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第94話 襲来 2  

 ヴァンテルの後ろから、大きな手を潜り抜けて前へ飛び出した。即座に腕を強く掴まれて、足が止まる。  大柄な騎士の一人が、ロフの隣ですらりと剣を抜いた。月光の照り返しで無慈悲な刃が銀色に輝く。白刃を突き付けられているのに、ロフが来るなと首を振る。何度も何度も、必死に。  ⋯⋯怖くないわけがないのに。 「無粋な男がおりますね。お優しい殿下のお気持ちを阻むなど話になりません。流石は平気で火を放つような野蛮な(やから)だ」 「⋯⋯人を(たばか)り、尊い宝を屋敷から盗み出す人非人の言葉とは思われぬ。神の怒りを買った大罪人こそは地獄がふさわしい」  初めてヴァンテルが口を開き、響き渡る声が人々の耳を打つ。  ──神の怒りを買った大罪人。  その言葉に騎士たちがどよめいた。  トベルクの静かな怒りが伝わってくる。  冬の夜の月より氷原を覆う氷よりも冷たい沈黙が地に満ちた。 「剣を抜くがいい。戯言(ざれごと)ごと地に沈めてくれる⋯⋯!」 「そのまま返そう。口が回る者ほど腕はないと人は言う」  トベルクとヴァンテルが、同時に剣を抜く。  二人の間にあるのは地獄の猛火だ。  お互いを焼き尽くし、他人をも飲み込む焔は何も生み出さない。  遠くからおびただしい騎馬の蹄の音が聞こえてくる。 「⋯⋯来たか」  ヴァンテルが呟いた。 「トベルク! そして、騎士たちよ!! 我が名はクリストフ・ヴァンテル。其方たちがこれから立ち向かうは北領騎士団だ。彼らと戦う者は、宮中伯筆頭と戦うと心得よ!」  咆哮の様な声が上がった。  雪崩のように人が街道から宿屋の敷地へ入り込んでくる。  騎士団長ホーデンの大音声が響く。 「直ちに剣を捨て投降せよ。命までは奪わぬ!」  トベルクが前を見つめたまま、小さく右手を振り上げた。 「かかれ! 王子だけをここに!!」  唸り声が上がり、トベルクの騎士たちが一斉に走り出す。  背後で鬼火のように殺気が揺らめく。  次の瞬間には、私の周りの騎士たちも剣を抜いていた。  月の光の下で戦う二人の宮中伯を邪魔立てする者はいなかった。  トベルクが振り下ろした剣をヴァンテルが弾き返す。ヴァンテルが突き上げれば、トベルクは即座に身を躱し、横から薙ぎ払う。  トベルクの太刀筋はすさまじく、迎え撃つヴァンテルも負けてはいない。二人の放つ殺気と剣の音だけが、まるで世界を切り取ったようだった。  月明かりの下で煌めく白刃は、ひどく冷たい。  私は騎士たちに守られたまま、呆然と目の前で切り結ぶ二人を見た。 「殿下! ご無事で何よりです!!」  目の前にホーデンが現れて、我に返る。  ホーデンは失礼を、と一言呟いてから軽々と私を抱きかかえた。 「閣下をお守りせよ! 回り込んでトベルク様を捕らえるのだ。殿下、しっかり掴まっていてください。⋯⋯目をつぶって、耳を塞いで」  この上なく優しい声だった。  でも、どうして閉じることが出来るだろう。  確かにこの瞳に映っているのだ。  騎士たちが激しく打ち合い、倒れる姿が。  私を守って傷つく者たちの体から、流れる血が。 「だめだ! これ以上は⋯⋯」 「殿下、ご安心を。我らの方が有利です」 「そうじゃない!」  ⋯⋯ちがう!!戦いなんて、最初から望んではいないんだ。

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