思議なものだった。 「走り続けて一番近くの村まで行った時に、馬が暴れ出しました。突然現れた蜂に刺されたのです。この顔の傷は、馬車から放り出された時に当たった木の枝が刺さって出来たものです」  耳の下から顎にかけた傷は徐々にふさがりはしたが、痕が残った。  ブレンは傷が治るまでの間、不思議な夢を見続けた。いつも羽音が聞こえて不思議な声が繰り返された。  ⋯⋯マチガエルナ  ⋯⋯スクエ  何のことだか、わからなかった。 「傷がふさがった頃に世話になった村を出て、同胞のロフを訪ねました。すると、ロフも同じように夢を見たと言うのです」  不思議な羽音、不思議な声。  ⋯⋯スクエ 「殿下。あれこそが『裁き』。私たちが友と為す者。そして、殿下の先を照らす者たちです」  誰ともなく空を見上げた。  蜂たちの姿はもうどこにも見えず、ただ青く晴れ渡った空だけが広がっていた。

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