95 / 152
第94話 襲来 2
ヴァンテルの後ろから、大きな手を潜り抜けて前へ飛び出した。即座に腕を強く掴まれて、足が止まる。
大柄な騎士の一人が、ロフの隣ですらりと剣を抜いた。月光の照り返しで無慈悲な刃が銀色に輝く。白刃を突き付けられているのに、ロフが来るなと首を振る。何度も何度も、必死に。
⋯⋯怖くないわけがないのに。
「無粋な男がおりますね。お優しい殿下のお気持ちを阻むなど話になりません。流石は平気で火を放つような野蛮な輩 だ」
「⋯⋯人を謀 り、尊い宝を屋敷から盗み出す人非人の言葉とは思われぬ。神の怒りを買った大罪人こそは地獄がふさわしい」
初めてヴァンテルが口を開き、響き渡る声が人々の耳を打つ。
──神の怒りを買った大罪人。
その言葉に騎士たちがどよめいた。
トベルクの静かな怒りが伝わってくる。
冬の夜の月より氷原を覆う氷よりも冷たい沈黙が地に満ちた。
「剣を抜くがいい。戯言 ごと地に沈めてくれる⋯⋯!」
「そのまま返そう。口が回る者ほど腕はないと人は言う」
トベルクとヴァンテルが、同時に剣を抜く。
二人の間にあるのは地獄の猛火だ。
お互いを焼き尽くし、他人をも飲み込む焔は何も生み出さない。
遠くからおびただしい騎馬の蹄の音が聞こえてくる。
「⋯⋯来たか」
ヴァンテルが呟いた。
「トベルク! そして、騎士たちよ!! 我が名はクリストフ・ヴァンテル。其方たちがこれから立ち向かうは北領騎士団だ。彼らと戦う者は、宮中伯筆頭と戦うと心得よ!」
咆哮の様な声が上がった。
雪崩のように人が街道から宿屋の敷地へ入り込んでくる。
騎士団長ホーデンの大音声が響く。
「直ちに剣を捨て投降せよ。命までは奪わぬ!」
トベルクが前を見つめたまま、小さく右手を振り上げた。
「かかれ! 王子だけをここに!!」
唸り声が上がり、トベルクの騎士たちが一斉に走り出す。
背後で鬼火のように殺気が揺らめく。
次の瞬間には、私の周りの騎士たちも剣を抜いていた。
月の光の下で戦う二人の宮中伯を邪魔立てする者はいなかった。
トベルクが振り下ろした剣をヴァンテルが弾き返す。ヴァンテルが突き上げれば、トベルクは即座に身を躱し、横から薙ぎ払う。
トベルクの太刀筋はすさまじく、迎え撃つヴァンテルも負けてはいない。二人の放つ殺気と剣の音だけが、まるで世界を切り取ったようだった。
月明かりの下で煌めく白刃は、ひどく冷たい。
私は騎士たちに守られたまま、呆然と目の前で切り結ぶ二人を見た。
「殿下! ご無事で何よりです!!」
目の前にホーデンが現れて、我に返る。
ホーデンは失礼を、と一言呟いてから軽々と私を抱きかかえた。
「閣下をお守りせよ! 回り込んでトベルク様を捕らえるのだ。殿下、しっかり掴まっていてください。⋯⋯目をつぶって、耳を塞いで」
この上なく優しい声だった。
でも、どうして閉じることが出来るだろう。
確かにこの瞳に映っているのだ。
騎士たちが激しく打ち合い、倒れる姿が。
私を守って傷つく者たちの体から、流れる血が。
「だめだ! これ以上は⋯⋯」
「殿下、ご安心を。我らの方が有利です」
「そうじゃない!」
⋯⋯ちがう!!戦いなんて、最初から望んではいないんだ。
ともだちにシェアしよう!