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第95話 襲来 3

 ホーデンは中庭を抜け、厩舎と納屋の脇を抜けて街道に向かおうとした。  中庭を抜ける際に、(うずくま)る小さな姿が見えた。 「ホーデン! 止まれ、ホーデン!!」  立ち止まったホーデンの腕から抜け出して走った。  蹲っていたのは、下働きの少年だった。 「⋯⋯お前、どうしてここにいる? 宿屋の皆と逃げたんじゃなかったの?」  私を見た少年は、ぼろぼろと涙を零した。  震えながら、掘り起こした花を膝に抱えている。 「はな⋯⋯、花を、助けたくて。ご主人たちが、そんなもの捨てて行け、どうせ今夜のうちに宿は使い物にならなくなるって言ったんだ。でも、どうしても気になって、一人で戻ったら⋯⋯」  声にならずに、涙が流れ続ける。   少年の手も服も泥だらけだ。夢中になって掘ったのだろう。頬にも土混じりの涙の痕がついている。  地面には、たくさんの花びらが落ちていた。  少年の手の中の花の大半は、踏み荒らされて無残に散っている。  ⋯⋯一日前には、美しく咲いていたのに。 「あんなにきれいに咲かせてくれたのに。⋯⋯すまない」  花を抱えた少年を、ぎゅっと抱きしめた。 「⋯⋯あんたとおっさんが誉めてくれたから、嬉しかったのに。蜂も毎日来てくれたのに。どうして?」  涙をこぼす少年の姿が、幼い自分と重なって見えた。  誰かの役に立てたらいいと思っていた。  大きな望みなんてない。⋯⋯望んだのは、わずかな幸せだけだったのに。  踏み荒らされた中庭。  同じ国の中で争い、血を流して倒れる騎士たち。  小さな者たちの声は、いつだって誰にも届かずに消えていく。  ──どうして?  ⋯⋯ドウシテ  自分の頭の中で何かが揺らめく。  ──私たちの、願いを  ⋯⋯ワタシタチノ  ──壊す?  ⋯⋯コワス  地が、揺れた。  馬たちが一斉に嘶く。  振り落とされそうになった騎士たちの悲鳴が上がる。  何かが耳の奥で、微かに聞こえる。  ブブブ⋯⋯という音が。  これは、羽音だ。  誰もが空を見た。  夜が少しずつ明けようとする中に、黒い煙が舞い上がる。北方の空に一筋の流れとなってこちらに向かってくる。 「⋯⋯何だ」 「あれは⋯⋯」 「鳥か?」  少しずつ音が近づき、人の耳に不可思議な音の正体が知覚される。 「まさか」 「⋯⋯虫?」  黒い煙は小さな粒の固まりだった。  数万どころか数十万と言う数の虫たちが空を覆う。  人々は一斉に動きを止めて空を見上げた。  闇が遠ざかり夜が明ける頃だった。  黒から紫紺に、さらに青へと色を変え、鮮やかな太陽を迎えるはずの空。明け染める北の空を自分たちの真上だけが黒く覆っている。  うわんうわんと大きく耳鳴りのように響く羽音に、馬たちは恐慌に陥り、人々は恐怖に駆られた。 「あれは⋯⋯蜂だ!」  ⋯⋯トメル  不思議な音が聞こえた。夢で聞いた声だ。  ──止める?  ⋯⋯トメル  ああ、そうか。  自分がしなければならないことが、心の中に湧きあがる。  呆然と口を開けたままの子どもに告げる。 「⋯⋯大丈夫。彼らは決してお前を傷つけないから。終わるまで、ここで待っておいで」  私は(きびす)を返して、ヴァンテルとトベルクの元へ走った。

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